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日本が日本であるために

 

      TOP > ARCHIVE - 2017年05月  
  

政治制度改革と安倍政権 

 今、安倍政権論を用意しているのですが、その中で一つの重要な腐食の根源地だと思われるのが、政治制度改革だと考えています。


 昨今、安倍政権の問題として言われるのが、

「自民党における党執行部の権力の増大」

 という話です。

 色々省きますが、これは問題なのです。

 一部では、
「腐った自民党にとらわれずに安倍さんが保守っぽいことを断行してくれている」
 というような保守派もいますが、これは間違っています。

 第一、安倍政権の保守っぽい政策は別にサヨクに見せつけるためのお題目的なものばかりで、事実上意味をなさないものがほとんどなのです。
 事実上意味をなさないものについて保守っぽいから反抗しているのがリベラルであるなら、事実上意味をなさないものについて保守っぽいから信任しているのが保守ということになる。

 で、さらに言えば、保守っぽい人も「自民党の構造」というのが嫌いな人が多いから、首相が何か断行している感を醸すことそのものがスッキリするわけです。

 これは小泉改革と同じ構造で、安倍首相の場合、「保守っぽさ」を小泉元首相より多く醸しているというだけです。

 事実上意味をなさないものを断行するのに、さらに「自民党の構造」を蔑ろにするというのは、その時点でよろしくないと思われます。

 何故なら、私は「自民党の構造」は大切だと思うからです。

 さらに言えば、日米構造協議以来の「構造改革路線」の「断行」も、その裏でひっそり続けられてきた。


 ただ、これらは安倍首相だけの問題ではないということも確かなのです。

 例えば、現在内閣が自民党の構造を無視できるのは、先程も言った通り、党執行部の力が相対的に上がったから。
 これは小泉首相時代から同様のことです。

 では何故、党執行部の力が強くなったかと言えば、政治資金規制法と政党助成金によって党議拘束される力が強まり、自民党議員が派閥より党執行部の顔色を窺わなければならなくなったからでしょう。

 政党助成金については、

「国民の税金で政党を養うなんて!」

 的な批判は多くされましたけれど、「自民党の派閥や族議員を疲弊させる」という批判はあまりされていなかったように思いますよ。
 みんな自民党の派閥政治や俗議員を「悪者」扱いしてたじゃないですか。

 この大衆力学がなかったかのように、事を安倍晋三個人の問題に集約するのは卑怯ですよ。
 だってそもそもは、政治制度改革とその方向性の継承で、みんな間違ったキレー事を言い続けてきた結果がこれなんですから。
(※安倍首相個人の人間性に問題があることも否定しないけれど)


 すなわち、(小選挙区制度の問題はまたやりますけれど、)「政治制度改革」というもののなれの果てが小泉首相を産み、同じ構造で安倍首相が元気を出しているという話なのです。

 だから、この政治制度改革の反省なくして、安倍政権の反省はできない。

 言い方を変えれば、「政治制度改革」に蔓延る民主的な「思想」を反省する意味合いで安倍政権を反省するという筋道を立てなければならないのであって、単なる「安倍憎し」では意味がないということでもあるのです。



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「国債が破綻する論(デマ)」のモチベーションは反政府 


 日本の国債が破綻する……という流言飛語は、大衆の反政府的なモチベーションが元にあります。

 この「国債が破綻する」というデマは、私が中学の二年か三年の時、小渕政権の頃から言われていたことです。笑っちまいますが、ほんとうにその頃から「あと~年で国債は破綻する」と言われていたのです。
 私も高校生くらいまでは「そんなもんかなー」っと思っていましたが、20歳くらいになると、これは「大人のウソ」だということがわかった。

 そもそも、大人というのは国家を嫌い、政府のことはもっと嫌う性質を持つものだということは、小学生の頃から知っていました。
 大人たちは「処世」として、あるいは世の中で傷ついた心を「癒す」ために政府を嫌う。
(※でも、影に「そこから超然とした政府の人」がいるから日本は回っているのだと思っていましたが、それは勘違いでした。その頃にはそんな立派な存在は多分なく、単なる慣性によって社会が回って、政府を含めた全員が政府を嫌い、順当に没落してゆくという段階にあったに違いないのです)


 国債が破綻する……という流言飛語も、その一形式です。

 世の中で流通している最もメジャーな反政府的形式は、

「政府(権力者)は、国民の税金を無駄遣いしている!」

 というものです。

 で、国債が破綻するということにしておけば、「政府が無駄遣いをしている」という糾弾の一根拠にすることができてメシがうまいというのが一つある。


 さらには、これは「政府を制限する」という民主主義的なイデオロギーとも関係があります。

 すなわち、「国債が破綻する(デマ)」を言うことで、「政府機関の支出を制限する」ことが民主的に可能というわけです。


 で、一方、現代は嫉妬を祖にしたデマに踊る大衆による民主主義の時代ですから、「政府をやる人」も「政府権力を制限する振る舞い」をやらねば存立しない。

 だからほぼ無自覚的な処世術の一つとして、「国債は破綻する」→「政府は財政規律を守らなければならない」という型が「社会人」として身に付くのです。
 これは、上から下、右から左まで全員そうなのです。


 本当は、もっと国債を発行して、もっと財政を支出して、政府需要によってお金の回転スピードを上げれば、そのスピードに準拠した民間投資と消費が信用創造(民間の借金)と共に少なくともデフレくらいは克服でき、それなりの経済力は維持できたはずです。

 でも、一瞬間一瞬間の社会人たちがそんなふうに考える思考回路を持たないことも、この十年くらいで痛いほど理解しました。
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戦前コスプレ保守について 


1 当たり前だが、今は戦前にはならない。
(これは「今を戦前にさせない」と言う左翼にも共通した滑稽さであるけれど)

2 そもそも「戦前は素晴らしかった」と言った時、そのひとつひとつが極めてテンプレートに過ぎる。

3 また、そのテンプレートの多くは欠陥が多すぎで、「純粋近代に刃向かうものとしての戦前を言いつつ、韓国を近代化させたのは日本だと自慢する」という矛盾や「大東亜戦争の目的は結局なんだったのか」についての解釈の非論理性は、リベラルからすると格好の餌食。
 さらに、「特攻隊を裏切り、本土決戦前に降伏した罪」などについてはゴマカシまくって筋立てない都合の良さ。

(※ちなみに、昨年の今上陛下の御言葉にただちにお応え申し上げ、皇室典範を皇室へお返し申し上げるべきだったのはこのことと関係する。そもそも、大東亜戦争で「後に続く者を前提に先に死んだ者」を裏切ってまで降伏したことに一縷の理があるとすれば、それが「勅」であったから。でも、ここには坂口安吾の言うような可能性がある。すなわち、「天皇陛下がおっしゃるのであればやむをえない……という体で、実は天皇が降伏を命じてくれてホッとしていた」という低劣な可能性である。でも、これまでは当然「そうではない可能性」も微かにあった。しかし、昨年の今の天皇陛下の御言葉にこうもグズっているとなると、結局のところ我々はなにか刹那的に都合の良いときだけは御聖断を仰ぐけれども、そうでもないとき、それこそ「GHQにより皇室典範が法律の系列下に置かれてしまっているという戦後体制からの脱却」などに関しては都合が悪いからグズる国民だ……と解釈せざるをえなくなる。すると、あの時もやはり単に「先に死んだ者を裏切る」ということを天皇のせいにしていただけだったという話になってしまうのである!)

4 その意味でこういう手合いは、「幕末、戦国武将、平安ロマンなどに都合の良いファンタジーを感じ、様々な二次設定をこしらえてしまう歴史オタク」と根本的に変わらないがゆえに「コスプレ保守」と区分するのが適切。


5 このことからも昨今保守派(?)の想っている「戦前」とは、単に「今の感覚から見て都合の良い『戦前』のイメージ」である疑いが強い。

5 ただ、そこでこうした「都合の良い『戦前』のイメージ」 を「戦前そのもの」とみなして反発するのは筋違いである。この場合、「今の感覚から見て都合の良い戦前のイメージをしつらえる『態度』そのもの」に反発することが大事になってくる。
 例えば、永遠のゼロやAPPA懸賞論文、少し前に話題になった森友学園塚本幼稚園の表現するものを「戦前」とみなして反発すると、一方でその「今の感覚で過去を裁断して作り出した安っぽいイメージ」自体は継承した上で反発することになってしまう。ムカつきポイントは「今の感覚で過去を裁断して自分に都合の良いイメージを作っているヤツらの『態度』そのもの」なのである。
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保守もリベラルも(福祉政策以外の)政府の公共的な需要を敵視してきた 


 保守、リベラルでもう一つ気をつけなければならないのは、政治思想と経済思想が組み合わさって群れているから、結局のところ双方同じような過ちを犯し続けているということです。

 とりあえず、「ステレオタイプな保守っぽい政治言論」と「ステレオタイプなリベラルっぽい政治言論」というものがあるとする。

 これに付随して何故か「保守っぽい」のは「自由市場を重んじて経済から政治を排除する」ということになっており、「リベラルっぽい」のは「社会福祉っぽいものを重んじて弱者を救済する」ということになっている。

 すると、社会福祉以外の「経済における政府の統治力」は保守っぽい者からもリベラルっぽい者からも排撃されることとなる。

 昨今、「学芸員が癌」とかなんとか言っていた政治家がいたらしいけれど、これはかつての民主党の「仕分け」と発想が同じであるし、もっと言えば小泉政権による独立行政法人のカットからおんなじです。
 公共投資や政治家、官僚の給与や人員を下げるというのも共通していますでしょう。

 私から見れば、むしろこうした思想が癌なのです。

 まったくもって政府の公共的な需要を敵視するというのは、保守もリベラルも共通してやってきたことであり、そしてそれがデフレを長期化させて、国家全体を傾かせてきた。


 この21世紀の新しい時代とはそういう暗黒の時代だったというのが、21世紀に20代をやってきた私の印象です。

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