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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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政治散文、エッセイということ 


 進撃の庶民様にて『安倍政権に対する態度について』というコラムを寄稿しました。


http://ameblo.jp/shingekinosyomin/entry-12294393653.html


 気合い入れて書いたので、どうぞご覧いただければ嬉しいです。


 ◆


 それにしても世の中は複雑です。

 複雑な世界から、国家、政治、経済を抽出したとて、それでもまだまだ複雑です。

 そんな複雑なものについて自分で納得のいくようなことを言うには、それなりに色々な角度から論理を引いて総合しなければなりません。

 だから、「散文」で書くというのは、自分なりにこだわりがあってやっているのです。



 でも、アカデミックな文章じゃない「散文、エッセイ、試論」というのはどんなに素人でも書けるは書けるものですよね。

 下手をすれば小学生にだって書けるかもしれない。

 だから、散文は一歩間違えると、とてつもなくチープな文章なる。

 そして、「チープ」というのは一種の罪なのです。



 対して、アカデミックな文章は、アカデミックな文章であるという一事をもってそれなりの質は保証されるものでしょう。

 形式というものが、割合きちっとしていますから。

 そういう意味では、アカデミックな論理を学んだ方が、社会的に伝達するためには効率的なのです。

「あ、彼の書くものは一定の質が保証されているな」

 と一目瞭然になりますし。



 でも、世の中全体を網羅するためには、散文や対話という、より一般的で広い形式を取った方が都合が良いのです。

 また、私は「政治、経済に関心のある人」という範疇を越えて一般性をもって読まれ、あらゆる人を説得しうる「エッセイ」が書きたい。

 ただ、すると私の文章がチープではないということを保証するものは何もなくなるということになる。

 これは結構困ったことなのです。



 まあそれでも、どーにか安っぽくならないためにはどうすればよいか。

 それは、色々な広い知見からこれを総合する中で自分的な魅力を発揮するということです。

 ここで注意が必要なのは、これは別に最初から「自分を発揮しよう」とするのではないということ。

 広く、様々な角度の知見を蓄える位相ではほとんどニヒリストとも言えるドライな視点からこれを多彩に捉える必要があります。

 だから、さまざまな知見の一つ一つはアカデミックであるべきなのでしょう。

 でも、最終的にそれら一つ一つを繋ぎ合わせ、総合する時にあたって、ようやく自分が出てくるというふうなのが理想的であるということです。



 私はそんなふうな文章を書きたいと思っています。

 そして、そういう「説得的な散文」で人の心を動かし、魅了して、少しでも大衆を浄化したいと思うのです。

 ただ、そんなことは何十年かかっても人間の能力上どだい無理なことであるから、あくまで理想なのですけれど。


(了)
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結婚と死に別れについて 


 よくよく考えてみると、私は今32歳ですから、もう若くもありません。

 内蔵とか、明らかに弱くなったし。

 実際に会った人からは若く見られがちなのですが、それはたぶん所帯をもっていないから雰囲気が子供っぽいのでしょうね。



 そうだ。所帯と言えば、去年、私の妹が結婚したのですよ。

 で、我が一族は、父方も母方も

「兄弟姉妹の半分が結婚し、半分が独身」

 という法則で一貫しているから、妹が結婚した以上、私はおそらく生涯独り身なのでしょう。

 順当にいけば、ですけれどね。

 だから、死ぬときはさぞ寂しいのだろうな……という想像をするのです。

 いや、これはたぶん子供のときから想像していた気がします。

 すると、私は自分が結婚しない(できない)ということを子供の頃から察知していたということだから、別に妹が結婚したことのせいにしてはいけませんね。



 まあ、それはどうでもよいとして、自分の孤独死という将来を、私は子供の頃から割合真剣に考えていたのです。

 ただ、祖父母が死んでゆくのを見て、こういうことも真剣に考えるようになりました。

 すなわち、夫婦も、必ずどちらかは連れ合いに先立たれ、この世に残されるということです。

 当たり前のようですが、これは重大なことです。

 だって、だとすれば、「独り者の孤独死」という悲しい死のイメージは、仮にすべての人間が結婚する社会になったとしても、少なくとも人口の半分には当てはまることになるのですから!


(了)

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進撃の庶民様への寄稿 


 そう言えば私、『進撃の庶民』様というブログへ寄稿させていただくことになりました。

 毎週木曜日の深夜0時に掲載されます。

 すでに三つの記事を寄稿しておりますので、どうぞそちらでもよろしくお願い致します。



 これまでの寄稿は、けっこう自分の思ったことをかなりダイレクトに書いてみたのですが、おおむね反発もないし、みなさん温かい目でお読みくださっているような印象です。

 これは非常にありがたいことで、ひとえに運営者、管理者様や寄稿メンバーの寛容さゆえんだと考えております。

 前提する共有さえ踏まえていれば、その中で割合範囲の広い言論が認められているのですね。



 ただ、安倍首相の支持率が下がり、来年には自民党の総裁選があることも影響して、『進撃の庶民』様の中でもかなりいろいろな意見が出てきているように思われます。

 それはまあ当然と言えば当然でしょう。

 こうした中で、「安倍政権をどう見るか」という、説得力ある一つの見方を提示してみたいと思って、今週の寄稿を今書いています。


(了)

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ブログを毎日更新することについて 


 世の中は複雑なのですが、いろいろなことをいっぺんには言えません。

 何かについて言ってみてもそれは社会のごく一部分ということに留まらず、その表現者の前提や思想のごく一部でしかないのであり、

「なるほど、こういう前提で、こういうことを言う男か」

 ということをわかってもらうためには、ブロガーなら定期的に読みに来てもらわなければどうしようもありません。

 逆に言えば、ブログというのは、そういう点で「散文」的な表現には適していると、ずーっと思ってはいるのです。


 しかし、そのためには毎日更新するのが一番なのでしょうね。

 毎日更新ってすごく難しいし、何度も挫折しているのですが。

 私は私で普段の生活ってもんがありますし、ずーっと政治や経済や時事のことを考えていると嫌気がさすこともあります。

 しかし、性懲りもなく毎日更新を初めてみようと思います。


 逆に言えば、毎日更新でみなさんに読みやすく来ていただけるように書くというのを、ちょっと目指してみようと思うのです。

 でも、それは薄っぺらなことを言うというのではなく、もちろん真剣にやるのですけれど。


(了)

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『進撃の庶民』様について 


 今日は久しぶりによそ様のブログ評を。


 私がいつも参考にさせていただいている政治系ブログの一つに、『進撃の庶民』様という人気ブログがあります。

 進撃の庶民様は、ナショナルな「庶民」として「大衆世論(安倍内閣)」へ反逆し「反・グローバリズム」「反・新自由主義」の論調を取っているとても貴重なブログです。


レッサーパンダ1



 進撃の庶民様は、どうやら複数人数でブログを運営されているようで、かつ、『国家戦略特区blog』のみぬさよりかずさんなど複数のブロガーが定期的に寄稿なさっていたりなど、活気もあります。

 そして、このブログ周辺の方はコメントする読者も含めて、三橋貴明さんや藤井聡さんの言説に影響を受けた方が多いようです。


 かく言う私の書いているこの弱小ブログ『日本が日本であるために』も、もともと藤井聡さんや西部邁さん、中野剛志さんらの言論から甚大な影響を受けて始めたブログです。

 ですから、自由貿易主義や規制緩和などの「構造改革路線」がきっと日本国家をますます脆弱にし、霧散させてしまうであろう……という危機意識を共有するものと自負しております。

 その点、進撃の庶民様とも問題意識を同じくするものと考えておりました。

(また、当ブログは以前より進撃の庶民の推奨ブログにしていただいており、お世話になっております)


 ・


 そこで恐縮ながら、私から見た、『進撃の庶民』様の強みというものを考えてみたいと思います。

 進撃の庶民の強みとは何か。

 それはすなわち、

「ある一定の前提(反・構造改革)を共有する者たちがそこそこ団結し、ブログという庶民にも可能な形式で言論活動を行う舞台になっている」

 ところでしょう。


 ・


 そもそも、庶民がなにか国家のために思想を練ったとて、これを発表する機会というのはなかなか想定しえませんでした。

(庶民に思想発表の場が必要かどうか自体にも議論はあるでしょうけれど)

 そこへIT社会化で、庶民もブログなど発表の機会を得はした。

 ところが、だいたい庶民がブログで思想を発表してみても、ほとんどの場合、

「書いても、誰も読んでねー」

 ってなりますでしょう。

 そりゃあそうですよ。

 ブログは、誰でも気軽に発表可能な媒体ではあるけれど、でも、どこの馬の骨だか知れないヤツの書いた文章なんて誰も読みゃあしません。

 そりゃ芸能人が書いたブログとかなら人は集まりますでしょうけど、それはそいつが芸能人だからでしょう。



 これに対して、

「誰も読まなくても、自分の純然たる思想のための思想を書ければ良い」

 ……というなら、そもそもブログなんぞへ発表せず、フランツ・カフカのように神へ向かって書いていれば良い。

 ブログへ発表をしておきながら「純然たる思想のための思想」なんてありえません。

 ブログへ考えを発表している時点で、「自分の思想で他者へ影響を与えよう」とする肥大化した自意識があることは歴然で、すべての公開ブログには「思想」以外にも多かれ少なかれ「人に読んでもらおう」という意図が入り混じっているはずなのです。


 しかし一方、人に読んでもらうことだけ考えて書くのであれば、それこそ市場の大きい「反サヨク」や「反ウヨク」の記事で数を動員するのが最も効率的であろうし、そこまで行ったら「芸能記事」や「IT便利記事」とかの方が良い……という話になるでしょう。

 あるいは、単に「芸能記事より政治経済の記事の方が頭良さげに見てもらえそう」という邪悪な目的意識があって、その範囲内で数を動員するためには「反ウヨク」「反サヨク」「在日、韓国叩き」「反民主党」「反安倍」などが最も効率的であると想定しているだけならば、それは芸能記事やIT記事で数を動員するブログ以下の俗悪であると評さなければ済まなくなる。

 ……とは言ってもやはり、そんなこだわりばかり持っていたってブログに閑古鳥が鳴くだけかもしれない。

 最初から有名人でもない限り。


 ・


 ブログに限らず、表現にはそういう葛藤があるのは明白でしょう。

 すなわち、現実の表現者は、

1 自分の思想

2 他者へ影響を及ぼそうとする意識(工夫)

 の二面を睨みつつ「総合」する作業をほぼ無自覚にやっているはずなのです。

 また、その総合に均衡が失われれば、(もともと悪意を持っていなかったとしても)A「他者へ影響を及ぼすことのみが過剰に目的化し、図らずも言葉が嘘や詭弁にまみれていってしまう」か、B「自閉的に自己の思想に閉じ込もってしまう」か、あるいはその両方かしてしまうのです。

 だから、言論というのは(たとえアマチュアでも)おそろしいことなのです。


 ・


 ここで、進撃の庶民様の話に戻りましょう。

 寄稿も含め複数人数で団結してみんなでブログをやっていくという強みは、

1 「団結には、団結の前提がある」

2 「複数で力を合わせた方が影響力を得やすい」

 にあると思います。

 これは個人に照らすと1が「思想」で2が「他者へ影響を及ぼそうと言う意識」ということになりますが、この性質は個人であろうが集団であろうがだいたい同じでしょう。

 ただし、「団結の前提」は団結しているからこそ確固なものになり得るし、「複数人数で力を合わせること」は更新頻度や記事の多視点化から見ても力になります。



 つまり私は、おそれながら進撃の庶民様にこういう期待を抱いていたのです。


 すなわち、

「数を動員し、影響を与えるブログであること」

 については、分担・協力作業によりそれなりの余裕が担保された上で、

「前提の領域内では各個自分が正しいと思うことを言う」

 ことによって、

「単なる『バズる』や『検索流入』のようなネット動員の論理から距離を取った言論が可能」

 になり、あわよくば読み手コメントも含めて

「論壇化」

 して、

「ナショナリズム」
「反自由貿易主義」
「反規制緩和」
「積極財政」

 の前提、土台の上で論を重ねようとする輪が広がってゆくのではないか……。

 という期待です。


 ・


 ですから、森友学園問題で安倍打倒……も、その運動の「大目的」が、
「庶民」として「国家」を想うことであり、
「ナショナリズム」
「反自由貿易主義」
「反規制緩和」
「積極財政」
 の「国家的な必要を訴える」というところにあるのならば別に文句のあるところではないのです。



 庶民が国家を想い、

「ナショナリズム」
「反自由貿易主義」
「反規制緩和」
「積極財政」

 が必要だから、

「安倍を倒さなければならない」

 から、

「森友学園問題を手段とする」

 というのなら筋として通るからです。



 でも、それはとても微妙な話で、実は、

単に「安倍打倒を言えばチヤホヤしてもらえるから」

 とか

単に「森友騒ぎで戦前コスプレ保守を踏み絵にしておけば、徴兵される可能性が1%でも減るから」

 という方が「目的化」して、

 庶民として国家を想う

「ナショナリズム」
「反自由貿易主義」
「反規制緩和」
「積極財政」

 という当初の目的が「手段」として凋落する危険性は、実際そうであるかは別としても、論理的にありえることでしょう。

 だからと言って、進撃の庶民に関わる人みんながそうだとは思いませんし、あれだけ人の集まる有力ブログだからこそ、当然中にはそーゆー心の領分を持ったヤツが出てきてもおかしくないよね……ということを申し上げているだけです。

 そうなれば、自分がそもそもどういう人に影響を受けて物事を考えてきたかすら忘れて、やたら先鋭化したことをおっしゃる方も出てくるでしょう。



 ……ただ、それは運動として展開されている分、仕方のないところなのかもしれないとも見ます。

(なんだか傲慢な言い方になってしまって恐縮ですが)

 それから、「加計学園問題での安倍追求」は両手をあげて賛成ですし、『進撃の庶民』様については引き続き愛読し、影ながら応援させていただこうと思っている次第です。


(了)

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