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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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普通に2018年自民党総裁選で首相交代ではダメなのか? 


 そう言えば私、2016年はほぼ丸々一年ブログを書く余裕がなくお休みしていました。

 ですが、それなりに時事などを見ていた感想から言うと、去年はとりわけ酷い年でしたね。

 マジで病むかと思いました。

 ちなみに、私はそれで「倒閣運動をやろう」だなんて思わないけれど、「暴力ならば命と引き換えな分ギリギリセーフかも」とは思う派です。(やりませんけれど)

 それで、2016年は首相に「天誅」が下されても致し方ない出来事が少なくともすぐに三つは思い浮かぶ。


 第一に、天皇のお気持ちに従わず、専門家会議に従って譲位を特例法で済まそうとしていること。

 第二に、オバマの広島訪問後の真珠湾慰霊。

 第三に、トランプ当選後のTPP関連法案強行採決。


 他にも、日露外交の失敗やIR法案などあったし、おまけにギリギリ2015年末だったけど日韓合意がありました。

 2017年になっても相変わらず自由貿易路線は変わらないし、水道法や種子法など構造改革路線の「国家の切り売り」は加速しているようです。


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 しかし一方で、「国民の政権選択で政権に鉄槌を……」みたいな話に至ると、私はそこには同意できません。

 何故なら、小選挙区制度に象徴される「一人一人の国民の政権選択によって時の政権に鎖を付ける」という民主主義的力学を、私は信じないからです。

 そう。
 原則として(暗殺でなければ)、安倍内閣は普通に自民党の総裁選で終わるべきなのです。

 ここ数年のことで言えば、2015年自民党の総裁選で他の候補が出なかったことが最大の問題だったのであり、衆議院選や参院選は別に自民党の勝ちでいいのだし、それ以外にありませんよ。

 安倍政権の問題とは別で「政権与党は自民党であるべき」だし、「安倍首相がダメ」ということと「自民党でなくても済むかどうか」ということはまた別問題でしょう。


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 小沢、小泉に破壊されたとは言え、「自民党」の位相を抜きにして、行政官僚を中心にした国家の諸機能が果たされないのは、これまた無視せざるべからざる現実なのです。

 それは90年代の非自民連立、2000年代後半の民主党政権の歴史から見ても明らかでしょう。

 でも、自民党の位相がマストであるからと言って、別に安倍晋三氏が総裁、首相でなければならないということにはならない……というだけのこと。

 むしろ、安倍内閣が強く長期化すればするほど、次の総裁が首相をやるときの世論の風当たりが強くなる懸念がある。

 私の予想では、おそらく安倍政権後の数年後、再びリベラル政権が立つと思います。

 なぜなら、現今の大衆は、安倍政権を放逐しはしないだろうが、その次の自民党総裁を徹底的に放逐しにかかるであろうからです。

 つまり、結局のところ安倍総裁の次か、次の次で政権交代が起こる可能性が高い。

 それは、安倍政権が不当に長期化すればするほど、確率のあがる最悪な未来予測なのです。


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 2018年に総裁選があり後に衆院選がありますけれど、これは「安倍三選」などという暴挙を許さないのが大事なのであって、現今では「自民党が新たな総裁で衆院選を勝ち抜く」という道筋が、考えうるあらゆる筋の中で一番マシなのです。

 その意味では、今年の三月の自民党党大会で正式に三選が党規則で認められることとなってしまったのは、非常に痛いことなのかもしれません。

 派閥組織や族議員の構造が壊れてしまっている以上、「首相の支持率」にすがる他ないという力学が自民党に蔓延しているのかもしれませんが、それでは自民党に未来はありません。

 自民党に未来がなくなることそのものは別にどーでもいいのですが、自民党に未来がなくなれば、日本は既存の政治構造を抜本的に失うことになります。

 自民党員にはそこらへんよくふまえて、次期総裁と2018年総裁選について真剣に考えてもらいたいです。


(了)

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Category: 政治:安倍「批判・擁護」問題

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安倍信者と反・安倍についての雑感 


 すごくざっくり言って安倍晋三首相の最大の問題は、「自民党」内の意見を無視し、既存の「政治慣習」を打ち破って改革するところにあります。

 これは昨今では特に適菜治さんが盛んに指摘しているとこりでありますし、リベラルの中でも同じようなことを言う者はある。

 で、その問題指摘そのものは確かに正しいのです。



 逆に、「安倍信者」と評して差し支えないホシュ言論人は、むしろ「自民党」や「政治慣習」を蔑ろにすることが多い。

 これは意外に思われるかもしれないが、実際そうなのです。

 要するに、「安倍さんは、ロクでもない自民党や官僚と戦っているんだ理論」です。

 でも、この都合のイイ理論こそが安倍政権の「癌(ガン)」を象徴的に表しているということは、強調しておかなければなりません。

 だって、これもよく言われることですが、こうした「人気内閣が自民党の構造や政治慣習に囚われず改革する」という構造は、小泉政権の改革力学と同じでしょう。

 人気首相が自民党や官僚に囚われないで改革するという話は、ようするに直接民主主義であり、ガキ理論なのです。

 内閣、行政府に大切なのは、「地方や産業の構造」に繋がる「自民党の構造」や、複雑なる国家における様々な行政機能を組織として果たす「中央官僚の構造」に囚われておくことなのです。

 これらは、例え現在相当部分が壊されたとて、複雑なる国家を運営するためにはこの歴史的構造物の土台の上で政府機能を存立させる以外に道はないのであり、逆に言えば、政府機能の強化は「自民党と官僚の力に囚われる内閣」でしかなし得ないとすら言えるのです。

(ただ、もちろんそれは状況次第で、危機に応じて独裁的トップダウンが求められる場合は当然あるでしょう。例えば、戦争やデフレ脱却など)


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 でも、安倍首相が小泉首相と違うのは、構造改革的なものに加えて「ホシュっぽさを醸すもの」をより強く入れるところです。

 これが話をややこしくしている。

 例えば、第一次安倍政権を象徴する政策を二、三取り上げると、小泉首相の「聖域なき構造改革」の延長線上としての「道路特定財源の一般財源化」など行うと同時に、「教育基本法の改正」を断行したりもした。

 そりゃあ確かに、教育基本法の改正は、日本国憲法の改正に次ぐ「戦後レジーム」の持つ重大課題でした。

 でも、この教育基本法改正の「内容」は、いわば「毒にも薬にもならない」ものであり、良く言って「一石を投じるもの」くらいでしかなかった。
 憲法で言えば、「九条二項をいじらず自衛隊を明記」みたいなもんです。

 でも道路特定財源の一般財源化はそのとおり進んだわけです。


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 そう。安倍首相のホシュっぽい政策はおおよそかくのごとくで、「ホシュっぽさ」を強調するだけはするものの「内容はスカスカ」なのでした。

 それは、安保法制や、2020年へ向けた改憲提言にも見られるごとくです。
(その中では、教育基本法改正はまだ立派なものの部類に入ると思いますけれど)

 その一方、構造改革路線……すなわち日米構造協議や年次改革要望書でアメリカに提案され続けてきた「日本市場のアメリカ化による、市場解放」に沿った改革路線の方は着実に進められてきた。


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 まとめると、安倍政権で実際に起こることは、

1「構造改革路線の強行」

 と、

2「中身のスカスカなホシュ政策の強行」

 ということになります。

 それで、ホシュは2を見て喜び、リベラルは2を見てムカつくというわけ。

 一方で1は規定路線として進んでいくというわけです。


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 ただ、こうした安倍首相の問題構造に対し、安保法制から森友学園問題に至ると、少しおかしな方向での安倍批判が目立つようにもなった。


 それは、大きくわけて二つ。


 一つは、安倍首相の「中身のスカスカなホシュ政策」の「ホシュっぽさそのもの」に過剰反応する「問題視の仕方」です。

 そもそも「ホシュっぽさを醸す」のが低劣なのは、「ホシュっぽさを醸すことによって、別の都合を果たそうとする」精神構造があるからです。

 でも、「醸されたホシュっぽさそのもの」を「マジ」に受け取って反発するのは単なる「反・ウヨク」にすぎないでしょう。



 もう一つは、安保法制で流行った「立憲主義は政府を制限するもの」という詭弁に象徴される、民主主義的気分です。

 その詭弁を下支えするのは、「政府権力は必ず暴走するから」というものですが、それは反政府的な政治活動に都合のイイ「物語」というものです。

 だって、「政府を制限しさえすればよい」というわけにはいかないのであるし、立憲主義が政府を制限すると共に「政府の存立根拠」にもなっていることは、あきらかなのです。

 こうした都合のイイ詭弁は、必ず「政府は暴走するものだから、何を言ってもよい」となったり、「大衆的ケンリ請求」を甘く見る根拠になったりするのです。

 すなわち、「今の政権がよろしくないから、とにかく攻撃すればよい」という話になってくる。


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 確かに、安倍政権は構造改革路線の継続を日に増し強くし、国家を切り売りしていると思います。

 その割りには支持率が高いのも、非常に問題だとも思う。

 ただ、森友学園問題や安保法制の騒ぎのごとき政権批判は、「政権の暴走」に対する「民主主義の暴走」でしかない。

 で、仮に民主主義の暴走で安倍政権が倒れても、構造改革路線は解消されません。

 「ホシュっぽい政策」の強調がなくなるだけです。

 あってもなくても良いような「ホシュっぽい政策」がなくなっても、実際はどうということはないはずでしょう。

 でも、これへとりわけ敵愾心が集約されやすいのは、反安倍、政権批判が、単に「国家に縛られたくない」という請求に堕しやすいからです。

 少し前の「特定機密保護法」への反発や、昨今の「共謀罪」への過剰な反発などはまさにそれです。

 でも、そういう単に「国家に縛られたくない」という個人視線の請求へ堕すことは、「個人の思想の死」を意味するのです。

 必要なのは、「個人目線の個人的請求の集約した政権批判」ではなく、「必ずしも時の政権に従うばかりではない、統治者目線の思想」なのです。

 そうであればこそ、我々は我々の「政府」を再構築してゆく可能性が生じるのであります。



(了)

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安倍首相への大衆的評価の無意味 



 私は基本的に、「安倍首相を支持する」あるいは「安倍首相を支持しない」という平民の声には、一切の意味を認めません。

 まず、我々国民の一人一人は、基本的に内閣総理大臣の選定に直接関与する権利はない。我々は国会議員の選定に責任を持っていますが、内閣の選定に関しては国会議員へ責任を委託している。そうした議員内閣制度の上で間接性を担保し、「大衆」の醜さを抑制する機能を担保しようとしているのだから、むやみやたら滅法に平民の一人一人が直接ピーピー政治や内閣へ口を出して良いはずはないのです。

 いいですか。そもそも、内閣に対して口を出すべきなのは国会議員なのです。とりわけ「自民党」という既存の政治組織がするべきことでした。

 特に自民党の議員が昭和時代まで発揮してきたのは、「地域共同体やコネやシガラミや既得権益を代表する」という政治力学だった。これが「内閣」と「議会」の拮抗を生み、国民の常識を中間団体を介して生かし、議論の前提や政権運営の安定性を確保してきたのです。
 しかし、(小選挙区制度の導入も無視はできませんが、)何と言っても地域共同体、産業共同体そのものが超近代(ウルトラモダン)の帰結として崩れ、自民党の政治共同体も組織の力を失ってしまいます。

 よって、小泉政権以降、内閣の力が強大になったように見えるのは、共同体に力がなくなったがゆえに議会に力がなくなって、相対的に内閣が権力を保持するようになったからなのです。

 ですから昨今の政治的様相を、安倍首相個人の人格が「良い」ないしは「悪い」などというところで説明しようとしても、そもそもあまり意味がないでしょう。
 要するに、内閣に対して拮抗すべき自民党……ひいては国民共同体の網の目が崩れ、残った権力の座が「人気者としての首相」という階級だけになってしまったということなのですから。
 このことを「安倍首相が素晴らしいから良いことである」と評価しても、「いや、やはり安倍首相の考え方そのものが劣悪なのだ」と言い張ったとしても、現実を適切に描写しているとは言いがたい。だって、そこには見逃すことのできない齟齬があるでしょう。


 かつての自民党内で行われていた「党」と「内閣」という勢力の拮抗の論理は失われてしまった。ですから、本当に必要なのは、どのようにそうした政治力学を下支えする共同体を再構築するか……という気の長い話であるはずなのです。

 さて、ここで気をつけてもらいたいことが一つ。
 すなわち、ここで「大衆市民言論」にだけは、主導権をとられてはならないということです。 
 大衆市民言論というものは、そもそも基本的に無い方が良いものなのですから。

 大衆市民言論とは、結局のところインテリとインテリのシンパで構成された有象無象なのです。

 今回の安保法制の件でピーヒャラ国会の周りを取り囲んだ青二才共。
 あるいは、若造のネットウヨクによるよくわからないデモ。
 はたまた、橋下市長の大阪都構想の応援へ熱をあげた若者たち。

 そういった群れを成してされる政治活動には一切の価値がないことを、私は強く確信しているのです。
 彼らは今は若いので、コトの恥ずかしさ、晒している醜態のおぞましさに気づかないのかもしれません。が、大人になって反芻したとき、確実に赤面せざるをえなくなるに決まっているのです。(もっとも、死ぬまで成熟しないのであれば、それはそれで幸せかもしれませんが)

 また、それを「今の若者にも希望が持てる」などと理解ある大人ぶって評す輩も、まことにケシカランことだと思います。大人なら、群れて政治活動をしようなどという若い連中など、「愚かな真似はよせ」と叱り飛ばさなければならないと思うのですが。



(了)


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