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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

      TOP > ARCHIVE - 2013年09月  
  

リフレ及び消費増税反対論に対する糾弾と、ファシズムのススメ 

 昨今、俺が『消費増税』の話題を取り上げている理由の一つは、「今においてのこの問題への態度がそれぞれの経済思想全体を推し量る良い指標となり得る」と思う所にあります。


 昨今叫ばれている「アベノミクスの『三本の矢』によるデフレの脱却」ですが、これには「二つの道筋がある」と、このブログでは再三述べて来ました。
 俺は、それを大まかに「リフレ派」「ケインズ派」というように呼んでいたりもしたわけです。


 あまりに長くデフレが続いていたので勘違いされがちなのですが、そもそも『デフレ』とは「短期的」な問題であります。
 勿論、短期的な話題は重要です。長期的などと言っていたら、皆死んでしまいますしね。しかし、逆もまた然りなわけです。つまり、短期的な話題をこなすためには、どうしても長期的な方向性が論理的に必要だということです。
 これは、常識で考えれば至極当然の事で、「長期的視野の無い短期的な問題解決などあり得ない」し、逆に「短期的な問題を解決しなければ長期的視野など不毛に終わるだけ」でしょう。長期と短期というのは、そういった相互依存関係が成り立っているわけです。

 ですから、一見、幾人かが「アベノミクスの三本の矢でデフレ脱却!」と短期的な問題意識を共有しているように見えても、「実はその元にある長期的な視野や方向性における思想が違う」という事などは、あって当たり前の事なのです。
 そして、長期的な方向性に対する思想が違うのであれば、短期の問題解決においても、徐々にその道筋にズレが生じてゆくのも当たり前な話であると言えるでしょう。

 アベノミクスの三本の矢においては、「リフレ派」と「ケインズ派」のズレです。
 そして、この二つの短期的な問題解決における姿勢の違いは、
「経済において、『政府の領域』と『民間の領域』のどちらをより広げて行くべきと考えるか」
 という、思想の違いが根底にそびえているわけです。

 リフレ派には、『政府の領域』の割合を減らし、『民間の領域』の割合を増やして行く方向への長期的な展望があります。

 対して、ケインズ派には、『民間の領域』の割合を減らし、『政府の領域』の割合を増やして行く方向への長期的な展望があります。

(※注) ここで勘違いしないで欲しいのは、この両者の展望はあくまで『割合』の話であって、『絶対値』の話ではない所です。
 わかりやすく例えると、江戸時代の「五公五民」という話がありますでしょう?あれは、全体の経済の中で、政府が五割、民で五割の消費していくバランスの話ですよね。
 政府の適正規模を長期的に考えれば、物価の話もありますので、当然、絶対値の話ではなく、『割合』で捉えなければおかしな話になってしまうーーなどというのは、おそらく高校生だって分かる事柄でしょう。
(注、終わり)




 さて、長期において、リフレ派に「民間の領域」に思い入れがあり、ケインズ派に「政府の領域」に思い入れがあるという所を意識して、『消費税』に対するそれぞれの姿勢を俯瞰してみましょう。


 すると、概ねリフレ派からは、「短期的には勿論、長期的にも消費増税に反対」という強い態度が見て取れるわけです。当たり前ですね。彼らは、『民間の領域』に思い入れがあるのですから、時期などは関係なく、「税は減って行くことが望ましい」と考えるわけです。
 さらに申せば、リフレという姿勢は、「デフレの脱却の仕方」の筋立てにおいても、あくまで「民なるもの」での解決を重視します。つまり、デフレにおける『需要不足』は、「民の消費」を高めていく事によって解決するのが望ましいーーと考えるわけです。
 そうなると、同じ『需要』であっても、アベノミクスの二本目の矢であるところの『財政の出動』つまり、「政府の需要」には否定的になるわけです。そんな彼らが消費増税に対して強い嫌悪感を示すのは当たり前の事なのかもしれません。


 対して、概ねケインズ派からは、「短期的には増税に消極的、長期的には増税賛成」と、こういう姿勢である事が多いわけです。
 彼らは経済における『政府の領域』を強めるべきだと考えていますので、国家全体の中での『需要』は、「民間の消費」よりも、「政府の支出」で補って行こうという指向が強いからです。
 勿論、民間の消費も増えて行くべきだとは考えるからこそ、デフレでの増税には消極的なわけですが、リフレ派ほどの強い「消費増税反対」の姿勢にならない事は、元からの筋に鑑みて当然なわけです。



 つまり、リフレ派は「民間の消費と、民間の競争」によってデフレを脱却すべきだと考えていて、ケインズ派は「消費サイドは政府が主に増やし、民がもっと働けるようにしていく」ことによってデフレを脱却すべきだと考えるわけです。

 そうなると、おおよその政治的発言をする大衆にとって耳に優しいのは、リフレ派の方ですね。
 だって、とどのつまりケインズ派は、「政府が支出する為に、民がもっと働けるように向かっていく論理」であり、リフレ派は、「民がもっと消費出来るようにする為に、民がもっと働けるように向かっていく論理」なわけですから。
 多くの人は、「自分がより自由に消費したいから働きたい」という衆俗的な心持ちが根底にあるわけで、リフレ派の理屈はその心持ちに迎合した筋になっているわけです。



 しかし、俺は、リフレ派的な輩を見る度に、「こいつら何か勘違いをしているんじゃないか」と思ってしまうのです。
 と言うのも、「民がもっと消費出来るようにする為に、民がもっと働けるように向かっていく論理」を好む輩は、「国家とか政府といったものが、日本列島という場所で今を生きる人間の一人一人の効用を最大化する為に存在している」とでも思ってるんじゃあないかと、疑ってしまうのですよ。
 悪いですけれど、政治や経済は、「日本列島という場所で今を生きる人間の一人一人の為」を最終目的としてはならんのです。
 だって、『政治や経済』が何の為にあるのかと言えば、『国家』の為にあるわけでしょ。
 国家の為に、その「国の民」であるところの生活がそこそこ成り立ってゆく必要があるから、『国民』の消費や、『国民』の雇用に、重要性が帯びてくるのですよ。
 そして、『国家』の為に重要なファクターを考えれば、それが単なる「人間の消費や雇用」とならぬ為に、『強固な中央政府の権力と権威による統治』が不可欠であることなど、至極当たり前のことではありませんか。
 何故なら、中央政府がこなす統治には、「国家を独立せしめる事」「国民を統合する事」「国力を上げる事」といったような、国家の為に重要かつ、「民なるものの自由な消費活動」に任せるだけでは如何ともし難い領域があるからです。

 そうした見地から、俺は『中央政府の権限』を強めて行く方向で、デフレを脱却すべきだと考えます。
 勿論、民なるものの消費活動も活発化していくことが望ましいですよ。それが、「単なる人間の欲望」ではなく、国家の属性を帯びた『国の民』の生活の中で行われる消費活動であるのならば。
 しかし、それにも増して、中央政府の支出と権限を増やして行き、「国家を独立せしめる事」「国民を統合する事」「国力を上げる事」といった『公的な需要』に重要性があるのだと考えます。
 例えば、短期的には道路、橋、堤防などの国土計画。長期的には、軍事力を高め、政治家の定数や高級官僚の給料や数を増やし統治力を上げ、国家による教育の強制力を強め、研究、開発に金をかけ、法や歴史に対するある程度の宣伝、諜報活動にも力を入れて行く……と言ったような。

 このような筋は、ケインズというよりは、ファシズム的な筋に近いかと思われますが、事実、今の日本に決定的に欠けていて、重要な課題は、ファシズム的要素にあるのだと、俺は思います。
 もっと言えば、「大衆による政府への嫌悪」に迎合して、中央政府の権力を削ぎ落とし続けた事が、特に平成における日本の大失敗なのだと考えるのです。本当に、少しくらいナチスの手法に学ぶべきなんじゃあないでしょうか?

 だって、「国家において、中央政府によるある程度の強制が必要」だなんてことは当たり前の話でしょ。
 削ぎ落とされた政府の支出や権限は、その分GDPにも反映されますし、政府の領域であった公的な需要を、民なるものの需要によって賄おうとしても、限界があります。
 勿論、政府の領域をあまりに過剰に広げ過ぎても、限界があります。それはそれで、民なるものの需要を、公的な需要で賄おうとしても限界があるからですね。

 そこは、要はバランスなわけです。
 国家規模に応じた、適切な政府需要、民間需要の割合というものを見定めねばならんのです。

 特に、軍事、政治家、官僚、公共事業等々は、ここ二十年は大衆根性に叩かれまくって来たわけですから、そろそろ日本一億民は「そのあたりの『公的な需要』が、やはり必要だったのだ」と反省しても良い頃なのだと思うのですが。
 それも無しに、まだ「我々に好景気を享受させろ」と政府への請求ばかり繰り返す下賤な輩を見ると、ほとほと吐き気がします。

 俺から言わせていただけば、現在の不況は「政府を叩いて世へ平らかに解放せしめれば、我々庶民に巡ってくるはず」とやってきた報いなんであって、そうした下賤な根性にまみれた今を生きる日本人共を「可哀想な無辜の民」などとはどうしても思えないわけであります。



(了)



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田村秀男の消費税反対論における中川昭一利用、についての糾弾 

 何回も続いて消費税絡みの話題で恐縮ですが。

 産経の編集である田村秀男氏の描いたもので、このような記事があります。

『現金支払機の増税デフレ 中川元財務相の「遺言」に思う』
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130922/fnc13092214460005-n1.htm

 ここでの田村氏の消費増税反対の筋立は、
『政府は、大量のドル建ての米国債を買うことにアメリカへNOと言えない。だから、デフレの中で国民から税を絞り取って、米国債をの購入資金にあてようとしているのだ。すると国民が消費を切り詰めなきゃならんので割を喰うし、民間需要が伸びないので成長できない』
 というものです。


 まず、ここには、一見してすぐさま分かる矛盾点があります。
 というのも、田村氏は、「デフレで消費増税をしても、税収は上がらないので反対だ」という風に常々おっしゃっておられました。
 そうなると、「消費増税で税収が上がらないのに、どうして米国債の購入資金になるのか?」という至極単純な疑問が沸き上がるわけです。つまり、この時点で田村氏の消費増税反対の筋には一貫性を見出す事が出来ないし、一貫しているのは消費増税への反対という結論だけなのだと見受ける他ないわけです。
 だってそうでしょ?もし、あなたがアメリカで、米国債を売りつけたいのだとして、「デフレ下での消費増税で税収が上がらない」のなら、アメリカが今日本に消費増税を求める理屈に合わないじゃないですか。逆に、「消費増税によって米国債が売れる」という理屈を成り立たせたいのであれば、「デフレでの消費増税でも税収が上がる」という見解を示さなければならんという話になってしまいますよ。まさに、『矛盾』でじゃないですか。


 また、田村氏は、消費税という税収のほんの一部の項目と、米国債の購入という政府の支出全体から賄われる項目に繋がりを持たせる理屈を、『国際公約』に置いています。
 つまり、「政府は『国際公約』という外圧によって消費税を上げさせられている。外国の指図によって、自国の税を云々するなど言語同断」と、おっしゃっておられるわけです。
 しかし、田村氏がこうした批判を始めた、G20での麻生大臣の「消費税の国際公約発言」においては、既に消費税の増税自体は国内法で決定しておりました。もう国内で決定した事を国外で約束したとしても、それは「自分の所で決めた法律は、守りますよ」と言っているに過ぎないわけです。
 また、もし、この麻生氏の発言に対して強く反発する者がいるとするならば、それは「時期など関係なく、もう決定しているはずの消費税の増税そのものに反対」であるとしか考えられません。田村氏が、「時期など関係なく、もう決定しているはずの消費税の増税そのものに反対」なのであれば「デフレで消費増税をしても、税収は上がらないので反対だ」という時期の理屈を用いるのは、おおよそ『卑怯』と呼ばれる種類の態度ではありませんか。


 以上の二つから、「消費税の増税」と「米国債の購入」に関連させて、消費増税を「外圧」と捉える田村氏の論理は、甚だ無理がありすぎると考えます。(そもそも、田村氏はTPPに関しては随分と大賛成のご様子ですが、そちらは一向に外圧といった風に捉えない所が俺には不思議でたまりません)



 さらに、ここで俺が最も気にくわないのは、田村氏が、「故人である中川昭一先生の名を用いて持論を虚飾している」所にあります。
 そもそも、記事の中で紹介された中川昭一先生の「日本はキャッシュ・ディスペンサーになるつもりはない」というお話と、今世の中で議論されている「消費増税の『時期』」について、関連性を見出すには甚だ無理がありすぎです。何故なら、前述の通り消費増税を「外圧」と認定する所にまずをもって無理があるからです。
 別に、「外圧そのものが無い」なんて言ってませんよ?ただ、消費税と外圧に関連性を見出すのは難しいし、ましてや、中川昭一先生が「日本はキャッシュ・ディスペンサーになるつもりはない」とおっしゃっていた『外圧』と、『消費税』の間には、一ミリリットルの関連性も無いではないですか。

 その至極無理矢理な理屈を、無理矢理に『中川昭一』の名で補強して、あまつさえ「遺言」などと情緒的に述べ立てるのは、あまり上品な物の書き方とは思えません。
 なんといっても、中川先生は既にお亡くなりになっておられるのですから、自分の言説がどのように使われようとも、文句をおっしゃることは出来ないのですから。

 尤も、産経とはいえ新聞です。いわゆる大衆言論というものに属する媒介へ上品さを求めようなどというのはどだい無理な話なのかもしれません。



(了)



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消費増税反対論に潜む醜悪な態度・改 

 今日も、昨今の『消費増税への反対』に対する批判を。

 何度も言うようですが、俺は「出来ることなら消費増税の『時期』は、来年の四月より延期した方が良い」とは思っています。何故なら、来年の四月にデフレが解消しているとは思えないからです。

 しかし、昨今の風潮でめちゃくちゃ気にくわないのは、単に「税金が上がるのがイヤでムカつく」とか、そういう心根でいるに過ぎないのにも関わらず、理屈としては『デフレで増税はダメ論』を上っ面だけ借りて、何事か国家趨勢のあれそれを考えている風体を装う輩が多い事です。


 まず、よく聞く、「デフレだから、消費増税に反対する」という言葉遣いは明らかにおかしいでしょ?
 それを言うなら、「デフレだから、消費増税を『今』やるのに反対する」なんじゃないでしょうか。

 おそらく前者のような言葉遣いをする連中は、デフレとか関係なく、消費税そのものに反対なんでしょうね……いや、別にいいのですよ。消費税そのものに反対の立場である事自体は。
 ですが、そもそも心根として「デフレとか関係なく、消費税そのものに反対」なのに、口に出す言葉としては「デフレだから、消費増税に反対する!」と叫びのたまうというのは、あまりに卑怯で卑劣な態度ではありませんか。
 その誤魔化しの醜さ、汚さは、正直に言えば「万死に値する」と思います。犬畜生ですら、こういった連中よりは恥を知るということをするんじゃあないでしょうかね。




 また、「今はデフレだから、消費増税の時期としては適切ではない」という話の組立は、

「消費増税という心理的圧力が、家計の消費を減らすだろうから、つまりは民間の総需要が減り、需給ギャップが広がる可能性があって、需給ギャップが広がれば価格も下がり、就労者の所得も企業の利益も下がるから、かえって政府の税収も下がるはず……」

 っていう事でしょう?

 つまり、「国家全体の『供給』が過剰で、『需要』が少ない時」に、さらに『需要』が減るのはマズいって事です。

 しかし、この組立上、「消費税によって家計の消費が減ること」はあくまで『一因』の域を出ない話ですよね。
 何故なら、国家全体にとっての『需要』とは、『民間の需要』に限らないからです。
 公的な需要ーーつまりは『政府の需要』だって需要ですよ。

 すると、「デフレだから消費増税を今やるのに反対!」と叫んでいる人は、少なくとも同じ『勢い』をもって「もっと政府支出を増やせ!」と叫んでいなければ、おかしいはずなんですよ。
 だって、国家全体の事を考えて「デフレ」=「需要不足」が問題だから、「消費増税を今やるのに反対」と言ってるんでしょ?だったら、政府支出による『需要増』についても同等以上の思い入れがあって然るべきはずじゃないですか。

 しかし、この両者に対する世の中の大多数が宿す熱量には、どう見ても大きな温度差があると評さざるをえないわけです。
 消費税の話題に関しては怒気すら含まれているように見受けますしね。

 この温度差は何なんだろうか……と考えると、やはりそこには「自分が消費したいから」「自分が好景気を享受したいから」という心根の方が先にあって、「我々庶民が多く消費していくことが、国家全体の需給ギャップの改善に役に立つんだ!」といった筋の、甚だ都合の良い『愛国心』の発揮の仕方をしているのだという風に思えてならないわけです。
 同じ需給ギャップの問題でも、政府の支出の話題の方は直接自分自身に恩恵を及ぼすという風に感ぜられないので、そちらには、げに麗しき『愛国心』とやらは発揮されないのでしょうね。


 何度も同じような事を言うようですが、これがもし、「自分が好景気の恩恵を受けたくて、多く消費できるようにして貰いたいので、デフレ脱却を希求する」と正直におっしゃっているのであれば、何も文句はないわけです。
 しかし、口では、「デフレは国力を下げるので、消費税を今上げる事はダメだ!」と、さも「国家全体のあれそれを憂いております」ってな調子で叫びのたまうわけでしょう?
 この誤魔化しも相当に劣悪で厄介な態度だと思います。もっと言えば吐き気を催します。

 おおよそ、こういった輩は、前回述べたような税率の本来の意味、『政府の適正規模』という長期的な国家のビジョンへ思考を及ばせるなどということはしないのでしょう。何故なら、そういった長期的な国家のビジョンは、明瞭に今の個人個人へ恩恵をもたらすといった風には感ぜられないからです。
 もし、『政府の適正規模』に対しての何らかの見解があって、(デフレ下でのタイミング論を述べるに正当性のある)「長期的には増税へ賛成」の者であれば、「税率を上げるタイミングといっても、事は政治なので、理想通りいかない事もあるだろう」といった、政府に対する寛容の姿勢も幾ばくか生じるはずです。
 少なくとも、口角泡を飛ばし、政府や政治家に怒り猛って「消費増税反対!」を怒鳴り散らしたりはせぬでしょうよ。




 俺は別に、「多くの国民に税や経済や政府の適正規模についての深い思慮」を求めているわけではありません。多くの人は、毎日普通に働いていて忙しいのですから、政治の事についてかかずらわっている暇など、あるはずもないからです。

 ですけど、自分にとって都合の良い、単なる『政府への請求』を、どこかで聞きかじった中途半端な理屈でもってハリボテの装飾をして、愛国者やインテリの風体を装う小市民ほど、醜く浅ましいものはないと思います。

 基本的に概ねの個々人は、政治について意見する立場になければ、その必要もないんです。一個の男子が、女子が、家が、店で、会社で、学校で、地域で普通に生活を送るだけで、無意識にじゅうぶん国家に対する責務は果たせているのですから、無理してよく分かってもいない『政治』について意見を述べ、あえて自らを醜く貶める必要などあろうはずもないと、俺は思います。



(了)



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税とは物価の調整弁ではない 

 今日も消費税の話を。

 消費増税反対の声がにわかに高まっている昨今ですが、今大切なのは、その筋において「単に税金が上がるのがイヤでムカつく」といったような大衆感情を、心根から徹底的に排除した上で考えていく事だと、俺は思っています。
 少し前まで少々は論理筋立ての節度をもって語られていたこの問題が、甚だ醜く、愚鈍で、感情的に語られるようになっていると感じるからです。


 はじめに確認しておきたいのですが、そもそも、「消費税の増税そのもの」については、既に法律で決定された事項ですよね。
 今、話題にされるべき内容は、その『時期』のはずです。
 つまり、「消費税率のアップは決定しているものの、その時期を来年の四月から行うのか、延期するのか」という議論でしかないはずなんですよ。

 そして、俺も、どちらかといえば「来年の四月からの税率アップは時期尚早であり、慎重になるべきだ」と思っています。世間でよく言われているように、「今はデフレであるから、消費が減って、民間の需要が目減りしてしまうと、需給ギャップ悪化の要因の一つになりうる」と考えるからです。


 しかし、この「今デフレだから」というのは、どこまで行っても『短期的な技術論の一つ』にすぎないということも、理解しておかなければなりません。
 何故なら、そもそも『税』とは、「物価の調整の為」に存在するものではなく、「国家において長期的に適正な規模の『政府』を構築する為のもの」だからです。

 この、税そのものーーつまり、民間に比較した『政府の大きさ』という根本論を抜きにして税を論じると、これは少しおかしな話になってしまいます。
 たとえば、単に「デフレだったらインフレ基調にするために減税を、インフレだったらそれを抑制する為に増税を」といった、あたかも税が『物価の調整弁』として存在しているかのような錯覚すら起こしてしまったり……と。

 立ち止まってよぉーく考えて貰いたいのですが、
「減税するならデフレの時が好ましく、増税するならインフレの時が好ましい」
 というのと、
「デフレだったらインフレ基調にする為に減税を、インフレだったらそれを抑制する為に増税を」
 というのでは、全く意味が違うでしょう?


 あるいは、
「増税は、デフレでやるよりインフレでやった方が良い」
 というのと、
「デフレで増税は駄目」
 というのも意味が違うのが分かりますか?


 つまり、『税』の議論は、現状の『政府の規模』が国家の規模において「小さすぎるのか、大きすぎるのか」という所を見定め、それによって「税を増やす、減らす」といった長期的なビジョンを先に持っていなければならないと、主張したいわけです。

 そして、増やすビジョンを持てば「出来れば、インフレの状態で増やすのが望ましい」と考え、減らすビジョンを持てば「出来ればデフレの状態で減らすのが望ましい」と考えるーーといった筋道でなければならないのです。



 今、何が何でも「デフレで増税は駄目!」と怒りのたまっている輩はよく自分の胸に手を当てて自答して欲しいもんです。

 『デフレで増税は駄目論』は、あたかも国家全体の運営の云々を合理的に指摘しているかのように聞こえますが、その激烈な怒りは本当に『国家の繁栄』に根を置いて発せられているのでしょうか。
 もしや、「自分に好景気を享受させろ」とか「税金を高く取られるのが嫌だ」とか、そういった卑俗な心根が混ざっているのではありませんか?
 少なくとも、「増税したらデフレは抜けれない!」と怒り猛っている輩は、自らにその疑いをかけるべきです。

 繰り返しますが、俺も、「増税はデフレでやるより、インフレでやる方が良い」と思っていますよ。
 しかし、税とは政治ですから、事と次第、流れや風向きで、万事理想的なタイミングで行えるとは限りません。それくらいは『政府への寛容さ』をもって捉えるべきでしょう。

 また、消費増税は民間消費を減らすので、確かにデフレ圧力の一つになり得ますが、それでも一つの要因にすぎません。
 なのに、ことさら消費税について、かくのごとき烈火の怒りをあらわすのは、やはりそこには「単に税金が上がるのがイヤでムカつくといった大衆感情」が入り混じっているのではないかと疑わざるをえないわけです。

 別に、そういった卑俗な大衆感情によって消費増税に反発すること自体はかまわないのですが、その感情を「デフレで増税は駄目論」でもって装飾し、あたかも国家全体を思っているかのごとく装う根性は卑劣極まりないと糾弾しているのです。

 おおよそ、そういった輩にとっての『デフレ脱却』とは、「国力を上げて国家の独立性を高める為」のものではなく、所詮は単に「自分が好景気を享受したいが為」のものなんじゃないでしょうか。



(了)



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景気が良くなって税収が増えても消費増税は必要である 

 昨今、消費増税に反対する理屈が酷く混沌を極めているように思えます。

 もっとも、
「物価が下がっているから、消費増税の時期は延期すべきだ」
 という理屈ならばまだ理解可能なのです。(これも技術論的な理想論だとも思いますが、今回は非難しません)

 しかし、
「デフレから脱却してGDPを上げれば、消費増税は必要ない」
 などというアホ丸出しの頓珍漢をのたまう輩の跋扈するのには、ほとんど頭を抱える他ありません。



 そもそも基本的に、税とは民間に対する『政府の適正規模』の『割合』を見て決めるものです。
 例えば、もし、民間の経済が良く回って、税収が絶対値として増えたとしても、「民間から徴収する税の割合」は変わってませんでしょう。また、経済成長は物価高を伴ってしか出来ないのですから、その物価高の分で税収の絶対値が増えた割合は、増収と換算することは出来ないという事も念頭におかなければなりません。だって、物価高の分で増えた増収分は、支出に反映した時にも物価が上がっているのですから。


 それに、統治すべき民間の経済規模が上昇していれば、政府も相対的に規模を大きくして行かなければならないだなんて常識で考えれば当たり前のことですよ。

 大切なのは、「経済成長」と共に、「政府と民間の力の割合を均衡させること」です。
 そして、この二つは鶏と卵の関係にあります。つまり、前者を成すためには後者が必要であり、後者を成すためにも前者が必要であるといったような。


 具体的に言えば、平成以降の減税で「GDPにおける政府支出の割合」が低下してしまったことが、「政府と民間の不均衡である」と言いたいわけです。つまり、「政府支出が低下してしまい、経済における民の領域が割合として大きくなりすぎている」という不均衡です。

 もし、税を増やすことなしに民間経済の成長によって税収の『絶対値』が増えても、民間に相対した政府の規模が今のままでは、『国家の統治』がままなりません。


 よって、景気が良くなって税収の絶対値が増えても、増税は必要なのです。
 消費税はもちろん、所得税、法人税なども税率を上げるべきです。
 GDPにおける政府支出の割合を適正な値まで戻し、政府統治の強度を適切なだけ確保しなければ、(政府と民間を合わせた)国家全体として国力を高めて行くことはできないのですから。



(了)



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婚外子相続の平等化が左翼なワケ 

 このたび最高裁は、「民法が婚外子の相続を、嫡内子の相続の半分としていること」を、『違憲』とする判決を下しましたね。

 当ブログでは、この判決に徹底的な不支持の姿勢を取っていくことを表明します。


 さて、婚外子というのは、簡単に言うと『妾の子』です。

 つまり、日本の民法では、
「『妾の子』の相続額が、『正妻の子供』の相続額と一緒じゃあまりに非常識だ」
 という歴史的な先入見に基づき、
「(遺言のない限り)妾の子の相続額は、正妻の子の相続額の半分」と決まっていたワケです。

 しかし、
「妾の子か、正妻の子かというのは、その子らの『個人の意志』ではどうしようもない事なので、そこに不平等が生じるのは、『基本的人権』と『生まれながらにしての平等』に反する!」
 ーーというのが、今回の最高裁の判決なのです。

 そして、俺はこれから、この判決に対して『不支持』を執拗に述べていこうと決意したところです。
 徹底的に全否定します。ふざけんじゃねえって感じですよ。



 俺がこの判決を「ありえん」と問題視するのは、ひとえに民法に含まれる「日本の伝統的な習慣と価値観」が、『天賦人権論』によってさらに侵されることになるからです。

 この場合で言うと、
「『家』という共同体のあり方」
 よりも、
「個人の権利」
 を重要視する法のあり方が、ついにここまで来てしまったかと嘆いているのです。


 まず、そもそも、日本における『財産の相続』の正当性とは、財産を個人のモノとして見るよりは、むしろ『家』の財産であると考え、『家』を存続させるさせるために引き継ぐものであるーーとする所にあったはずです。

 つまり、元々、財産の相続は、個人の権利なんかである必要はないのです。
 私有財産を相続させる正当性は、「家を存続させるため」という大儀にあったのですから。


 世の中には、「家なんてのは古い。時代は変わったのだ」と言う学生運動の古カビの生えたようなオヤジ共がいますね。

 しかし、それだと、「財産を相続させる大儀」が、この日本では担保されないという話になりますので、「私有財産は相続されず、政府に徴収されるべきである」という筋になるのが自然だと思うのですが。

 元々、『家』が日本における相続の根拠なのに、その『家制度』が過去のモノであるとするなら、普通に考えて相続制度は廃止ですよ。だって大儀がないのだもの。「私有財産は一代限り」と、そういう話になるはずなんです。

 日本において、『家』を離れた純粋な『個人』に、相続の権利が認められる根拠なんてないんですから。



(了)



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