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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

      TOP > ARCHIVE - 2013年07月  
  

憲法96条改正という考えを否定する 

 先日の参議院議員選挙で、注目点となった一つに、「96条の改憲に賛成する勢力が三分の二を越えるか」というものがありましたね。
 96条の改正とは、いわゆる『改正条項』です。つまり、「衆参両院での三分の二の賛成を経て、国民投票へ」という改正の手順を「衆参の過半数の賛成を経て、国民投票へ」という風に緩和しよう、という議論です。

 そして、この96条の改正は、9条二項の改正への道筋と、セットとして意識されているものです。誰も口には出しませんが、誰もがそう思っていることですね。

 つまり、「9条の二項の改正に賛成する者を三分の二集める」ことより、「96条改正に賛成する者を三分の二集める」事の方がハードルが低いという事に考えを及ぼした道筋なわけです。96条を変えた後ならば、9条二項の改正も過半数で成し得る事ができますから。


 確かに……これだけ聞くと、「結構なことだ、これしかない!」と思われるかもしれませんね。


 しかし、ここでよく考えてもらいたいのですが、憲法とは、「9条か、9条を止めるか」だけのものだったのでしょうか。
 そんなはずはありませんね。

 例えば考えてもみてください。仮に、四年前、すでに96条が改正されていたとしたらどうなっていたでしょうか。
 もう忘れてしまったのかもしれませんが、四年前、民主主義による公正な選挙の結果、衆参の過半数を占めることになったのは、『民主党』という政党でしたね。
 民主党政権の以前に、すでに96条が改正されていたら……などということは、想像するだに恐ろしい事ではありませんか。

 もし、「実際は、もう民主党政権は終わったし、国民は同じ過ちを繰り返すほどバカじゃない」などと考えているのなら、民主主義に対してあまりに楽観的すぎます。
 実を言うと「国民が民主主義で出す結論は、同じ過ちを繰り返す程度にはバカ」なのです。

 その証拠に、民主党政権樹立の前に、非自民連立政権以後の右往左往がありましたね。そこから民主党政権樹立まで、どのくらいの時間が空いていたでしょうか。二十年もたっていないのですよ。
 つまり、二十年ほどたつと、世の大多数はその時の事を忘れてしまう程度にはバカなんですね。

 ただ、今回は、「民主主義そのものに対してどうのように制限をかけるべきか」という自論は展開しません。長くなるし、脱線してしまうからです。
 ここでは、「せめて、民主主義はしょっちゅう最悪な結論を導くものだ……という事実くらいは認めた上での民主主義でなければならない」とだけ理解していただけたらと思います。


 同じく、「いくら政治が乱れても、最終的には国民投票があるから、酷い改正案なら国民がノーと言えば良いだけだ」というのも、民主主義に対してあまりに無批判な態度です。

 そりゃあ、たとえば「日本は日本人だけのものではない」とかいうような条文が示されたらなら、誰だってノーにしますよ。
 しかし、厄介なのは「一見、美しく見えて、実は危険」というようなモノですよね。9条がまさにそうでしょう?

 例えば、みんなの党だとか、維新とかが述べている『首相公選制』とか『一院制』とか、そういった種類の話なら、いかにも国民投票で過半数を得そうではありませんか。
 首相公選制や一院制は、少なくとも9条と同じくらいはガキで低劣で迷惑で厄介な話だと思いますよ?

 9条を止めたいという人は、少なくとも「憲法にヘンテコな条文のあることが、どれだけ厄介か」という事を十分承知人のはずです。
 9条を止めたいという気持ちはよく分かりますが、その辺り焦らず冷静になってもらいたいものです。



 ただ、先日の参議院議員選挙の結果を見るに、安倍内閣での96条改正は現実的には無いと考えて良いでしょう。
 自民、公明、みんな、維新と、合わせれば参院でも三分の二だとはいうけれど、現実的ではありません。

 そして、これで良かったのだと、俺は思います。

 しかし、それでは「黙ってこの憲法を受け入れれば良いのか」といえば、それは違います。
 ただ、憲法の問題はただ単に9条が云々という話だけではなく、非常に多重層的で、様々なモノが絡まって存在しているのですから、「国民の手によって、変えやすくすれば良い」という単純なものであるはずはないのです。

 憲法については、また重ねて論じて行きたいと思います。



(了)



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進歩主義が左翼思想なワケ 

 今日は、進歩主義の落とし穴について論じたいと思います。

 おおむね、『進歩』という言葉は、良いイメージで捉えられることが多いですね。おそらく、なんとなくポジティブな響きがあるのでしょう。
 しかし、この『進歩』という言葉は、とても気をつけて使わなければならない、危険な語句なのです。



 そもそも、『進歩主義』というのは、左翼思想です。一見、何故「進歩の主義」が左翼思想なのか、というのは理解しがたい事かもしれません。

 しかし、少し立ち止まって考えてみると、意外と簡単なことなのです。
 つまり、「未来に向かって進歩していくべき」という考えは、そもそも、「進歩とは何か、という答えが至極明瞭である」という前提の上でしか成り立たないからです。

 ただ、本当の現実を鑑みるに、「進歩とは何か」という問いの答えは誰にも分からないはずなのです。というか、そんなものを提示できるのは、それこそ神的な何かでしかありえません。

 しかし、進歩なるモノを肯定する者にとっては、(それが意識的にせよ、無意識的にせよ)「進歩すべき理想が全ての人間にとって共通して明瞭なのだ」という錯覚に陥っていますから、未来へ向かっての変革に躊躇がありません。
 例えば、「人間は、生まれ持った環境に左右されずに、個々の自由意志にのみ基づいて生きることが理想である」と、無意識に思っている人間にとっては、身分や家柄、血縁といったシガラミから解き放たれる事が『進歩』であると無意識に考えるわけです。しかし、そもそも「生まれ持った環境に、人生が左右されない社会」なんてものが、『進歩』であるなどというのは、ソイツの勝手な思いこみでしかありません。
 また、仮に、そのように思う人間が社会の大多数であっても、「より多くの人間が思う理想が正しい」だなんて証拠は何一つありませんね。また、その大多数の理想を綿密に集計したとしても、それは現在生きている者にとっての大多数にしかなりませんので、本当はそれが大多数であるかなど分からないはずですよ。なぜなら、今生きている人間よりも、既に死んでしまった人間や、これから生まれてくる人間の方が圧倒的大多数なのですから。



 もし、徹底して保守の姿勢を持つとすれば、「進歩とは何かなど、人間には解明できない」事を重々承知するが故に、変革を躊躇します。
 これが、『知らないことを知る』ことですし、『語りえぬもの』であるとも言えますね。

 ただ、こういった議論上で、必ず生じるのが、『懐疑主義』への批判です。
 つまり、「進歩とは何かーーが人間に解明できないという前提の上では、どんな不道徳に思えるような事をしても良いという話になってしまわないか?」という批判ですね。

 しかし、この批判も、次のような筋立てによって解消されると、俺は考えます。
 それは、「正しい道なるものは確かに存在するけれど、ただ、限界のある人間の思考では解明できないだけだ」という考えです。さらに、その判然としない正しい道なるモノへ向かおうとする『意志』だけを、意識して持つべきだと考えます。


 結論をまとめると、「自分たちは、進歩もしうるし、退歩もしうる」という危機感のもと、さらに「選んだ道が進歩であるか退歩であるか分からない」ということを認めた上で、「良い道へ向かおう」いう意志だけは保つ……という、甚だキツい態度を持つ必要がある、と、主張したいのです。

 対して、「これこそ理想だ。だから、それに向かって進歩すべきだ」という『進歩主義的指向』は、薄っぺらで、空疎で、愚かで、蒙昧な、ガキの戯言のように、俺には思われるのです。



(了)



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各政党の、国家と経済に対する立場 

 今日は、『国家』と『経済』という項目に分けて、具体的な政党などを上げ、それぞれの政治的立場を俺なりに分析してみようと思います。そのことによって、世論や議会での議論に不均衡がある、ということを詳らかにしたいと思います。


 ただ、その前に、参院選も近いので、一つ補足を。
 今回のこの見方は「参院選でどの政党を支持するかの判断材料」として参考にしてもらう為のものではありません。
 そもそも、一人一人が政策論によって政党の支持を選び取るだなんて事は、基本的にしてはなりません。そんな素人の意見の寄せ集めが上手くいく程、政治や経済が簡単なはずはないからです。

 ですから、これは、「参議院選挙によってむしろゴチャゴチャに分かりづらくなってしまっている、各政党の姿勢」を、普段使いとして捉え直す一助として考えてもらえれば幸いです。

 この記事をご覧いただいている皆様は、くれぐれも政策などで選ぶのではなく、「自分が所属する地域、団体の既得権益を代表してくれそうな人を選ぶ」か、「長く続いた既存の政治権力機構は、基本的に変えない方が良いという観点から、素直に自民党を選ぶ」か、「白票、または投票しない」といった、健全な姿勢で選挙に臨んでいただけたらと思います。



 さて、今回の分析ですが、ここでは、『国家』と『経済』に対する姿勢を分けて考えて行きます。
 勿論、現実の国家と経済は地繋がりで、決して切り離すことのできないものです。しかし、各々の『思想』とか『考え』とかを見るときには、「国家に対する考え」と「経済に対する考え」を分けて俯瞰して見る事が、時に不可欠になります。

 そして、そういった考えを整然と分析しようとすると、そこには対立軸が必要です。
 世間で、よく『中道』という言葉が使われたりしますね。しかし、これもよく考えると、『中道』とは「両端の二点」を意識しなければ成り立たない言葉であることが分かります。


 よって、「国家に対する考え」と「経済に対する考え」それぞれに、『対立軸』を設定したいと思います。


 まず、国家に対する考えですが、これは世間一般で『右翼』とか『左翼』とか言われているのに近い二項でいきます。
 つまり、『国家派』と『反国家派』の対立軸ーー換言すれば「日本である事にこだわる考え」と「日本である事にこだわるのはよくないとする考え」の対立軸です。
 例えば、日本的な「天皇、歴史、宗教観、文化、道徳基準」にこだわるのが「日本である事にこだわる考え」です。(こちらに、国家の持つ軍事力を重んじるという属性を加味して問題はないでしょう)
 逆に、日本的な「天皇、歴史、宗教観、文化、道徳基準」といったもへのこだわりを排除して、進歩していく人間世界へ帰依していこうとするのが「日本である事にこだわるのはよくないとする考え」です。(こちらには、国家の持つ軍隊には否定的という属性を加味して問題はないでしょう)


 次に、経済に対する考えですが、これは『政府』と『民間』という二項に注目します。
 国家の経済とは物凄く複雑で、人間の不完全な知性では永遠に計り知れることはないものですが、「経済には、政府の領域と民間の領域がある」という事は明瞭ですね。
 ただ、経済に関して、どのくらいの権限を『政府の領域』として発揮するのが適正か、どのくらいの自由を『民間の領域』として与えるのが適正かーーこれが人間には分からないのです。おそらく、永遠に分かるヤツなど出てきませんので、経済学は永遠にこの焦点で対立し続けることでしょう。
 ここでは、「政府の役割をより重んじる考え」と「民間の自由を重んじる考え」という対立軸で考えてみましょう。


 さあ、ここで具体的にいくつかの政党を上げてみますね。

 まず、維新。
 維新の「国家に対する考え」は、一応、「日本であることにこだわる考え」を持っていると判断しておきましょう。
 また、「経済に対する考え」は、かなり極端に「民間の自由を重んじる考え」を持っていると言えます。

 対して、共産党。
 共産党の「国家に対する考え」は、「日本である事にこだわるのはよくないとする考え」を持っています。
 また、「経済に対する考え」は、かなり極端な「政府の役割をより重んじる考え」を持っています。


 こう見ると、維新と共産は対照的ですね。
 維新は、「国家にこだわり、民間経済の自由を押し進める」立場。
 共産は、「国家を打ち破り、政府(トップ)が経済を計画していく」立場。

 これは、冷戦期のアメリカとソ連の対立に酷似しています。

 さらに、維新と似た勢力に、みんなの党というのがあります。
 みんなの党は、どちらかというと『国家』への興味はあまりなく、とにかく「民間経済の自由を押し進める」という事を主眼に置く政党です。
(因みにこのみんなの党が、俺の一番嫌いな政党です)


 あ、維新に関する補足てして、「維新は、旧たちあがれ勢力と、橋本勢力で立場が違う」という話をよく聞きますが、これは確かにそうです。旧たちあがれの平沼氏らは、もともと自民党に所属していて、郵政民営化に反対し、時の小泉首相より刺客を立てられた人達です。つまり、「民間経済の自由を押し進める」のに反対だった人達なのです。
 だから、維新の中でも一部の旧たちあがれ勢力は、阿呆のように「民間経済を自由にすりゃあ良い(とにかく規制緩和)」と騒ぎのたまう橋本らを見て、心中穏やかではないのではないかと思います。
 まあ、旧たちあがれ勢力ってほんの僅かですけれどね。個人的に旧たちあがれの諸先生方には、自民党に戻って、安倍政権の軌道を修正していって欲しいと考えますが、なかなかそうもいかないのでしょう。


 面倒なので、公明、民主、みどり、生活、社民らは割愛します。


 本命の自民党に行きましょう。
 自民党は大政党ですので、様々な考えの人間がごった返しているわけですが、基本的に「日本であることにこだわる考え」を持っています。保守政党ですから。
 ただ、経済に対する考えが一筋縄では捉えきれません。「より民間の自由を重んじる考え」の者と、「より政府の役割を重んじる考え」の者が、党内にひしめきあっているからです。

 ただ、現在の『安倍内閣』だけを見ると、(少なくとも口頭では)より民間の自由を重んじる考えに傾倒している部分が多々見られます。
(しかし、ここで一つ言っておきたいのは、それは勿論、みんなや維新の極端さに比べたら可愛いものだということです。デフレの脱却策に、「国債を増刷しての財政出動を大規模に盛り込む」なんて、維新やみんなからすれば、「政府の出しゃばり」ですし。規制の話でも、維新やみんなの猛烈で無批判な新自由主義色と、安倍内閣の姿勢には、明確に差異があるのであって、いっしょくたにするのはあまりに乱暴過ぎます。)

 話を元に戻すと、つまり、自民党の『党』と『内閣』の経済に対する立場を見た時に、『党』はひしめきあっているが、『内閣』は「民間の自由」の方へ、一部迎合している部分があるのです。



 さて、ここでお気づきになった方もいらっしゃるかと思いますが、実は現存する政党で、「日本、国家にこだわる考え」を持っていて、「経済において、より政府の役割を重んじる考え」を持つ政党が無いのです。
 勿論、政治家個人としてはそういった先生もおられますが、政党や会派単位で、『国家へのこだわり』と『経済における政府の強制』を立場として持つ所ってないでしょう?


 ただ、俺はここで、「そういった政党が必要だ」というような事が主に言いたいわけではありません。
 そんなことよりも、そういった立場の政党が無いことを、何の不思議も不自然もなく無意識に当然の事として受け止めている状況は異常である、と言いたいのです。

 つまり、
『国家にこだわる』+『経済の自由』=右翼
『国家を打ち破る』+『経済の強制』=左翼
 という図式が、無意識的に前提となってしまっているのが、マズい、ということであります。(本当は、『国家にこだわる』+『経済の強制』という論理だって、成り立つわけですから。)

 何故、これがマズいかを正直に言ってしまえば、「国家にこだわる」事は常に正しいことですが、『経済』は「自由にする場面」と「政府が強制する場面」が時と場合によって違うはずだからです。
 そして、「ああ、やはり、国家って大切だよな」と思った者が、自然と「経済は自由にすべし」という考えに引きずられていく状態、これがマズいのです。


 ただ、この『マズさ』を、「国家へのこだわり」と「経済の自由、不自由」は別にして考えるべしーーと叫び、社会全体の議論を正し、啓蒙して行こうという風に考えるのは間違っています。
 『啓蒙』という姿勢は、おおよそ蒙昧な空論だからです。

 だって、いくら俺がここでそんな事を唱えたとしても、焼け石に水。ほとんど何の意味もなければ、一縷の望みすらこし出せません。言論にて全体の議論の不均衡を正してどうこうしようだなんて道は、現実的には開かれていないのです。


 じゃあどうすりゃ良いんだ、という話になると思うのですが、そうなると今回も最後にこれを言っておかねばなりませんね。
 こうした世の中全体の議論の不均衡から、超然した議論を行う事の出来るのは、『長い間続いてきた既存の政治権力機構』(自民党内での、既得権益間の調整)しかないーーということを。

 これをやさしく換言すれば、既存の政治体制を、「変えない」事が大事だということですよ。

 世論や議会に不均衡があるからといって、全体を啓蒙しようとするのは、ガキの発想です。
 何故なら、世論や議会に不均衡の無い時代など、永遠に来ないからです。
 だからこそ、我々は、「長い間やってきた国家体制を変えない事」「長い間やってきた政治体制を変えない事」「長い間やってきた構造を変えない事」ーーといった、『変えない事』を考えねばなりません。
 時代時代で生じる世論や議会の不均衡は、「長い間、変えなかったモノ」でしか、修正する事はできないからです。



(了)



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投票率は低くて良い~参議院選挙に向けて 

 参議院議員選挙直前なので、今日は、「投票率は低くて良い」ということを訴えたいと思います。


 往々にして、政治に興味にある人ほど、「投票へ行きましょう」と声を上げますね。なんとなく、みんなが投票する方が正しいような気がするのでしょうが、ここで少し立ち止まって考えてもらいたいのです。

 すると、「とにかく多くの人が投票に行く方が良い」という発想の下には、「より多くの人数による多数決の方が正しいはずだ」という前提があるのだということに気づくはずです。
 しかし、実は、この「より多くの人数による多数決の方が正しいはずだ」という前提は、何の根拠もない空理空論ですよね。
 この空論の事を、左翼用語で『民主主義』と言います。

 つまり、「投票率は高くなければならない」という発想は、そういった『民主主義』を、無意識に採用した上で生じている考えなのです。
 こういった無意識に社会的に組み込まれてしまった左翼思想を、俺は『無意識的左翼』と呼びたいと思っています。

 いや、「私は民主主義者なので、その点は左翼なのだ」と『意識』しているのならば、まだ良いのです。(そういう人と、俺はあまり友達にはなれそうにありませんが)
 ただ、本当に病理的に問題なのは、民主主義という左翼思想が、「全体として、ぼんやりと、無意識に採用されてしまっている」という所にあります。
 だって、それは無意識ですから、懐疑することすら中々難しいでしょう? 懐疑されない民主主義ほど、劣悪で恐ろしいものはありません。
 それに、無意識であるが故に、保守を自称する人ですら、どうにもこうにも抜き難い左翼思想とも言えるのです。



 さらに、「いや、私は、何も単純に投票率が上がれば良いと思っているわけではなくて、国民たるもの、自分たちの国の政治に関心を持った上で、より正しい投票行動を行うべきである、と言いたいのだ!」というような声が聞こえて来そうな気がしますが、それこそ空理空論というもの。
 というか、国民の大多数が政治に関心を持ち、鼻息荒くしている国なんて、気持ちが悪くて御免ですよ。

 おおよその庶民というものは、自分自身と、家族や勤め先、地域、学校、といったレベルの事しか考えられないし、それで良いのです。だって、国家や政治はとてもとても複雑ですので、そういったことを判断の付くまで勉強しようとすると、とてもじゃないけど普段の生活ができなくなってしまうでしょう? それじゃあ本末転倒です。

 ですから、そもそも、庶民の強く意識する、『狭い単位の小集団』の『既得権益』を守るために、それぞれが中央へ代表を送り込む、というのが議会という所なのです。国会とは、日本代表選抜ではなく、各県の代表が集まる全国大会なんですね。

 つまり、「自分の所属する小団体の既得権益を守るために投票をする」というのが、そもそもの正しい投票行動であって、仮に「自分の属性の既得権益を代表してくれる議員や政党が無い」というのであれば、基本的に投票などしなくて良いのです。
 というか、「自分の属性の既得権益を代表してくれる議員や政党が無い」からと言って、わけもわからず何となく投票なんてされたら迷惑もいいところです。
 だって、わけもわからず投票する、というのが一人だったら良いですが、それが例えば千万票集まれば、千万票分のわけのわからない票の力が、国政を振り回すわけです。ほら、すげえ迷惑でしょう?
 選挙はオリンピックではないので、参加することに意義があるって話にはならないんですね。



 また、「国政選挙というものを通して、国民の多数が、『長い間続いてきた既存の政治権力機構』に対して、信任、不信任を選択する」などということは、あってはならないことです。
 ここで言う『長い間続いた既存の政治機構』とは、自民党と官僚の事ですよ。

 このブログでは、度々「今を生きる国民の『多数』に、長い間続いた既存の政治権力機構への不信任を叩きつけて引きずり降ろす権利など、与えて良いはずがない」ということを述べてきました。
 しかし、今日は逆に「国民の大多数が、長い間続いた既存の政治権力へ『信任』を与える恐ろしさ」についても述べたいと思います。

 簡単な話です。国政選挙での結果は、長い間続いた既存の政治権力機構(自民党)の中でも、そのトップ、内閣の立場のあり方に強い影響を与えます。
 具体的に言うなれば、もし、すごい高投票率で大多数が強力に現在の安倍内閣に信任を与えたとすれば、内閣と党の力関係において、(国民の支持を背景として)内閣が優勢になりすぎる事が予想されます。

 すると内閣は、党での議論よりも、国民の大多数の意見の方へ迎合しなければならないといった政治力学が働きますね。
 これは、実を言うと、長い間続いた既存の政治権力機構が結果的に制限されてしまうことになってます。
 つまり、トップ(内閣)と大衆の世論は結びつきやすく、その一方で、「既得権益を代表し、地味で、古くさく、閉鎖的な自民党内での調整」(既存の政治権力機構)の働きが弱まってしまう可能性があると指摘したいわけです。

 勿論、国民の一人一人の意見が直接的に反映された大衆世論なんてものが正しいことなど、ほぼありえません。
 本来は、既得権益を介した間接的な議論の方ーーつまり自民党内での議論の方を、内閣は重んじるべきなんですね。



 俺は、今回の参議院議員選挙も、長く続いた政治権力機構である自民党を支持します。自民党の単独過半数を願ってもいます。
 しかし、出来ることならそれは、灼熱のような世論の支持ではなく、地味で淡々として冷ややかな勝利であって欲しいと思います。

 わかりやすく言えば、「低投票率での自民党圧勝」、これが理想的展開だと考えるのです。



(了)



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都議選での共産党躍進の意味と計画経済性 

 国政選挙直前の都議選は、国政選挙そのものを占う意味でも大いに注目される選挙です。
 そんな中、先日行われた都議選にて、自民党は圧勝しました。これは、多くの人が予想していたように思います。
 ですが、一方。共産党が議数を伸ばすだなんて珍事を予測していた者はあまりいなかったのではないでしょうか。

 共産党は、自民に次ぐ議席獲得で、民主や維新、みんな等々を抑えました。これは、俺にとってとても印象的なことでした。

 と言うのも、この共産票が意味するものはおそらく、「なんでもかんでも経済を民間の自由にしていくのが良いと考え、政府が敷く規制は取っ払って、政府の支出を削減して小さな政府を目指す、『新自由主義的』な現在の世論や方針に対して、どうしてもノーを表したいのであれば、共産党しか受け皿がない」という話なのだろうと思ったからです。

 だって、よーく他の野党を見てみれば、ほとんど新自由主義的な政策を打ち出している所ばかりでしょう。
 維新、みんなの党は言うに及ばず、旧社会党員の多いはずである民主党ですら無駄を削減して小さな政府へ……とのたまっていたのですから。

 むしろ、それらと比べれば、まだ自民党が最も新自由主義に対する批判を持ちうる政党だと思います。(政党内でということですよ)
 なぜなら、既得権益を代表している良心的な議会人が、自民党の中にこそ多くいるからです。それは正に、長く続いた既存の権力だからこそあり得る調整機能でしょう。
 また、今、安倍内閣が行っている政策の「新自由主義さ」なんて、維新やみんなが唱えているそれと比べたら可愛いもんですよ。だから、俺は(重ね重ね申しますが)多少の新自由主義的な政策が気にくわなくても、総合的観点から自民党を支持します。


 その上で、それでも以前一度失敗している規制緩和や構造改革の路線とか、TPPといったグローバル進歩主義に、どうしてもノーを叫びたいという人はいるでしょう。驚くべき事に、そういう人の受け皿として機能している政党が、最早共産党しかなくなってしまっているのです。



 少し前を振り返れば、小泉時代、新自由主義的な失政に対しての批判の受け皿は民主党でした。民主党の唱えていた極めて安っぽい『弱者救済』(弱い人が可哀想だから助ける)の政策は、どんなに愚かなハリボテであっても新自由主義とは相反するものだったからです。
 しかし、今や彼らの言うことに耳を貸す奇特な日本人などまれですね。(正直、この民主党の隆盛と凋落を見るに、大衆ってのはなんて勝手で無責任なんだろうと辟易しますが)

 かくして、共産党以外の政党は、すべからく「政府の権限を剥奪して、自由市場にて民主的に解放する」という路線を掲げる状態になりました。
 それは、勿論、大衆の「官僚嫌い、政治家嫌い」とか「国家嫌い、政府嫌い」とか「ゼネコン嫌い、既得権益嫌い」とか「グローバルとかイノベーションとか口ずさむと気持ちよくなっちゃう厨二病」などの愚かで痛々しい『世論』に迎合しているというだけの話なのですが……

 そんな愚かな世論に、少しでも逆らうことができるのは、第一に自民党の『古い政治体質』だと、俺は主張してきましたし、これからもそう主張し続けます。



 但し、今回の事で思ったのは、共産党って余分な事は言わずに「計画経済性」だけを主張しつづけたら、国民の何割かの支持を得ちゃったりするんじゃあないでしょうか?
 例えば、雇用環境や市場の安定化に関する規制の強化とか、公共投資や官僚の数と給料を増やして、政府支出を増大するべしとか、そういった「政府が計画的に主導せねばならぬ所は政府がやれ」という議論を計画経済の立場から主張すれば、それなりの説得力があるというもの。
 だから、経済以外の、天皇とか憲法、軍事、歴史、原発とかについての革マル、赤旗的論調は、共産党として少し声をひそめていくぐらいの融通が効けば、参院選挙でも面白い所までいくと思うのですけれど。
 その融通が、彼らにとってはなかなか難しいのでしょうねえ。


 どちらにせよ、維新やみんなの党よりは、共産党の方がマシだと考えていますので、影ながら注目しています。

 票は入れませんけれどね。



(了)



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