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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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脱・「既得権益の岩盤規制を打破」理論 


 今日、休憩時間中に「閉会中審査」をラジオで聞いた限りなのですけれど、安倍首相の

「既得権益の岩盤規制を打破」

 というお決まりのフレーズが聞こえてきて、吐きそうでした。



 加計学園問題そのものはつまんねー話だし、別に安倍首相を擁護しようが非難しようがいいですけれど、

「既得権益の岩盤規制を打破」

 という考え自体が、チープで、時代遅れの、民主主義者の考えだということは、いいかげん分かられて欲しいものです。



 そもそも、「各官僚組織」や「あらゆる既得権益」をそれぞれ扶養する以外に、どーやって具体的に国家という複雑で膨大なものを長期運営し、継続させようというのでしょう。

 各官僚組織、各既得権益を扶養しようとしないのなら(既得権益を打破するだけなら)、もう長期的に国家をやっていこうと思っていないのと同義というものです。



 それをどーして、竹中平蔵だか、NPOフローレンスだか、どこの馬の骨だか知れない

「民間議員の意見」
「民間の専門家の意見」
「民間法人の意見」

 とやらの力学が、

「国家の行政機関」

 へ、横から口を出してよいのでしょうか。

 民間議員や経済会、NPO法人のような連中は、別に「産業や業種を長期的に国家全体として回して行かなければならない」なんて考えませんよ!

 何故、そんな連中の口車に乗って官僚組織の敷く規制を取り払うことが良い……みたいな話を20年30年ずーっっと続けてきたのか。

 それは、おぞましくも、そーやって官僚組織から権限を剥奪した方が民主的だ……みたいな極めて安っぽい、大衆のゲロ処世が、膨大な背景としてあるからですよ!



 そして、安倍首相は、こうした大衆力学に対して致命的な「迎合」をいくつも犯してきました。

「既得権益の岩盤規制を打破」

 というフレーズと規制改革政策は、その大きな罪の一つです。



 でも、この路線で批判をする人ってほぼ皆無なのですよね!

 何故なら、みんながやりたいのは単に「政治家叩きで、普段冴えない自分でも瞬間偉くなったようなつもりになること」で、その一方、官僚もバカにしていたいから、みんなナチュラルに規制緩和論者であり、「国家戦略特区の制度自体が間違っている」という筋は意識の外だからでしょ。

 別に、「友達に利益誘導すること」なんかよりも、「大衆に迎合して既得権益を打破すること」の方がよほど首相としての罪としては重大だと思いますけれど!


(了)


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加計学園問題、国家戦略特区こそ悪い 


 世の中の人たちはいろいろ信じられないことを言うけれど、

「とにかく官僚組織から権限を取り上げろ!」

 みたいなストーリーは、少なくとも私にとって中学生くらいの時から信用ならないものでした。


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 私の中学生くらいと言えば、時代は「行政改革」が流行っていた90年代後半だったでしょうか。

 確かに思い起こしてみれば、当時の大人たちは中学生がヒクぐらい、

「公務員や官僚組織へのヘイト」

 を燃やしまくっていました。

 潰れるはずのない銀行が潰れ、リストラが横行して……という時代で、

「民間が苦しんでいるのに、公務員は涼しい顔しやがって」

 みたいなこと、ばっっっっっかり言っていました。

 私はその「醜さ」を決して忘れないようにしようと思ったし、このツケはきっと自分が大人になった時に払わされるに違いないとも思ったものです。

 ただ、中学生の時は、自分が大人になってもツケを積み続ける時代が続くなどとは思ってはいなかったですけれど、それはまだガキだったから世界に楽観的だったのでしょうね。

 こうして、2000年代に入るともっと狡猾に、

「公務員は不合理である。何故なら市場原理が働かないから」

 という、さらなる市場原理至上主義のおぞましき時代へ突入していったのでした。


 ◆


 その後も、平成の処世では一貫して、

「とにかく官僚組織から権限を取り上げよう」

 という「ストーリー」が重大な「ベタ」として機能してきました。

(それは、驚くべきことに政府官僚自身もこのストーリーで官僚権限を手放してきたらしいのですけれども!)



 このベタなストーリーは、「政府規制の緩和論」が一般論として礼賛されてきた背景でもあります。

 これは極めて子供っぽい力学で、例えて言うなら、

X「仮面ライダーの暴力」
 が
Y「悪の組織」

 に対して振るわれているから、チビッ子から喝采を受けるのと同じく、

X「規制の緩和」
 が
Y「官僚や既得権益」

 の判断権限を剥奪するものだから、大人たちは溜飲を下げる……という構造があるワケ。



 こう言うと、「世の中の大人はそんな単純じゃない、バカにするない」と、おっしゃるかもわからないが、単純なものは単純なのだから仕方ありません。

 そりゃあフツーの大人だって個々人が限られた範囲内で熟考する場合にはそれなりに大人な態度も発揮しようものですが、「大衆」という大量の力学となった場合はそれくらい単純なのです。

 で、その大量の社会力学であるところの「大衆」の「ガキ理論」を専門的見地から援護するのが、

「知識人」

 というものです。

 ですから、「大衆」がいかに単細胞でガキめいているかを知るには、知識人、専門家を見れば証拠立てられる。



 たとえば、昨今は「加計学園問題」というのが流行っておりますけれど、これに対しこんなことをのたまうヤカラがある。


 すなわち、

「加計学園問題は精査すればよいが、国家戦略特区そのものは悪くない」

 ……と。


 どーゆー理屈かというと、

1 「国家戦略特区は規制緩和策である」

2 「規制緩和は官僚から判断権限を剥奪するものである」

3 「だから、国家戦略特区そのものは悪くないんである」

 と、こういうわけです。


 例えば、


・『加計学園問題の本質は何か 〜このままでは政府の勝ちで終わるだろう
既得権維持派が何を言っても…』
(髙橋 洋一)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51813

・ 『加計学園問題、国家戦略特区が悪いのではない』
(駒崎弘樹)
https://news.yahoo.co.jp/byline/komazakihiroki/20170606-00071771/


 など。


 でも、上記の三段論法が成り立つには、

「官僚組織から判断権限を剥奪すること」が「一般的に正しい」

 という前提でなければ成り立たないでしょう。

 冷静に考えればそんな前提が全体として成り立つだなんてあり得ないわけで、少なくとも「政府規制の強化すべきところ」と「政府規制を緩和すべきところ」の両方があるにきまっている。

 また、その「判断」を一体だれがするのかということも簡単な話ではないに決まっています。

 官僚の判断より、市場や専門家や民主主義が正しいなんて、誰が決めたんですか。

 専門家や民主主義(官邸)がそう言っているのだとすれば、そりゃあ「自分が正しい」と言っているに過ぎません。



 それでもその前提が通用するのは、知識人が人々の「大衆的」な精神に媚び、魅惑しうるストーリーを前提してから、論理を組み立てるからです。

 つまり、「官僚組織から判断権限を剥奪しろ!」という大衆ストーリー。



 この場合、彼ら「専門家」は、複雑で膨大な国家を、その限られているはずの個人の視野(スペクト)で裁断し、

a「官僚が不合理な規制を敷いている」
b「既得権益があるからだ」

 というストーリーを二、三仕立て、さも一般論として適用できるかのごとく

「ほら、やっぱり政府官僚による規制は緩和しなきゃならんでしょ(=官僚から判断権限を剥奪しなきゃならんでしょ)」

 と言い、

「政府官僚による規制一般」を「敵視」する古カビの生えた「平成のベタなストーリー」を反芻させた上で、その前提で、

「国家戦略特区は悪くない、何故なら規制緩和だから」

 とやるワケです。


 それで、みんな「そうだ、そうだ」とやるわけでしょ。

 これが国家を蝕む「大衆」というものです。


(了)

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前川喜平・文科省元事務次官を証人喚問せよ! 

 文科省の元事務次官(事務次官=省庁側のトップ)前川喜平氏が「加計学園問題に関する文部省内の文章はあった」と口を割っていますね。

 さらに記者会見を開き、証人喚問に応じる意向も示している。

 この意義を、加計学園問題そもそもの流れから簡単に説明するとこうです。



1 安倍首相は、規制緩和策の「国家戦略特区」を利用し、加計学園(学長が首相の友達)に獣医学部の新設を許可するよう文部科学省へ圧力をかけていたのではないか……という疑惑があがった。

2 証拠として「官邸の最高レベルの意向だ」などという文部省内の文章があり、それがリークされた。

3 文科省は「調べた結果、あんな文章はなかった。ありゃデタラメだ」と言った。

4 前川元事務次官が「いや、ああいう文章はあったよ」と口を割り、証人喚問に応じる意欲を示した。


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 加計学園問題の意義を突き詰めて言うと、

「既得権益を打破すると言われて進められた『岩盤規制の緩和』そのものが、既得権益である可能性を象徴的に表していること」

 です。

 だから、これはとてもとても重要な問題なのです。



 まず、この問題で「従来的な規制緩和論」の「岩盤規制をかける者」として想定されているのは「文部科学省」でしょう。

 そして、「既得権益」として想定されるのは「既に獣医学部のある大学」ということになります。

 で、文部科学省の張っていた「岩盤規制」が「緩和」されると、「既に獣医学部のある大学だけが持っていた獣医学部をやるという既得権益」が打破されて、「他の大学にも獣医学部をやるチャンス」が巡ってくる。

 そうなると、「獣医学部」の「供給」が増える。

 供給が増えると「獣医学部」の競争が起こって、経済的にも合理的になる。

 これが従来的な「岩盤規制を打破する」的な規制緩和論の筋ということになり、また、これがグローバリズムの「競争力」の筋にも繋がってきた。

(さらに言えば、この「規制緩和論」「グローバルな競争力」の筋は、「アメリカへ市場を開放することに対する屈服感を和らげる大衆的効果」とも繋がりがあったのです。)



 そして政治的には、こうした「規制緩和論」を「政治主導」で行うことが「民主的」で「合理的」で「正しいのだ」というような筋が張られてきました。

 しかしこれは、小泉政権、民主党政権を経て、おおむね失敗に終わったのが歴史であった。

 それでも、安倍首相ご自身を含めた「大衆」は、もはやこの「規制緩和」「政治主導」の「物語」を無自覚レベルで大前提しているので、国家戦略特区のような政策も大して違和感なく受け入れられてしまっていたのです。



 しかし、加計学園問題では、その従来の規制緩和論で「敵」と想定されていた「規制をかける者側(官僚側)」が反逆を起こした。

 それが前川喜平元事務次官ということになります。

 これは画期的なことなのです。

 だって、「岩盤規制を緩和する者としての官邸と専門家(政治主導や産業競争力会議的なモノ)」に対して「岩盤規制を敷く者(官僚や産業構造)」が刃向かう……というストーリーは、他で見たことがありません。

 私は純粋に、この「岩盤規制を敷く者(官僚や産業構造)」が「岩盤規制を緩和する者(政治主導や産業競争力会議的なモノ)」へ刃向かうところを応援したいと強く強く思うのです。



 もちろん、加計学園問題についてそういう応援の仕方をしている人はまれで、単に「安倍首相が気に食わない」というモチベーションで叩く人間が多数であることは承知しています。

 また、そうした連中は「安倍叩き」と同時に「官僚叩き」「自民党叩き」「既得権益叩き」にも「ヘイト」を燃やすことも承知しています。

 が、単なる安倍叩きのヘイトでも、上記ストーリーを完成させる力学となるならば肯定的に見ておこうとは思えます。

(※そこが、この問題の森友学園問題とは違うところです)



 逆に、ここで前川氏の人となりを「天下りモノだ」とか「出会いバーに行っていたヤツ」などとして文句をつけ、安倍擁護に回るのは卑怯です。

 というのも、(第一に「天下り」がそんなに悪いことであるとも思わないというのもあるのですが)ここではこの人自体がどのような人物であるかは関係がない。

 前川氏が「かつて文部科学省のトップであった」という事実は事実なのであり、その上で加計学園問題の「官邸の意向だ」という文章について知っているというなら、それだけで重大な証言と言えますでしょう。

 そんなに嘘だというなら証人喚問すれば良いのです。



 あるいは、「中国からカネを貰っているに違いない」みたいな話に至っては言いがかりでしかありませんね。

 こうした前川バッシングは「ホシュの安倍擁護」に加えて「規制緩和論擁護」の力学も織り交ざっているように見えます。



 ◇◆◇



 もっとも、私は「証拠不十分」や「これでは首相の責任とまでは言えない」という筋での首相擁護ならば、論理的には整合すると思うのですよ?

 しかし、規制緩和論を前提にした人間が、安倍擁護のホシュ派に媚びを売るように「前川氏は中国、韓国からカネをもらっているに違いない。それだけ安倍さんが怖いのだ」みたいなことを言うのは、まったく噴飯ものと言う他ないのです。


(了)


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加計学園問題は、安倍政権が「政府の国家権力を放棄する」問題である 

 世論では、何か

「安倍政権が強権を振るって政府機関を扶養し、我々国民(自分)を圧迫している!」

 という筋での「不満」を述べ立てる者があります。

 あるいは逆に、

「安倍政権が強権を振るって政府機関を扶養し、我々国民(自分)を守ってくれているのだ」

 と擁護する者もある。



 しかし、それは両方間違っているのです。

 だって、安倍政権のおおよその実際は、

「強権を振るって、政府機関から権力を剥奪している」

 のですから。

 そして、こうした「政府機関から権力を剥奪すること」は、実のところ国家そのものを毀損することでもあるから「問題」なのです。

 ここらへんのところ、よくよく考えていただきたいところです。


(ちなみに、これを「安倍政権は、政府機関から権力を剥奪しているから良いのだ」という連中もいるので話がややこしくなる。と、言うか、こういうやつが一番多い気もするし、私が一番ムカつくのもこういう連中)


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炎


 まず、世論の大衆的気分としては、以下の前提がほぼ無自覚に敷かれています。


1 国家権力や政府機関からは、その権限を剥奪した方が民主的で楽チンできる。

2 時の政治権力は、国家権力や政府機関を扶養しようとするもので、これによって個人が国家に縛り付けられてしまいそうで嫌だ。 

3 故に、強権的な政権は、国家権力、政治権力を扶養しようとする。これが嫌だ。


 ……そういう物語を前提しているから、「手続き的に強権的な感じのある安倍政権」については、当然、「国家権力、政府権力を扶養している者」として捉え、その前提の上で「支持」だの「不支持」だのと騒いでいる。

 しかし、それはまず前提が間違っているから、ちゃんちゃらおかしな話になっているわけです。



 例えば昨今、加計学園問題というのが持ちあがっていますが、あの問題の筋は、

「文科省という政府機関の、『今、日本国家で獣医学部の増設が必要かどうか』の判断と設立許可を施す集権的国家権力」

 を、首相の地位を利用して都合のいいふうに剥奪したんじゃねえの?……という疑惑でしょう。

 つまり、

「規制緩和」=「政府機関が国家権力を手放すこと」

 を、首相の都合の良いふうにしたんじゃないの?……という疑惑じゃないですか。

 これを国家戦略特区という「一定区域において強権的に国家権力を手放すことができる」という政策を利用して行っている……という話なわけでしょう。

(つまり、竹中平蔵のパソナが戦略特区を利用して外国人家政婦を派遣している筋と同様なのです。)


 ・


 だから、加計学園問題は「規制緩和論者」や「規制緩和という言葉を知らなくても、その物語を前提している大衆」からも「安倍擁護」の力学として現れるのであります。

 故に、案の定あまり燃え上がっていない。

(リベラルはリベラルで共謀罪でもちきりですし。)

 大衆動向として森友学園と違うのはそこらへんなのです。

 何度も言っていますが、「森友学園問題は大衆にとって都合が良いもの」で、加計学園問題は「大衆にとって都合の悪いもの」なのです。

 森友学園問題を騒げば「戦前コスプレ保守」を「踏み絵」にして政府が国民(自分)を制限してくるのを牽制できる……という「大衆的都合の良さ」があるわけですが、加計学園問題を騒ぐとこれは今まで自分達が請求してきた論筋上の疑獄であるから大衆的に都合が悪いのです。


 ・


 この大衆力学に抗うためには、安倍政権一般の問題が、

「強権を振るって、政府機関から権力を剥奪していること」

 だという根本的な理解が必要になります。

 それはすなわち、「安倍政権の問題」とはイコール「平成の大衆の問題である」と反省することと同義なのです。



 ……もちろん、誰もそんな反省はしないに決まっているでしょうけれど。


(了)

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国家戦略特区のガキ性 

 国家戦略特区のガキ性は、

 特定の区域で「政府が統治権力を手放す」

 ことによって、「グローバルな競争力をつける」

 という思想構造にあります。



 これは単に、

「労働者をコキ使えるように、労働者を保護する法律を緩和する区域としての問題」

 ということに留まらない。



 むしろ、平成で言われてきた「経済思想」を、集約して純粋化したものが国家戦略特区というものだというふうに見ておくのが適切なのです。



 そのストーリーは、「規制緩和」で日本の構造を改革して、経済におけるグローバルな競争に勝つ……というもの。

 そして、これは人生で一度も「規制緩和」「構造改革」「グローバリズム」などという言葉を使わなかったり、大して意味を把握していない者でも、

 社会人としての「処世」

 で、そのストーリーを前提して時事諸々を語ってきたのであります。

 その上、大衆はそのような前提で集約された「改革」が民主的に断行されてゆかないことに不満を述べ立てたりさえした。


ゴリラ



 平成大衆市民は、自分が恩恵に授かっている既得権益以外の既得権益を「ズルい!」と述べ立ててきました。

 で、「政治権力が既得権を構成し、経済合理性を阻害している」という経済ジャーナリズム的な物語を好む。



 また、国内の既得権益の打破の理論は、常にグローバリズムを引き連れてきた。

 この辺りは、「日米構造協議」や「年次改革要望書」など以来の関係性であるから、

「冷戦構造が弱まった中でも、徴兵される確率を1%でも下げておきたいからアメリカに軍事依存しておきたいので、市場開放で屈服しておこうとする力学を、グローバリズムの想定でゴマかしておく」

 ために、規制緩和の方向性に合理性を付与してきたのかもしれない。


 なので、

1 「規制緩和構造改革で既得権益を壊したい」→「グローバリズム」

2 「グローバリズムで徴兵される確率を1%でも下げておきたい」→「規制緩和、構造改革へ合理性を言う」

 という二つの大衆力学が、この方向性を押し進めていった。

 少なくとも、私には平成という時代はそのように見えた。



 そして、この平成の時代を用意したのは、丸山正男的な「日本的な組織を脱して、近代民主主義の合理性を極めるべき」という民主主義的なインテリ思想でもあった。

 政治における民主主義の徹底は、経済における民主主義の徹底とほぼ構造としては同じなのです。


 ・


 しかし、よくよく考えてみれば、真の日本の庶民の生活は「政治的な既得権益」の中にあったのです。

 各地方共同体や産業の構造に「政治的既得権益」として残された「封建的前提」が、政治の基盤になり、市場経済の土台にもなっていた。

 そこから切り離された「バラバラな大衆」は、原理的に言うと「どうなってもいい者」でしょう。

 だって、国民が国民であるのは、国民的な慣習を土地や共同体、組織などに埋め込まれて存在しているからであって、そこから切り離されて「バラバラの大衆」と堕したならば、「単に日本国籍を持った人間」ということになるから、そんな連中が別に死のうが生きようがどうでもイイじゃないですか。


 ・


 第一、既得権を打破してそこから個人として自由になりたい……だんて思想を好むのは、10代後半から20前後のガキの仕方というものです。

 10代後半から20前後のガキは、自分を縛る前提がいかに不合理であり不条理であるかという屁理屈を述べ立て、そこから自由になりたいということばかりを請求するものでしょう。

 子供なら仕方ありませんが、それを大人になっても続けているのが「平成の大人」なのです。



(了)

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