10 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 12

日本が日本であるために

 

  TOP > CATEGORY - 政治       
  

2017年衆議院選挙を前にして(3) 

 
 
 もっとも、今回の選挙には、「小泉郵政選挙」や「民主党政権交代選挙」のような風は吹かないでしょう。
 何故なら、『選択感』が薄いからです。
 希望の党は政権を取るには候補者不足だし、小池百合子は不出馬とのことですから、市民的大衆人たちの多くは家で寝ているのではないでしょうか?
 でも、すべての市民的大衆人たちが家で寝ているというふうにもいかないでしょう。
 で、そういう連中の多くは、目新しさで、おふざけで、退屈しのぎで、この急ごしらえの新党へ投票することでしょう。直近では、都議会議員選挙の例もありましたしね!
 だから、希望の党はそれなりの議席数は確保するんじゃないですか。
 でも、この議会で勢力を持った新党は、選挙後に与党側につこうと、野党側につこうと、大衆を背景とした災い以外の何ものをももたらさないに決まっているのです。
 まあ、それはそうとて、影響力は小さいでしょうから放っておけばよいのかもしれないですけれど、私が気に食わないのは「希望の党そのもの」というよりは、このフザケタ騒ぎの「フザケタ感そのもの」なのです。
 で、そのフザケタ感が許されたのは「民主主義の礼賛」が世論の通底にあるから、というのが透けて見えるからです。
 こんなにフザケているのに
「一人一人が政治選択できる可能性があがることによって、時の政権を制限できる」
 という一事があったので、小池劇場という「現象」として(一瞬ではあったものの)閃光を放ちえたのでしょう!
 私はこういうフザケタのが嫌いであり、我慢がならないのです。
 
 そう言えば少し前に「立憲主義とは政府を制限すること」というような話がまことしやかに囁かれましたけれど、それは間違っています。
 だって、政府、権力を制限していさえすればよいというものではないに決まっているのだし、その制限のケンリが我々一人一人に振り分けられていると考える仕方は市民革命以降のリベラル的法パラダイムにすぎません。
 
 
 ◆
 
 
 我々は庶民として、かすかなシガラミを発見して、シガラミによる投票で、「シガラミの政治」の復活を目指すべきなのです。
 
 確かに、我々はすでに21世紀を生きていて、ほとんどシガラミの希薄なバラバラな市民的大衆人として、無価値な市民的生活を送っているわけですが、それでもまだ我々が日本人である可能性があるのは、シガラミが霧散し切ったわけではないからだと私は信じます。
 
 それでも、「投票する根拠となるようなシガラミがない」というのであれば、あなたのお住まいの選挙区の中で「候補者の人柄」を見て判断するとか、それくらいのケンリならば我々にも付与されているのかもしれません。
 
 でも、「シガラミもないし、よくわからないけれど無理矢理誰かに投票しなければならない」ということはないのであるから、そうした場合は遠慮なく家で寝ていていただければと存じます。
 
 
(了)
スポンサーサイト

Category: 政治

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 0   

2017年衆議院選挙を前にして(2) 


 例えば、このたびの選挙も同様です。
 みなさんが現政権を支持しているか不支持しているか、何党を支持しているか……は存じませんが、まず我々の一人一人には、
1「具体的な政策」
2「誰が首相なのが良いか」
 といったものを直接選ぶケンリなどないのです。

 まず我々は普段の仕事が忙しいのであり、このように膨大な国家の複雑に互いが絡まり合う諸政策について、全体的に把握し、具体的な政策論を適切に構築できるようなヒマなどあるわけはないでしょう。少なくとも私にはありません。
 また、日本国憲法がなんと言おうと一人一人の人民のケンリは国家を存続するのに資するぶんだけ制限してしかるべきだし、その日本国憲法でさえ、議員内閣制を前提としているのだから、首相は「各地の国民が選んだ代議士……が選んだ者」を天皇が任命してその権威を付与する健全な間接性を担保しうるものなので、「我々一人一人が直接的に首相を選択してしまう力学」は議員内閣制度の健全性すら毀損していることになるのです。

 まあ、私個人は別に安倍首相長期政権が「ベターな解」であるとは思っていません。
 安倍首相は、保守層からの支持以上に、インテリ知識人の雰囲気に迎合して「規制緩和」と「グローバリズム」へ傾きがちであり、規制緩和論とグローバリズムに傾きがちであることの背景には「100%の日米同盟」への依存度の高さを容認しすぎという部分があるのであり、日米同盟への依存度の克服を視野に入れない憲法改正論では、むしろ国家の独立を毀損する可能性が高いというふうに私個人は思っています。その証拠に、アメリカが「失望」すれば、靖国神社へは露ぞ参拝しなくなるのであり、また日韓合意というものがされてしまった背景には当然この力学があるに決まっているでしょう。
 さらに言えば、安易な規制緩和論とグローバリズムは、そのこと自体が、国民の帰着する産業や共同体を破壊するのであるから、国家そのものを空洞化させる力学にもなる。また平成の30年ほどの国力の凋落も「日米構造協議」以降の構造改革路線が、バブル後の長期デフレと絡まりあって起こったのであるから、日本の国力の増進という観点から見ても安倍首相が最適解であるかはかなり疑わしい部分がある。もちろん、アベノミクスという経済政策には「経済に対する強い国家の介入」の可能性があったわけですが、現状はそれも規制緩和路線の焼き回しにより不十分な形に終始してしまったという印象です。

 でも、それは単なる外から見た私個人の見立てであり、私の見立ては間違っているのかもしれないのであり、そうである以上、私の選択権はある範囲で制限されていなければならないということでしょう。

 ですから、「選挙で政権にお灸を据える」というような選挙に対する大衆的な態度にも、私は全然賛成できないのです。
 それはつまり、
「多数の人間が政権の『信任、不信任』を選択することによって、権力に鎖を付ける」
 というような民主主義的な考え方を容認することになってしまうからです。

 もちろん、権力を制限することは「ある程度は」必要なことでしょう。
 でも、その制限するケンリが、何故「多数の人間の選択の集合したもの」なんかに付与されて良い……と前提しているのですか?
 権力の制限は、あらゆる位相の分権的な権力均衡によってなされるべきものです。
 もちろん、その慣習的に分権された勢力均衡を、「首相(総裁)に集中した権力」でもって打ち破ってしまうのが安倍首相なのですけれど、だからと言ってこれに対するパワーとして「多数の人間の選択の集合したもの」にケンリを設定してよい……というわけにはいきません。
 そもそも、昨今の「首相(総裁)に集中した権力」というものも「多数の人間の選択の集合したもの」によって形作られてきたというのが平成の歴史だったではないですか。すなわち、リクルート事件その他の疑獄事件について白も黒も、ミソもクソも、一緒くたに、腑分けなしに、ピーピー芸能不倫スキャンダルを騒ぐがごとく、自民党をイジメ尽くした結果、「政治制度改革」というものが世論的に礼賛されるようになった。
 そして、政治制度改革とは「小選挙区制度」と「政治資金規正法」であり、これらが「自民党や派閥、族議員」に対する「総裁、党執行部」の権限を強化することになり、そして、そのことを小泉政権では「自民党をぶっ壊す」とて国民をあげて礼賛していたではないですか。(今風に言えば、シガラミからの脱却というヤツでしょうか?)

 つまり、少し前の「多数の人間の選択の集合したもの」によって「首相(総裁)に集中した権力」が形成され、加藤の乱などを経て、小泉純一郎という徹底した存在が現れ、その末裔として安倍晋三があるのに、また「今の多数の人間の選択の集合したもの」によってこれを打ち破ったとしても、最高でも同程度の邪悪性を有するものであろうし、そもそも「少し前に選んだ自分たちの選択」にちっとも責任を感じないばかりか、記憶にすらとどめていないような連中に、そんな好き勝手に行使できるケンリが付与せれていて良いと考えるのは傲慢にもほどがあるでしょう。


(続く)

Category: 政治

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 0   

2017年衆議院選挙を前にして(1) 


 平成29年(2017年)衆議院議員選挙の候補者が10月10日に公示されました。

 そう言えば、私が選挙のあるたびにいつも注目するのは「投票率」です。ただ、こう言うと絶対に誤解されると思うので言っておくと、私は「投票率が高いことを願って、投票率に注目している」のではありません。

 私の注目の仕方は、
「投票率が低いことを願って、投票率に注目している」
 のです!

 世の中では何か、「投票率の高い方が民主主義的で良い」みたいなことが前提されているように思われます。でも、私は「投票率が高い方が民主主義が直接的になってしまう……から悪い」というふうに思うのです。
 
「投票率が高くなると、民主主義が直接的になってしまう」

 というのはこういうことです。
 まず、よくよく考えて欲しいのは、「投票率が高い」ということは「いつもは選挙に行かないヤツが、その時の選挙では投票所へ足を運ぶ」ということを意味するわけでしょう。
 ということは、その率の増えたぶんは「投票する周りのシガラミ」を持たない「市民的大衆人」の(どんなに好意的に言っても)「好き勝手な判断」であることを意味します。
 つまり、これが「浮動票」というものです。
 逆に言うと、浮動票というのは、地域や産業のシガラミを持たない「バラバラな市民的大衆人」の「好き勝手な判断」であるからこそ、一般的に邪悪なものなのであります。
 そもそも、こうしたシガラミを持たない(持てない、可哀想な)彼らの多くは、普通は選挙など行きません。
 で、理論上、こうした人間たちの最もマシな政治判断は、
「選挙へ行かないこと」(あるいは、白票を投じること)
 なのです。
 この場合、当然「投票率」は低くなる。ので、選挙なんて信じない私は、投票率が低いことだけを願って選挙を見ているのです。
 でも、そんな市民的大衆人たち(浮動票)も、自分の無前提で勝手な判断か、メディアの流行に流されてか、選挙へ行くことがある。
 バラバラな市民的大衆人が、日曜日に家で寝ているんではなく、わざわざ投票所へ足を運ぶ状況とは、どんな状況か?
 それは、
「市民的大衆人の関心をくすぐる、なんらかの『選択性』が世論的、政局的に盛り上がった時」
 でしょう。

 具体的にどういう状況がそれにあたるか。
 たとえば、昔、小泉純一郎とかいう輩の「郵政解散選挙」という乱チキ騒ぎがありましたね。(※これは私のちょうど20歳の頃で、悪い意味で鮮烈な印象があります。もう誰も本気で日本をやって行こうとは思っていないことが知れた出来事でした)
 その後、麻生政権を滅ぼし民主党政権を作りだした「政権交代選挙」というのもありましたね。(※あれはリーマンショック後のことでしたから、世の大人は子供世代のことなんぞちっとも考えていないということが分かった出来事でしたね)
 あるいは90年代に遡って、(私は小さくてほぼ記憶にないのですが、)小沢一郎が選挙制度改革を大義に主導した選挙で、非自民連立内閣を形成した時も、おそらくそういうことだったのではないでしょうか?
 これらの選挙は、極めて高い「投票率」があったらしいですが、すべて「大失敗」の選挙でした。
 まあ、もっとも。もし「民主主義」というものが最上の目的として設定されて、
「一人一人の国民が、より多く政治的判断を下す」ことによって「政府を制限する」
 ことが、最も高い価値を有すると思考的に「設定」していれば、「政治制度改革」も「郵政解散選挙」も「民主党政権交代選挙」も、すべて「良いモノ」ということになるでしょう。
 でも、政府、政治の大目的は、
「天皇を中心とした文化圏(日本国家)を、千年先も存続させようとすること」
 なのですから、「民主的な制度」がその「手段」となる位相はあるにせよ、上の例のごとく「民主主義によって政府(権力)を制限することそのもの」が「目的化」してしまった政治力学は、政治s力学としても「大失敗」だし、政策的に見てもやはり大失敗を引き起こしているのです。

 その証拠に、当時はずいぶんと世論で喝采されていたらしい政治制度改革ですが、特に安部政権下になってからはみんなが「小選挙区制度がマズかった」「政治資金規正法がマズかった」と言うようになっていますでしょう。
(※頑固なヤツは知らんですけど)
(※また、今マズかったと言っていたヤツが、当時世論に迎合していなかったかというのも非常に怪しい気がします)

 あるいは、今や郵政民営化がよかったなんて言うヤツはいないし、民主党政権がよかったなんて言うヤツもない。
(※これも頑固なヤツは知らんし、当時世論に迎合していなかったかどうか怪しいというのも同じ)

 で、これらの選挙で投票率が高かったのは、周知の事実でしょう。
 つまり、こうした選挙では、日曜は普段家で寝ている市民的大衆人がたくさん投票所へ行ってしまっていたということになる。
 
 そして、何故、彼らは投票所へ行ったのか。
 そのポイントは世論の盛り上がりの「風」という言われ方もしますが、より根本的に言えば、『選択性』です。
 つまり、
「自民党か、非自民連立か」
「郵政民営化をやるか、やらないか」
「自民党か、民主党か」
 こういう選択性があるときに、市民的大衆人(浮動票)は羽虫のように投票所へ行くのです。

 つまり、近代的な自我の増大した市民、大衆は、「何か直接的に選択したい」のです。
「俺にも何か選ばせろ!」
 と、こういうわけ。
 ゲロ以下の、餓鬼のように、醜く、低劣に。
 また、マスメディアは大衆の消費選好を満たすために番組をしつらえるのであるから、大衆はマスメディアに騙されているのではなく、マスメディアが大衆の求めるところを提供する方が先で、大衆は後から「マスメディアに騙されたのだ!」という保険の効くことを狡猾に意識しながら、ノーリスクで選択権を行使するというわけ。

 一方、毎回ほぼ強制的に投票所へ足を向けざるをえない「庶民」はそうではありません。
 国家、産業、共同体のシガラミ(中間団体)を持った「庶民」というのは、別に自分自身の勝手な判断で投票するのではありませんね。
「あの人は自分の地域に貢献した家の人だから」
「自分の家は代々あの政党に投票しているから」
「家長があの人に投票するから一家で投票する」
「あの人は、自分の会社と繋がりのある人だから」
「自分の所属する産業や組合が支持している政党だから」
 ……庶民は、そういう「シガラミ」によって投票するのであって、だからこそ間接性が担保される。
 で、間接性が担保されて初めて、民主主義という最悪な制度は、かろうじて最悪を免れえる可能性が残るわけです。
 だから、原理的に言って、投票権はそういう「庶民」にだけ与えられているべきなのであって、
「直接的に政治選択をしたい」
 などと構えているゲロ的な「市民的大衆人」からは、そのケンリをはく奪して然るべきなのであります。

 ◆

 まあ、これを区分けする方法がないから不可能なのですが、理論上はそういうことになりますでしょう。

 そして、理論上のことを確認しておくことはとても重要なことです。



(続く)


Category: 政治

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 0   

公務員給与倍増計画 

 私は本当に不思議で仕方ないのです。デフレで、これだけ給与や賃金の事が言われる中で、何故、「公務員の給与を上げろ!」という声が聞こえて来ないのか、という事が……


 公務員給与倍増だなんて反対だ……という方には無理にとは申しませんが、そうではない方はランキングにご協力ください。お忘れにならぬよう、押してから読んでいただけると嬉しいです。





1img_2956_s.jpg

 当たり前ですが、民間企業の給与は政府の政策ですぐにどうすることなどできません。それは、市場のコンディションの中での、労使の問題に帰着するからです。

 しかし、公務員の給与は、政府の『計画』ですぐに上げる事ができます。


「国民の給与の上がらない事が、消費の落ち込み、需要の落ち込み……つまりデフレの原因で国力停滞の原因だ」

 という風に、国を憂いている人は結構見かけますが、それならば何故、まず第一に政策で即座に上げることができる公務員の給与を「上げるべし!」と請求しないのでしょう。

 よもや、公務員は国民ではないとでも思われているのでしょうか?
 それとも、その憂国の情は、実の所、「(自分の)給与を上げろ!」という請求を虚飾したもの……あるいは、そうした請求を代弁したもの、なんじゃあないでしょうか?


 意地悪を言うようですが、これは極めて重要なポイントです。


 本当に「国民の給与が上がらない事」が問題だと思うのであれば、自分が公務員でなくとも(いや、公務員でない者こそ)「公務員の給与を上げろ!」と言っていなければウソです。偽善です。

 世の中の政治的『デモ』や『活動』のようなものは(ネット上のものを含めて)、大抵こうした偽善の映し鏡です。何故ならそれらは、自分の為にケンリを請求をするか、左翼が気にくわないとか、右翼が気にくわないとか、権力が気にくわないとか、金持ちが気にくわないとか、貧乏人が気にくわないとか……そうしたことでしか主張を行わないでしょう。



 そもそも、バブルが弾け、銀行が潰れ、デフレ状態に入って行かんとする際に、日本人どもは公務員についてどう言っていたかご記憶でしょうか?

「不況で民間が喘いでいて、リストラ云々で『痛み』を負っているのに、官僚をはじめとする公務員には『痛み』が回って行かないではないか!」

 というような丸出しの僻み根性を、ほぼ休みなしに発揮し続けてきたでしょう。
 私は子供ながら、そういった言説を聞く度に、酷く陰鬱な気持ちになったものです。つまり、大人が気持ち悪かったのであります。


 さらに大衆は、「公務員の給与を削減すれば、自分たちの所にその分が幾ばくか回ってくるだろう」とでも思っていたに違いありません。
 ところがこれが逆なのです。
 なぜなら、民間の企業は、公務員の待遇を基準とするところがあるからです。それは公務員の待遇が、民間で労使の長期的関係性の『基準』として捉えられている部分があるからでしょう。
 もっとも、給与水準についての理論は経済学では色々言われていて面倒なのですが、これだけは言えます。
 すなわち、不況下で公務員給与を下げれば民間の給与水準もそれに併せて下がる……と。


 今の日本人は、この十年、二十年発揮し続けてきた醜い僻み根性の報いを受けているという一面もあるわけですから、「きちんと生活を苦しまなければならない」とすら私は思います。(私も含めて)

 ただ、それだと日本はコロっと滅びてしまうので、今からでも「公務員給与倍増計画」を声高く請求してはいかがでしょうか?

 しかも、それは公務員がやってもあまり意味はありません。
 公務員ではない人々が、「公務員の給与を増やせ!」と請求できてはじめて意味があるのです。つまり、「自分自身の事ではない請求」だという意味が。
 また、私何ぞは、そんなことが起これば「痛快だ」とすら思います。


 そんな痛快さのみならず、公務員の給与から増やすのが、国民全体の所得上昇の最も現実的な筋立てなのです。
 なぜなら、公務員の給与が上昇すれば、企業は人材確保の為に給与を引き上げざるをえなくなりますでしょう?
 勿論、生産費用がかかるようになって、海外での価格競争に勝てなくなるかとは思いますが、そんなもの問題ではありません。自衛隊員の給与も上げれば、きっと軍事力で我が国の市場を保護する事ができるようになるはずです。



(了)

Category: 政治

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 0   

仮にそれが『移民政策』でなかったとしても…… 

 私がこの件で言いたいのは、仮にそれが『移民政策』でなかったとしても、外国人労働者は受け入れは拡大してはならない……という事です。


 労働供給力不足があれば、そのつど外国から出稼ぎを集えばよい……という強い主張をお持ちの方には無理にと申しませんが、そうでもないという方はどうかランキングにご協力ください。お忘れにならぬよう、押してから読んでいただけると嬉しいです。





crw_5905_jfr.jpg

 新成長戦略における、外国人労働者の受け入れ拡大の話題につきましては様々な方向から批判が相次いでおりますし、実際その通りだと思うモノが多々ありはするのですが、あまりに技術的、表面的に多彩な議論が飛び交って、常識的かつ根本的な所が見失われがちのように思われます。

 常識的で根本的な所というのは、
「人間は基本的に定住して社会を築く生き物である」
 という所です。

 そう。要はこの一事さえ分かられていれば良いのです。

 極端な話、この事が分かられていれば、仮に政府が法規をどうこうしようと、どうって事はない。
 逆に、仮に法的に移民政策に至る事を阻止できても、この事が分かられていなければ、駄目なものは駄目なのです。


 これを詳らかにする為には、
「部分部分の労働供給力の便宜として、外国人労働力を『短期的』に拡大する」
 という発想について、これを徹底して否定せねばならないでしょう。

 つまり、仮に、「治安悪化」とか「反日スパイ」について政府が完璧にこれをクリアしたとしても、あるいは、少数の「高度技能人材」以外には永住資格が与えられなかったとしても、外国人労働者の受け入れ拡大は社会・経済に悪影響を与える、と言いたいのです。
(加えて言えば、仮の仮に、このことが日本人の給与の下げ圧力に一切ならなかったとしても、です。)

 要するに、もし、それが短期の出稼ぎであっても、日本人の給与の下げ圧力にならなくとも、地球上に反日勢力というものがなくとも、「労働供給力の便宜として、外国人労働力を短期的に拡大する」という発想そのものからして間違っているから、上手くゆくはずはないのであります。

 このことが意外に論じられていないのが気になって仕方ありません。

 常識に基づけば、最も重要なのはこの事なのです。反日勢力のスパイ行為を助長するとか、外人に永住権を渡してしまって移民政策になるとか、一般の日本人の給与が下がるかもしれないとか、そういう事はそれはそれで大変な話ではあるけれども、(誤解を恐れず申せば)表層的な問題に過ぎません。

 もっとも問題なのは、「その時々で労働供給力の足りていない部分に、外国人を適宜投入する」などという陳腐で餓鬼くさい戦略が、現実世界で上手くいきっこない、ということが日本人に分かられていない所にある。
 何故これが問題なのかと言えば、そんなことはふつう常識で分かられている事のはずだったからです。

 その「非常識」は、「人間の理性についての過信」とも言えるし、「国家・人間社会を異様に単純な模型として考える傲慢」とも言えます。


 そういうわけで、新成長戦略で言われているような外国人労働者受け入れ拡大というのは、仮にそれが『移民政策』にならなかったとしても、戦略として「非常識」かつ「合理性についての過信」であるから駄目なのです。
 常識ある大人であれば、移民政策云々の以前に、そもそも「短期の外国からの出稼ぎ」を利用して経済を上手く回す……なんて戦略は空理空論甚だしい、と思わなければ嘘なのであります。

 このことについては、さらに掘り下げてみましょう。



(つづく)

Category: 政治

tb 0 : cm 0