08 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 10

日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

  TOP > CATEGORY - 政治:安倍「批判・擁護」問題       
  

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category: スポンサー広告

tb -- : cm --   

このたびの内閣改造の危険性 


 自民党の都議選敗北を受けて、安倍政権は内閣改造を行おうとしています。

 これは非常に危険なものをはらんでいると思われます。

 それを象徴するのが、「橋下入閣」が取りざたされているということ。

 旧橋下市長というのは、「地方型小泉」なのですけれど、だからこそ劇場を演じることができるわけ。

 で、(最初から人気というよりは消去法的な内閣支持率ではありましたが、)安倍政権の内閣支持率が弱まったことを受けて、大衆の喜びそうなスパイスを加えたいと思う力学が、安倍首相視点では当然ありうることでしょう。

 つまり、奇抜な人事で大衆の興味を喚起して、内閣支持率をあげて、自民党内での対安倍力学をけん制したいというふうに思うであろうということ。

 ですから、本当に橋下市長が入閣するかどうかは別として、それに類することを安倍首相が考えていてもおかしくはない情勢であり、それは非常に危険な状況であると言えるでしょう。


 さらに言えば、2018年には衆議院の任期と、自民党総裁選があります。


 そして、こうした危険をはらむのは、安倍首相が自民党総裁の三選を目指しているからなのです。

 この三選を目指しているということが、相当に慣習に反した、不道徳かつ不合理であることを強調しておかなければなりません。

 安倍首相が無理に三選を目指さずに、自民党の総裁選の力学でなるべく自然な形で自民党内での政権移譲を目指しているならば、そこそこの支持率の低下になど気を取られずとも良いはずなのです。

 支持率を背景に自民党と戦おうとしているから、そんなに支持率が気になるんでしょう。

 安倍首相には三選をあきらめて、支持率を気にせず、内閣改造にも奇抜な人事で大衆に媚びを売ることはヤメていただければと強く思います。


(了)


スポンサーサイト

Category: 政治:安倍「批判・擁護」問題

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 0   

内閣支持率を調査するという不道徳   


 安倍内閣の支持率は未だ高い水準を維持しているらしいですね。
 
 加計学園問題で少し下がったらしいですけれど、毎日新聞以外ではそれほどでもないという。
 
 たぶん、世の中の大多数の人は安倍さんしか政治家の名前を知らないので、(あるいは、「世の中の大多数の人は安倍さんしか政治家の名前を知らないだろう」と大多数が見ているので)
 
「他にやれる人がいない」
 
 などと思うのでしょう。
 
 本当は、他にやれる人がいないだなんてことは絶対にないと思いますけれどね。
 
(もちろん、安倍さん以外なら誰でもイイというわけにはいかないし、政党としての政権担当能力という意味で「自民党政権であること」は必要条件ですが)
 
 
 
 でも、そーゆー具体的な話の前に、そもそもこうして
 
「内閣支持率を調査すること」
 
 そのものが議員内閣制の下では「不道徳」であるということを我々は知らねばなりません。
 
 我々の犯してきた多くの間違いは、8割方こうした「前提」からして間違っていることから発生しているはずだからです。
 
 
 カメラ

 
 
 言うまでもなく、我々は議員内閣制度の前提で国家全体の政治をまかなってきました。
 
 議員内閣制度とはすなわちこういう話です。
 
 
 
1 まず日本国民全員が各選挙区などから「国会議員(立法府)」を選ぶ。
 
2 で、その国会議員が「内閣総理大臣」を選出する。
 
3 天皇が内閣総理大臣を任命する。
 
4 内閣総理大臣が「内閣(行政府)」を形成する。
 
 
 つまり、我々一人一人が配分されていて然るべき政治権力は、1の「国会議員(立法府)」を選ぶというところ「のみ」のはずなのです!
 
 
 なぜこんなふうにするかと言えば、大きく分けて二つあります。
 
X 「立法府」と「行政府」の連絡を担保するため。
 
Y 「民主主義」に「間接性」を担保するため。
 
 です。
 
 
 
 今日は特に「民主主義に間接性を担保する」ということに着目しましょう。
 
 上記のように、議員内閣制度では、国民の一人一人が「直接」に「行政」へ介入しないようにすることが可能です。
 
 つまり、「直接民主主義」を制限し、民主主義に間接性を保たせる工夫なのですね。
 
 だから、そもそも国民の一人一人が総理大臣を直接的に「支持する」とか「不支持だ」とかピーピー述べ立てては、せっかくの間接性がだいなしでしょう?
 
 
 
 この、「だいなし……」ということの意味をもう少し具体的に詳らかにしてみます。
 
 たとえば、ある時に内閣支持率が高水準だったとする。
 
 すると、
 
A「内閣総理大臣や党執行部」
 
 と
 
B「国会や自民党」
 
 という力関係において、Aの力が「世論の支持」の背景を背負って増大します。
 
 
 つまり、例えば「内閣総理大臣が世論で人気のようだ」となったら、「党の意見」をある程度無視してしまえる。
 
 とりわけ小選挙区制度が採用されてしまっている現在では、「党の存立」そのものが「内閣総理大臣の人気(内閣支持率)」の如何によって左右されてしまうケースが多くなってしまっています。
 
 
 この場合、「党内の意見」の方も各選挙区や産業既得権益の代表(政党=Party)という意義をきれいサッパリ忘れて、内閣総理大臣が人気を得ている内容に沿うよう屈服するようになる。
 
 とりわけ、政治資金規制法の改正後は、政党助成金や党の公認が非常に大きな意味を持つようになってしまっているので、すなわち(総裁を中心とした)党執行部の権限が増大していることになっています。
 
(政治資金規正法の問題は、「政党をまかなうために税金が使われるなんてオカシイ」みたいな安っぽい話ではないんです!)
 
 こうした状況では、内閣総理大臣は、党や国会の力を排除するために、「内閣支持率(世論の人気)」を得ようとする。
 
 というか、そうせざるを得なくなっていて、逆に「内閣支持率(世論の人気)」を得ていない内閣の政権基盤は極端に脆弱になってしまっていたし、党そのものの存立にも大きくかかわってきてしまう。
 
(くどいようですが、小選挙区制度を採用してしまったのでより一層!)
 
 言い方を変えれば、そーゆー内閣総理大臣でなければ、一定期間政権を維持できなくなってしまっているのです。
 
 
 
 でも、これってようするに事実上は「首相公選」と何ら変わらない、世論による直接的な民主主義が実現されてしまっているということになるでしょう?
 
 つまり、「世論の圧倒的なパワー」が「内閣総理大臣」を支配し、「内閣総理大臣」が「自民党」を支配する力学が大きすぎるので、結局のところ世論が直接政治を執ってしまっているのと何ら変わりのないことになってしまっているということです。
 
 
 
 そして、むしろ
 
「それでいいのだ」
 
 としてきたのが、平成のインテリ連中であり、政治制度改革に乗っかって来たすべての大人たちであり、民主主義者たちなのです。
 
 すなわち、自民党の部分部分の意見を排除して、世論が直接政治に介入するのを「進歩」として前提してきた、「ナチュラルな民主主義者」たちです。


 ◆


 このことがまず不道徳であった……という反省から始めなければ、安倍首相の問題も何も解けないのです。
 
 すなわち、本来我々一人一人は「内閣、行政」へ直接口を出すケンリなどないのであるが、首相を中心に内閣、行政の方が「世論全体の雰囲気を直接導入する気配」が濃厚であるならば、そのことを糾弾する限りにおいて万やむを得ず直接糾弾しないわけにはいかない……というのが現状最も正当性のある組み立てではないでしょうか?
 
 そして、この正当性を担保するためには、それこそ是々非々というか、「腑分け」や「論理」「そもそも論」など言葉にこだわる必要があり、「乱暴を避ける気力」を手放さないことが求められるはずなのです。
 
 だって、簡単に言えば、
 
「安倍首相が乱暴を言うからと言って、私が乱暴を言って良いという話にはならない一方、乱暴を乱暴と言わないと世の中オカシなことになる」
 
 のであるし、そういうことの基準は、例えば議員内閣制度とか、過去の制度や構造を引用し、そこから現状いかに逸脱しているか、またどこまでの逸脱が不正当と見積もられるべきかを丁寧に論理立てられて初めて生じるはずでしょう。



(了)

Category: 政治:安倍「批判・擁護」問題

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 0   

普通に2018年自民党総裁選で首相交代ではダメなのか? 


 そう言えば私、2016年はほぼ丸々一年ブログを書く余裕がなくお休みしていました。

 ですが、それなりに時事などを見ていた感想から言うと、去年はとりわけ酷い年でしたね。

 マジで病むかと思いました。

 ちなみに、私はそれで「倒閣運動をやろう」だなんて思わないけれど、「暴力ならば命と引き換えな分ギリギリセーフかも」とは思う派です。(やりませんけれど)

 それで、2016年は首相に「天誅」が下されても致し方ない出来事が少なくともすぐに三つは思い浮かぶ。


 第一に、天皇のお気持ちに従わず、専門家会議に従って譲位を特例法で済まそうとしていること。

 第二に、オバマの広島訪問後の真珠湾慰霊。

 第三に、トランプ当選後のTPP関連法案強行採決。


 他にも、日露外交の失敗やIR法案などあったし、おまけにギリギリ2015年末だったけど日韓合意がありました。

 2017年になっても相変わらず自由貿易路線は変わらないし、水道法や種子法など構造改革路線の「国家の切り売り」は加速しているようです。


 ・


 しかし一方で、「国民の政権選択で政権に鉄槌を……」みたいな話に至ると、私はそこには同意できません。

 何故なら、小選挙区制度に象徴される「一人一人の国民の政権選択によって時の政権に鎖を付ける」という民主主義的力学を、私は信じないからです。

 そう。
 原則として(暗殺でなければ)、安倍内閣は普通に自民党の総裁選で終わるべきなのです。

 ここ数年のことで言えば、2015年自民党の総裁選で他の候補が出なかったことが最大の問題だったのであり、衆議院選や参院選は別に自民党の勝ちでいいのだし、それ以外にありませんよ。

 安倍政権の問題とは別で「政権与党は自民党であるべき」だし、「安倍首相がダメ」ということと「自民党でなくても済むかどうか」ということはまた別問題でしょう。


 ・


 小沢、小泉に破壊されたとは言え、「自民党」の位相を抜きにして、行政官僚を中心にした国家の諸機能が果たされないのは、これまた無視せざるべからざる現実なのです。

 それは90年代の非自民連立、2000年代後半の民主党政権の歴史から見ても明らかでしょう。

 でも、自民党の位相がマストであるからと言って、別に安倍晋三氏が総裁、首相でなければならないということにはならない……というだけのこと。

 むしろ、安倍内閣が強く長期化すればするほど、次の総裁が首相をやるときの世論の風当たりが強くなる懸念がある。

 私の予想では、おそらく安倍政権後の数年後、再びリベラル政権が立つと思います。

 なぜなら、現今の大衆は、安倍政権を放逐しはしないだろうが、その次の自民党総裁を徹底的に放逐しにかかるであろうからです。

 つまり、結局のところ安倍総裁の次か、次の次で政権交代が起こる可能性が高い。

 それは、安倍政権が不当に長期化すればするほど、確率のあがる最悪な未来予測なのです。


 ・


 2018年に総裁選があり後に衆院選がありますけれど、これは「安倍三選」などという暴挙を許さないのが大事なのであって、現今では「自民党が新たな総裁で衆院選を勝ち抜く」という道筋が、考えうるあらゆる筋の中で一番マシなのです。

 その意味では、今年の三月の自民党党大会で正式に三選が党規則で認められることとなってしまったのは、非常に痛いことなのかもしれません。

 派閥組織や族議員の構造が壊れてしまっている以上、「首相の支持率」にすがる他ないという力学が自民党に蔓延しているのかもしれませんが、それでは自民党に未来はありません。

 自民党に未来がなくなることそのものは別にどーでもいいのですが、自民党に未来がなくなれば、日本は既存の政治構造を抜本的に失うことになります。

 自民党員にはそこらへんよくふまえて、次期総裁と2018年総裁選について真剣に考えてもらいたいです。


(了)

  にほんブログ村 政治ブログへ

Category: 政治:安倍「批判・擁護」問題

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 0   

安倍信者と反・安倍についての雑感 


 すごくざっくり言って安倍晋三首相の最大の問題は、「自民党」内の意見を無視し、既存の「政治慣習」を打ち破って改革するところにあります。

 これは昨今では特に適菜治さんが盛んに指摘しているとこりでありますし、リベラルの中でも同じようなことを言う者はある。

 で、その問題指摘そのものは確かに正しいのです。



 逆に、「安倍信者」と評して差し支えないホシュ言論人は、むしろ「自民党」や「政治慣習」を蔑ろにすることが多い。

 これは意外に思われるかもしれないが、実際そうなのです。

 要するに、「安倍さんは、ロクでもない自民党や官僚と戦っているんだ理論」です。

 でも、この都合のイイ理論こそが安倍政権の「癌(ガン)」を象徴的に表しているということは、強調しておかなければなりません。

 だって、これもよく言われることですが、こうした「人気内閣が自民党の構造や政治慣習に囚われず改革する」という構造は、小泉政権の改革力学と同じでしょう。

 人気首相が自民党や官僚に囚われないで改革するという話は、ようするに直接民主主義であり、ガキ理論なのです。

 内閣、行政府に大切なのは、「地方や産業の構造」に繋がる「自民党の構造」や、複雑なる国家における様々な行政機能を組織として果たす「中央官僚の構造」に囚われておくことなのです。

 これらは、例え現在相当部分が壊されたとて、複雑なる国家を運営するためにはこの歴史的構造物の土台の上で政府機能を存立させる以外に道はないのであり、逆に言えば、政府機能の強化は「自民党と官僚の力に囚われる内閣」でしかなし得ないとすら言えるのです。

(ただ、もちろんそれは状況次第で、危機に応じて独裁的トップダウンが求められる場合は当然あるでしょう。例えば、戦争やデフレ脱却など)


 ・


 でも、安倍首相が小泉首相と違うのは、構造改革的なものに加えて「ホシュっぽさを醸すもの」をより強く入れるところです。

 これが話をややこしくしている。

 例えば、第一次安倍政権を象徴する政策を二、三取り上げると、小泉首相の「聖域なき構造改革」の延長線上としての「道路特定財源の一般財源化」など行うと同時に、「教育基本法の改正」を断行したりもした。

 そりゃあ確かに、教育基本法の改正は、日本国憲法の改正に次ぐ「戦後レジーム」の持つ重大課題でした。

 でも、この教育基本法改正の「内容」は、いわば「毒にも薬にもならない」ものであり、良く言って「一石を投じるもの」くらいでしかなかった。
 憲法で言えば、「九条二項をいじらず自衛隊を明記」みたいなもんです。

 でも道路特定財源の一般財源化はそのとおり進んだわけです。


 ・


 そう。安倍首相のホシュっぽい政策はおおよそかくのごとくで、「ホシュっぽさ」を強調するだけはするものの「内容はスカスカ」なのでした。

 それは、安保法制や、2020年へ向けた改憲提言にも見られるごとくです。
(その中では、教育基本法改正はまだ立派なものの部類に入ると思いますけれど)

 その一方、構造改革路線……すなわち日米構造協議や年次改革要望書でアメリカに提案され続けてきた「日本市場のアメリカ化による、市場解放」に沿った改革路線の方は着実に進められてきた。


 ・


 まとめると、安倍政権で実際に起こることは、

1「構造改革路線の強行」

 と、

2「中身のスカスカなホシュ政策の強行」

 ということになります。

 それで、ホシュは2を見て喜び、リベラルは2を見てムカつくというわけ。

 一方で1は規定路線として進んでいくというわけです。


 ・


 ただ、こうした安倍首相の問題構造に対し、安保法制から森友学園問題に至ると、少しおかしな方向での安倍批判が目立つようにもなった。


 それは、大きくわけて二つ。


 一つは、安倍首相の「中身のスカスカなホシュ政策」の「ホシュっぽさそのもの」に過剰反応する「問題視の仕方」です。

 そもそも「ホシュっぽさを醸す」のが低劣なのは、「ホシュっぽさを醸すことによって、別の都合を果たそうとする」精神構造があるからです。

 でも、「醸されたホシュっぽさそのもの」を「マジ」に受け取って反発するのは単なる「反・ウヨク」にすぎないでしょう。



 もう一つは、安保法制で流行った「立憲主義は政府を制限するもの」という詭弁に象徴される、民主主義的気分です。

 その詭弁を下支えするのは、「政府権力は必ず暴走するから」というものですが、それは反政府的な政治活動に都合のイイ「物語」というものです。

 だって、「政府を制限しさえすればよい」というわけにはいかないのであるし、立憲主義が政府を制限すると共に「政府の存立根拠」にもなっていることは、あきらかなのです。

 こうした都合のイイ詭弁は、必ず「政府は暴走するものだから、何を言ってもよい」となったり、「大衆的ケンリ請求」を甘く見る根拠になったりするのです。

 すなわち、「今の政権がよろしくないから、とにかく攻撃すればよい」という話になってくる。


 ・


 確かに、安倍政権は構造改革路線の継続を日に増し強くし、国家を切り売りしていると思います。

 その割りには支持率が高いのも、非常に問題だとも思う。

 ただ、森友学園問題や安保法制の騒ぎのごとき政権批判は、「政権の暴走」に対する「民主主義の暴走」でしかない。

 で、仮に民主主義の暴走で安倍政権が倒れても、構造改革路線は解消されません。

 「ホシュっぽい政策」の強調がなくなるだけです。

 あってもなくても良いような「ホシュっぽい政策」がなくなっても、実際はどうということはないはずでしょう。

 でも、これへとりわけ敵愾心が集約されやすいのは、反安倍、政権批判が、単に「国家に縛られたくない」という請求に堕しやすいからです。

 少し前の「特定機密保護法」への反発や、昨今の「共謀罪」への過剰な反発などはまさにそれです。

 でも、そういう単に「国家に縛られたくない」という個人視線の請求へ堕すことは、「個人の思想の死」を意味するのです。

 必要なのは、「個人目線の個人的請求の集約した政権批判」ではなく、「必ずしも時の政権に従うばかりではない、統治者目線の思想」なのです。

 そうであればこそ、我々は我々の「政府」を再構築してゆく可能性が生じるのであります。



(了)

Category: 政治:安倍「批判・擁護」問題

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 0   

安倍首相への大衆的評価の無意味 



 私は基本的に、「安倍首相を支持する」あるいは「安倍首相を支持しない」という平民の声には、一切の意味を認めません。

 まず、我々国民の一人一人は、基本的に内閣総理大臣の選定に直接関与する権利はない。我々は国会議員の選定に責任を持っていますが、内閣の選定に関しては国会議員へ責任を委託している。そうした議員内閣制度の上で間接性を担保し、「大衆」の醜さを抑制する機能を担保しようとしているのだから、むやみやたら滅法に平民の一人一人が直接ピーピー政治や内閣へ口を出して良いはずはないのです。

 いいですか。そもそも、内閣に対して口を出すべきなのは国会議員なのです。とりわけ「自民党」という既存の政治組織がするべきことでした。

 特に自民党の議員が昭和時代まで発揮してきたのは、「地域共同体やコネやシガラミや既得権益を代表する」という政治力学だった。これが「内閣」と「議会」の拮抗を生み、国民の常識を中間団体を介して生かし、議論の前提や政権運営の安定性を確保してきたのです。
 しかし、(小選挙区制度の導入も無視はできませんが、)何と言っても地域共同体、産業共同体そのものが超近代(ウルトラモダン)の帰結として崩れ、自民党の政治共同体も組織の力を失ってしまいます。

 よって、小泉政権以降、内閣の力が強大になったように見えるのは、共同体に力がなくなったがゆえに議会に力がなくなって、相対的に内閣が権力を保持するようになったからなのです。

 ですから昨今の政治的様相を、安倍首相個人の人格が「良い」ないしは「悪い」などというところで説明しようとしても、そもそもあまり意味がないでしょう。
 要するに、内閣に対して拮抗すべき自民党……ひいては国民共同体の網の目が崩れ、残った権力の座が「人気者としての首相」という階級だけになってしまったということなのですから。
 このことを「安倍首相が素晴らしいから良いことである」と評価しても、「いや、やはり安倍首相の考え方そのものが劣悪なのだ」と言い張ったとしても、現実を適切に描写しているとは言いがたい。だって、そこには見逃すことのできない齟齬があるでしょう。


 かつての自民党内で行われていた「党」と「内閣」という勢力の拮抗の論理は失われてしまった。ですから、本当に必要なのは、どのようにそうした政治力学を下支えする共同体を再構築するか……という気の長い話であるはずなのです。

 さて、ここで気をつけてもらいたいことが一つ。
 すなわち、ここで「大衆市民言論」にだけは、主導権をとられてはならないということです。 
 大衆市民言論というものは、そもそも基本的に無い方が良いものなのですから。

 大衆市民言論とは、結局のところインテリとインテリのシンパで構成された有象無象なのです。

 今回の安保法制の件でピーヒャラ国会の周りを取り囲んだ青二才共。
 あるいは、若造のネットウヨクによるよくわからないデモ。
 はたまた、橋下市長の大阪都構想の応援へ熱をあげた若者たち。

 そういった群れを成してされる政治活動には一切の価値がないことを、私は強く確信しているのです。
 彼らは今は若いので、コトの恥ずかしさ、晒している醜態のおぞましさに気づかないのかもしれません。が、大人になって反芻したとき、確実に赤面せざるをえなくなるに決まっているのです。(もっとも、死ぬまで成熟しないのであれば、それはそれで幸せかもしれませんが)

 また、それを「今の若者にも希望が持てる」などと理解ある大人ぶって評す輩も、まことにケシカランことだと思います。大人なら、群れて政治活動をしようなどという若い連中など、「愚かな真似はよせ」と叱り飛ばさなければならないと思うのですが。



(了)


Category: 政治:安倍「批判・擁護」問題

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 0   
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。