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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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ネイション・ステイツにおける政府の大事 


 我々が『国家』と思っている近代以降の国家は、『国民国家』=『ネイション・ステイツ』と言われます。

 ネイション・ステイツは、

 ネイション=国民

 ステイツ=政府

 と訳されたりもする。


 これで正しいのだけれど、時としてこういうふうに前提される場合が見られるのが、私は気になります。

 すなわち、

『ネイション(国民)を重んじるべきで、ステイツ(政府)を重んじるべきではない』

 というような。


 でも、別に、ネイションが国民で、ステイツが政府だからと言って、

「ネイションがイイモン」
 で、
「ステイツが悪モン」

 とか、そういうものではないはずなのです。


 そこらへんのところ勘違いしてはならないのではないでしょうか。

 もちろん、現在の日本政府組織のような政府=ステイツ(政府)は、この土地で生まれて死んでとする国民(ネイション)を保護するためにある。

 しかし、よぉく考えてみれば、そんなステイツという形式が必要なのは、一重に「世界が狭くなった」からでしょう。

 逆に、この地球上に日本だけしかないのであれば、強力な中央集権性を持った政府などいらないのです。

 封建時代で十分ですよ。

 でも、現実には、地球上は科学技術によってどんどん狭くなって、ステイツを維持しなければ、ネイションは溶けて流れてしまうでしょう。



 すると、

「ステイツ(大きくて強い集権的政府)」

 が必要だから、

「ステイツをこしらえられるような、ナショナリズム(国民的団結)が必要である」

 というベクトルも、同時に潜在していると考えられなければならないはずでしょう。



 つまり、

1「ネイション(国民の歴史)」のための「ステイツ(政府)」

 というベクトルがある一方、

2「ステイツ(政府)」のための「ネイション(国民の団結)」

 というベクトルがセットになった相互循環が、

『ネイション・ステイツ』

 という現象なのです。



 でも、「国民のための政府」はどちらかと言えば近代的なケンリを、「政府のための国民」は近代的なギムを要するものだから、

「ネイションのためのステイツなのだ(国民のための政府なのだ)」

 の論理ばかりが用いだされて、果ては

「ネイションは良いモノ」
「ステイツは悪モノ」

 というような姿勢が前提されてしまうようにもなりがちになるのではないでしょうか。


(了)


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政府の「資源配分機能」の重要さを認めよう 


 このブログでは繰り返し強調してきましたが、私は、

「経済に対して、政府がもっと介入をすべきだ」

 という思想をもっています。



 経済における政府の役割は、教科書的に言えば以下の三つ。

1 『経済安定化』
(資本主義では貨幣は負債によって創り出されるので、その気分的伸縮によりバブルとデフレによる混乱は必然であるから、この上下の波をなだらかに修正する統治者の役割が必要となる。※これは短期的な話)

2 『資源再配分』
(民間市場のみでは国土計画や交通計画、都市計画、公共施設、そして軍事設備などが充分に需要されず、資源が配分されないので、統治者としての公的に需要する必要がある。※これは長期的な話)

3 『所得再分配』
(民間市場を放っておくと、地方間、産業間、職種間の格差が広がる。すると、地域や産業や職種や企業で一極集中が起こり国家全体の経済循環を毀損するから、格差を一定水準に抑え、分散を促す統治が必要となる。※これは長期的な話)

 です。


 ◆


 世の中で最も広く承認されているのは、3の『所得再配分機能』だと思います。

 これについても私は、「国家の安定」と「経済全体の循環」を考えるにあたって重要な機能であると思っています。

 特に、そこそこの累進課税、お年寄りのための年金システム、介護システム、健康保険など、社会の基盤や高齢者による需要の持続を保障する機能は、国家全体の安定的運営や経済循環を考えても非常に重要でしょう。

 ただ、この所得再分配機能については、単に「弱い人が可哀想」とか「貧乏な俺にカネ寄こせ!政府!……という請求」の力学が多分に含まれがちだし、『ベーシック・インカム』や『こども保険』など奇抜で偽善的なアイディアで「落ちこぼれ」や「はぐれ者」に媚びようとする輩が出るので、注意が必要です。


 ◆


 これに対して、今の喫緊の課題は1の『経済安定化』であることは言うまでもありません。

 つまり、デフレの問題です。

 資本主義は金融的な「気分」は自動的に調整してくれないので、金融収縮が起こって民間が借金をしない状況にあっては、政府は国債を発行して、もっと赤字財政を吐き出さなければなりません。

 具体的には、減税や政府支出増です。
(※私は大きな政府論者なので、デフレに対する処置も、減税よりは「政府支出増」で執り行うべきだと思っていますけれど)

 デフレでは、政府が需要(赤字財政)をどーんと吐き出して、民間が借金をするようになったら、少なくとも経済安定化の要因からの赤字拡大は必要がなくなります。

 逆に、金融膨張、すなわち民間の借金が膨らみ過ぎるバブルの状態になれば、政府は増税や支出カットで緊縮を志向しなくてはなりません。
(※私は、バブルに対する措置も、基本的に「増税」で行われるべきだと思うので、支出をカットせず、そのまま大きな政府を目指すべきだとは思いますけれど)


 ◆


 そして、3の『政府による資源配分機能』ですが、これは今の世の中で最も軽視されている政府の機能と言えるかもしれません。

 まあ、だいたいみんな(口ではどう言っているか知りませんが)天下国家、日本国家のことなんかどうでもイイと思っているらしいので。

 しかし、私は、この『政府による資源配分機能』こそ、最も重視すべき政府の機能だと考えています。

 意地でもそう考えます。



 というのも第一に、

「市場は国家全体のための需要をすることができない」

 からです。

 これは、たとえば単に「軍隊や交通インフラが市場で需要されにくい」ということに留まりません。

 そもそも国家全体のための需要というのは、原理的に言えばいくらでも需要できるものなのです。

 対して、原子的個人(あるいは原子的核家族)に還元しうる市民サーヴィス的な需要、すなわち、「日本国籍民の一人一人の生命と財産を守ってもらう」というような、短期的な社会合理的な需要だけが求められていれば良いのだ……とすれば、

X「長期を考えれば需要すべき領域(たとえば大規模な国土整備や交通計画)」

 や

Y「文化的な防衛を考えれば需要すべき領域(過剰な自由貿易を阻止するために必要なだけの軍事力)」

 などについては需要されないことになります。


 ですから、この見積もり感を多く取るか、少なく取るかは、国家の長期的存亡の話になってくるのです。

 具体的に言えば、日本人が「千年日本を続けるつもりがあるかどうか」は、この『資源配分機能』をどれだけ重く見ているか……で計られるのです。



 第二に、私は『経済安定化の機能』としての需要創出以上に、「長期的な安定的な政府需要の創出」という意味での、長期的な需給調整機能を、この『資源配分機能』に見るのでありますが、これは少し込み入った話になるので、また今度。


(了)

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AIと技術的失業の、ナショナル旧産業への帰結 


 技術が進歩して、技術が人間の仕事を代替するようになって失業が産まれる……という力学を、ケインズは「技術的失業」と呼んだそうです。
 
 たとえば、今まで10人でせんべいを作っていた工場に、全部オートマチックにせんべいを作る機械が開発されたとする。
 
 すると、せんべいを作る上で必要とされる仕事はボタンを一つ押すだけの1人分の仕事だけになり、残りの9人は仕事がなくなりますでしょう。
 
 これを社会全体の話として考えると、要は、技術の進歩に伴う市場における分配の不整合の話ということになります。
 
 
 
 母子

 
 
 ただ、技術的失業は、「残りの9人が新たな職へ就けるようになれば良い」という話に、全体としてはなります。
 
 また、技術は旧来の仕事を減らすかもしれないが、新たな仕事を生み出す……というイメージも共有されていました。
 
 これは実際にそうなって、たとえば、機械が導入されて工場労働者(第二次産業)の必要数が全体として減ったとしても、事務、営業、デスクワークやサービス業(第三次産業)の必要数が増えれば仕事、席は創出されることになる。
 
 ですから、みんな学校では、「経済が進むと、第一次産業→第二次産業→第三次産業……と重点が変わってくる」と習いましたでしょう。
 
 
 
 しかし、今度はコンピューターができて、スマートフォンができて情報社会になると、第三次産業の仕事もコンピューターに奪われることになる。
 
 すなわち、工場労働者が機械に仕事を奪われたのと同じごとく、デスクワークやサービス業がITに仕事を奪われるという話になった。
 
 たとえば、税理士、会計士などは、コンピュータの高度な会計ソフトがこれを代替してしまって厳しい状況が続いている……というのは、もし自分で個人事業などやられていたらすぐわかることでしょう。
 
 だって、個人事業レベルならば帳簿も確定申告も、少しパソコンで伝票を打てば素人にでも簡単に出すことができるご時世ですから。
 
 あるいは、下級役人や会社組織でも数々の人間がやっていた諸事務は、コンピュータのおかげ(せい?)で、以前よりはるかにわずかな人員でこれをこなすことができているのであろうことも容易に想像できることです。
 
 つまり、社会全体で言うと、コンピュータがサラリーマンから仕事を奪ってゆくというのが21世紀の紛れもないイチ力学としてあった。
 
 
 
 では、このサラリーマンの席が減った分、あらたに創出される仕事というのはなんだ……というと、おおよそ
 
「人には、まだそのITを創る側の仕事があるじゃないか」
 
 という話になった。
 
 まして、インターネットだからグローバルで、クリエイティブな感じがしてカッコいいので、期待感は膨れ上がります。
 
 ……そうやって、膨らんでいったのが2000年代のITバブルだった。
 
 時価総額が何百億とか言って、これを背景にベンチャー企業が膨大な資金調達を行って、結局野球チームやテレビ局を買って失敗する、みたいな騒ぎは記憶に新しいはずです。
 
 この00年代の時点で、そもそもIT産業、IT事業に、全体としてはそこまでの席、仕事なんてない……ということがバレていたワケですが、昨今まるでこのことがなかったかのようにITイノベーティヴに浮かれているのは、まったくなんという記憶力の欠如かと驚かれることです。
 
 
 
 しかも、さらに言えば、昨今はAI(人工知能)というのがもてはやされだしました。
 
 これは肯定的にせよ、否定的にせよ、
 
「人の仕事をこれまで以上に劇的に減らす」
 
 ということで、見解は一致しています。
 
 
 
 これを否定的に見る見方は、「とうとう人間のやる仕事がなくなって、みんなが失業者になる」という暗い見方です。
 
 肯定的に見る見方は、単に「とうとう人間のやる仕事がなくなって、みんな遊んで暮らせるようになる」という楽観的な見方です。
 
 後者は、例えば

「人間の仕事がなくなれば、ベーシックインカム(最低所得保障)などの社会保障で分配すればよい」

 というような中学生じみた発想が知識階級にすら(知識階級だからこそ?)まかり通るようになった背景でもある。

(※嘘みたいな話ですが、「AIで失業が増えるからベーシックインカムで解決」みたいな議論は最近随所で見られます。例えば、
AIで失業 ベーシックインカムは正しい解決策か』)


 ◆

 
 しかし、私は、AIがいくら発達しても、人間のやる仕事は「本質的には」充分に残されていると確信しています。
 
 根拠は、「人間が本質的には国家を基礎に生きている」というところにあります。



 具体的に言うと、一つに旧産業の職はむしろ人手不足にあるということ。
 
 土木建築現場の作業員やトラック運転手、あるいは飲食店員など、機械で代替できない現場の肉体労働というものは、この現実の複雑さを見れば無数に残るはずです。
 
 そして、分配というならば、こうした職種に対して給与所得が大きく割り振れるように「政府規制を強化」していく方が、単純な社会保障よりも労働の活力に資す上に、国力の増進にも資するはずなのです。

 
 
 もう一つは、判断する者としての公務員です。
 
 AI(人工知能)やITでは絶対にできないのは、「公に判断したり、需要する」ということでしょう。
 
 だって、AI(人工知能)には、「国家や人間にとってなにが大切か」という価値判断は論理的に言ってできませんから。
 
 仮にしたとて、AIが「超人間的」な判断で「それが国家にとって大切だ」と言っても、人間視点ではその価値判断が正しいかどうかを確かめる術はない以上、これに従うわけにはいきません。
 
 つまり、人間が……というより、有機的な人間組織が「状況判断」するとともに循環するのが国家である以上、それは「我々が判断した」ということそのものが求められるものであり、仕事なのです。
 
 そして、国家は膨大で複雑ですから、多くの部門や地方に分かれ、各単位ごとに微細な判断をしてゆかなければならない。
 
 各省庁、各部門、各地方で、より細かく、さまざまな領域へ「(市場経済から超然した)国家」としての判断の効くよう、人員を増強して行く必要があります。
 
 むしろ、技術の進歩で社会はより複雑になり、グローバル化から国家を守る必要がある中では、より「市場から超然した行政、公共機関」を二重、三重、微細に張り巡らさなければならないはずです。

 つまり、技術が進めば進むほど、より多くの役人が必要になるのは当然の帰結なのです!


 
 すなわち、機械化、IT化、そしてAI化の押し進めてきた、「技術が人間から仕事を奪う」という流れは、「市場経済で必要とされる労働力の需要」を奪うということだけなのです。
 
 でも、それは国家として必要な仕事量を減らしているとは限りません。
 
 ならば、技術の進むことで「市場経済で必要とされる労働力需要を奪われた」後に復活すべきなのは、
 
「旧産業」と「国家」
 
 であり、そうでなければ我々は格差を公正せしめることもできなければ、価値を創出することもできないはずなのです。
 
 
 そして、問題は! その旧産業と国家に「超市場的」な価値基準を、全体として想定できるかどうかであり、これは根源的には一重に「ナショナリズム」の如何で決まる……としか言えないでしょう。
 
 
 
(了)

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そもそも「骨太の方針」は民主主義的すぎる   

 
 今では毎年のように経済財政諮問会議が「骨太の方針」を出して、省庁(役所)を縛る方針を出していますけれど、これはみなさんご存じのように「小泉純一郎首相」の時代からのことです。
 
 だから、別に伝統的な制度でもなんでもない。
 
 
 で、そもそもこの
 
「経済財政諮問会議」
 と
「骨太の方針」
 
 って制度は、良いものなのでしょうか?
 
 
 私はあまり「民主主義的」なこの制度は
 
「不必要かつ有害」
 
 だと思っています。
 
 
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「経済財政諮問会議」と「骨太の方針」が民主主義的すぎる……というのは、小泉政権のことを考えてみればよりわかりやすいです。
 
 
 そもそも経済財政諮問会議で「骨太の方針」を出し、各省庁へ強い影響を及ぼし始めたのは、小泉政権からのこと。
 
 
 これは
 
「聖域なき構造改革」
 
 というヤツの一環だった。
 
 
 どういう意味合いで言われていたかと言うと、
 
A「官僚組織」
 
 への
 
B「抵抗勢力(自民党)」
 
 の影響を排し、
 
C「(支持率の高い首相が率いる)内閣」
 
 が方針を決め、これに従わせる……という話だった。
 
 
 
 そして、こうした話はいわゆる、
 
「既得権益の打破」
 
 として礼賛されてきたワケ。
 
 
 
 これは、例えば「郵政改革」と構造は同じなので、その方がわかりやすいでしょう。
 
 郵政改革とは、
 
1 「自民党の郵政族」と「郵政」が既得権益でケシカラン
 
2 「国民」は「首相の政策」を支持している
 
3 故に、国民の支持する政策によって、既得権益が打破される
 
 というガキのようなストーリーの上で成り立っていました。
 
(そー言えば、今ならみんな「郵政民営化騒ぎは低劣だった」と、口に出さないまでも心うちでは思っているでしょ?でも、同じようなことをそれ以後ずっと続けているのがニッポン人なので、この点において「ニホン死ね」というのはマジで思います。)


 
 で、「経済財政諮問会議」と「骨太の方針」というのもそうなのです。
 
 すなわち、
 
 
1 「旧来的な自民党の各勢力」が「省庁」と繋がると既得権益でケシカラン
 
2 「国民」は「首相」を支持している
 
3 故に、国民の支持する「官邸」によって「省庁」を縛る「太い骨」をめぐらし、「旧来的な自民党」を排除する。
 
 
 
 こういう話だったのですよ。
 
 
 
 その証拠に、2017年の骨太もどのような内容になっているかと言えば、
 
「世論で広く通りの良いものとされる議論」
 
 を全部突っ込んだという形になっている。
 
 
 
 つまり、
 
1 「民主主義」が「官邸」を支配する。
 
2 「官邸」が「自民党」を排除する。
 
3 「官邸」が「官僚」を縛る。
 
 このような形で、おおよそ
 
「直接民主主義」
 
 が、まかり通ってしまっているというのが昨今の出来事なのです。


(了)

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構造化した「構造改革」 


 構造改革……という言葉が流行らなくなったのは、構造改革が今やあまりに常識化してしまい、あえて「構造改革」などと言う必要がなくなってしまったからかもしれません。

 つまり、構造改革が国家の構造の一部になってしまったかのように。

 もしそうならば、国家はおしまいですね。


水晶



 構造改革というのは、

 国内においては「規制緩和」
 国外に対しては「貿易障壁を取り払う」

 ……ことによって国内構造の改編を起こし、供給サイドで効率化せしめる改革と言われ、特に小泉政権以来、急激に推し進められてきました。


 ただ、「規制緩和」と「貿易障壁を取り払う」というのは、よくよく考えてみると同じことです。

 すなわち、規制緩和も自由貿易主義も、

「政府の分権構造から統治権力を剥奪する」

 という形で行われるものだからです。


 結論から言えば、「政府の分権構造から統治権力を剥奪するものとしての構造改革」は、国家を強くするという観点から見て、

「あやまち」

 であった。


 何故なら、政府の構造から統治権力取り上げるということは、何らかの国家的「既得権益」に浴しながら生きているすべての各日本国民の構造から権力を剥奪することでもあったから。


※そして、それは「郵政改革」「聖域なき構造改革」の失敗により2000年代には雰囲気的には共有された反省であった。だからこそ、高橋洋一のようなリフレ派(上げ潮派)や竹中平蔵一派は福田内閣以降一線から退出していたでしょう。また、民主党政権の誕生にも、こうした小泉、安倍の新自由主義の反省からだという話ならば3パーセントほどは頷けるところもあった。(私、民主党に投票したことはないですけど)
ただ、実際には民主党も「政治主導」「仕分け」「コンクリートから人へ」などと言って構造改革を押し進めたのですが……。
これが第二次安倍政権前までの構造改革史で、つまりずっと同じようなことを繰り返しているんです。


 ◆


 そもそも政府の構造というのは、ざっくり言って「自民党」や「官僚」の構造でした。

 自民党は地方や産業の権益を代表する形で政治的な「既得権益構造」を構成し、官僚、省庁は組織として複雑で膨大な国家の行政を分担して国家全体を回してきた。

 で、よくよく考えてみれば、こうした
「既得権益」
 と呼ばれるものの諸構造は、日本国民の誰しも多かれ少なかれ浴していたものでした。

 だって、なんらの地域、産業に帰属せずして生活する者はないんですから。



 でも、そのことに気づかなかったのは、「各既得権益構造が、他の既得権益構造を叩く」ということをしてきたからです。

 例えば、郵政民営化では、郵政や自民党の郵政族の「既得権益」をみんなで叩いていたわけですが、その叩いていた日本国民のそれぞれも何らかの「既得権益」に浴している……といった具合に。



 だから、日本国民はいつからか、

「自分が浴していている既得権益以外の既得権益はズルだ」

 と考えるようになったというわけです。



 そして、こうした日本人の俗悪な精神を集約して、理論的な正当性を与えるのが「知識人」というものです。

 知識人は、「規制緩和」という便利な言葉で、「政府と既得権益の構造」から、「統治権限の剥奪」を請求してきた。

 これは一見、「権力から権限を剥奪して、非権力へ権限を解放している」感があるから良いことに見られがちですが、そうではありません。


 規制緩和論というのは「権力と非権力」という話ではなく、理論上、

「土地や産業に埋め込まれていない滞在人(大衆人)」

 が、

「各土地、各産業に埋め込まれた国民」

 から、その前提構造を奪い取るという話なのです。



 だって、

「各土地、各産業に埋め込まれた国民」

 というのは、当たり前ですが「政府の統治機能(省庁)」「政治的権力(自民党)」と深く地繋がりなのです。

 だから、統治と政治権力の構造なしには国民的な地域も産業も存立しえない。

 その各国民組織の「構造」を維持するため、官僚組織による「規制」と政治的な「既得権益」があったわけですから。



 だのに、これを「緩和して、緩和して、緩和すれ」ば、国家のあらゆる地域構造や産業構造はバラバラの無前提に堕すはずでしょう。

 そして、この「バラバラ」を好むのが「知識人」=「大衆人」=「滞在人」なのです。

 知識人は、産業や地域に埋め込まれていない、都市市民的な「疎外者」である場合が多い。

 彼らは、自分が土地的な価値に組み込まれていないから、土地的なものに組み込まれた人々の「あり方」へ異様な「敵意」を燃やします。

 その敵意はおおよそ嫉妬からくるのでしょうが、彼らはそのことに無自覚で、むしろ「規制緩和によって非権力者を権力者から解放する」とすら考えている。

 その際、そこへ正当性を付与するのは「民主的」という俗悪なイデオロギーです。



 こうした「知識人を中心とした大衆人」と「外国の市場解放圧力」が(いわば「無自覚な売国」的に)結託した形で

「政府の統治組織や既得権益的政治権力から権限を剥奪する改革」

 が、

「規制緩和」「グローバル化」「構造改革」

 という方向性だったのでした。


(了)


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