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フランス大統領選マクロン氏の勝利とEUグローバリズムについて
先日、フランス大統領選でマクロン氏が勝ったそうですね。
今回のフランス大統領選挙はざっくり言って、
「EUグローバリズムのマクロン」
VS
「反EUグローバリズムのルペン」
という対立と見るのが適当だと思われます。
そして、残念ながら今回は「EUグローバリズム側の一勝」ということになったようです。
しかし、昨年から世界はいよいよグローバリズムの終わりが着実に見え始めています。
と言うのも、まずアメリカのトランプは保護主義(国家権力が貿易の自由を制限して国内産業を保護すること)を掲げています。
また、イギリスはEU離脱を国民投票で決していますね。
これは、もはやグローバリズムが「キレー事としてすら通用しなくなってきている」ということであり、時代の大きな流れでもある。

で、今回。フランスはそれこそ世界の潮流に対応できずに逆行してしまった……と表現することもできるでしょう。
現大統領のオランド氏は「大多数がEUへの愛着を示した偉大な勝利」と言っているそうですが、この邪悪な言葉が逆に象徴的です。
すなわちこのフランス大統領選挙は、
1 フランス人が「EU」を最大単位として経験世界に愛着を持つか。
2 それともフランスという「国民国家」を最大単位として経験世界に愛着を持つのか。
という話でもあったのですから。
(この関係性はブレグジットと同じでしょう。フランスでは勝敗が逆に振れたということだけです)
で、実際。
世界の潮流は、たとえ経済であっても人類は「国民国家」を超えることはできないし、超えるべきでもない……という方向へ向かっています。
経済で地球を一つにするなどという「キレー事の進歩的未来観」は崩れ、「国家権力が各国民経済の循環を重んじなければ、地球全体の経済循環も成り立っていかない」ということが赤裸々になってきているからです。
そんなことはこれまでも、例えばフランスのエマニュエル・トッド氏などが盛んに発言されていて、日本でも非常に多く読まれているでしょう。
(同じエマニュエルでも大違いですね!)
とりわけ、リーマン・ショック後はグローバリズムの限界が明瞭になってきていた。
でも、政治的には「キレー事としてのグローバリズム」が表面上は取り繕われていたのだけれど、それも去年に終わったのです。
そういう意味で、今回「EUを最大単位」として選んだフランスは「バスに乗り遅れた」と言っても過言ではないのです。
ところが。
フランスだけではなく、先進国における「グローバリズムの終わり」という世界の流れに取り残されている国がもう一つあります。
言うまでもなく日本です。
安倍首相「EUへの信任」 マクロン氏勝利で
http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLASFS08H0K_Y7A500C1EAF000
例えば、首相は一貫して、去年のトランプ当選やブレグジットなど「反グローバリズム的な動き」に対してはこれを諌めるポジション取りをしてきました。
すなわち、
「保護主義の台頭を牽制し、自由貿易の推進によって平和を維持しよう」
と、そういう理屈で。
そして、今回のマクロン当選のような「グローバリズム維持の動き」に対しては好意的なポジション取るというわけです。
さて、2016年からのこの流れの上で、「安倍首相はご自身でもイイコトをやっているという自信をもって保護主義の牽制と自由貿易推進を訴えている」ということが、論理上でも明かになってしまったということでもあります。
そもそも、トランプ当選まではこうした立場取りがタテマエである可能性を少なくとも論理上は否定することができなかった。
ですが、2016年には「本気でそう考えている」ことが論理上も明らかになったということでもあります。
何せ、アメリカにおもんばかって市場を開放せざるをえない……という筋がなくなったのですから。
ただ、もう一皮捲って首相の心理を読み解いてみるとこういうことなのだろうと察せられる。
それは、ここ数十年、日本がやってきたキレー事の枠組みが「自由貿易とグローバリズム」だったから、急に「保護主義も大切」という話になってもどうして良いかわからないので、「保護主義を牽制して、自由貿易を訴える」という態度を取ることにより旧来の枠組みにしがみついてホッとしている……ということです。
でも、首相ご自身ではそのようなことは自覚言語的に考えていなくて、あくまでご本人としては「保護主義を牽制して、自由貿易を主張し、道徳的高みに立つのだ」とお考えになっているのだと思われます。
何故、そんなややこしい精神作業が必要であるかと言えば、「自分がイイことをやっている」と思っておくためです。
これは非常に低劣なことでしょう?
でも、こうしたことはなにも首相に限ったことではないというのが、もっと困ったことなのです。
本当に深刻なことですが、こうした「国境を越えた移動や経済の自由」を進歩の光の先とみなし、「国内産業構造を保護すること」を常に旧弊と見なすのは、現代の日本のメジャーな処世枠組みでしょう。
これは特に政治や経済に関心のないフツーの人も同様です。
つまり、おおよそ一億人くらいは安倍さんと同じなのです。
また、この点に関しては、いわゆる「安倍信者」も「反安倍を言っている人たち」もそうです。
安倍信者は言うに及ばず、反安倍の人たちの「反」のモチベーションは単に「国家に縛られたくない」だから、共謀罪とかそーゆーどーでも良いことをピーピー騒ぐことに終止していて、グローバリズムに対してはおおよそ無言です。
何故無言かと言えば、自由貿易は国家権力を弱めることであり、リベラルからしてもそれは好意的にみられることであるが、安倍首相が保守派のスターであるから、そんな保守派のスターであるところの安倍首相が行うことについては、仮に自分の好意的に見ているものを推し進めているのだとしても好意的に言うわけにはゆかず、だからと言って非難するわけにもいかないので、自然と「その部分については無言でいる」という態度へ集約されていくというわけです。
だから、実際リベラルはおおよそ自由貿易主義なのですよ。
そういう意味で、グローバリズムの筋で安倍批判をしている勢力は共産党くらいなものです。
だから、サヨクの中でも共産党はえらいんです。
つまり、日本のインテリ、大衆の間では、未だに「グローバリズム」が「キレー事の体系」として大前提されているというわけです。
その点、フランスの方が何倍もマシだとも言えます。
だって、我々は、
「自由貿易へ舵を切るか、保護主義へ舵を切るか」
などと議論にすらなりませんでしょう?
議論の余地なく自由貿易の方向性は前提されている。
何故かと言えば、現在の我々はそういう進歩の「未来観」を前提しているからです。
また、何故そんな未来観を前提しているかと言えば、現代の日本人は「国家が関係なくなる未来の到来を前提して、敗戦国民としての屈辱をゴマカス」という基礎トレーニングを積んだ上で「社会人」をやっているからです。
つまり、グローバリズムの未来観というのは、現代の我々日本人の都合によって仕立て上げられている世界観であり、日本より小さな世界観なのです。
我々の持つ「グローバル」の世界観は「日本」より小さい。
このことを言う者は少ないけれど、心の奥ではおそらくわかっているのだと思います。
ただ、これを明瞭に自覚すると心が壊れてしまうので、気づかないフリをしているだけに違いないのです。
だからこそ日本人は特に「グローバル」の世界観へ固執せざるをえなくなっている。
首相の自由貿易路線は、国民全体のこうした力学の「映し鏡」であると見なすのが、最も適当なのではないでしょうか。
その証拠に、日本のマスコミを見ても、ルペン氏については「極右」という枕詞をつけずにおれないようだし、今回のマクロン氏の勝利を世界秩序のプラスに換算する態度で一貫されている。
また、それに大した疑問符も付されていないというのが現状なのです。
まず、国民全体レベルでこれをなんとかしなければならないのだと思います。
(了)
今回のフランス大統領選挙はざっくり言って、
「EUグローバリズムのマクロン」
VS
「反EUグローバリズムのルペン」
という対立と見るのが適当だと思われます。
そして、残念ながら今回は「EUグローバリズム側の一勝」ということになったようです。
しかし、昨年から世界はいよいよグローバリズムの終わりが着実に見え始めています。
と言うのも、まずアメリカのトランプは保護主義(国家権力が貿易の自由を制限して国内産業を保護すること)を掲げています。
また、イギリスはEU離脱を国民投票で決していますね。
これは、もはやグローバリズムが「キレー事としてすら通用しなくなってきている」ということであり、時代の大きな流れでもある。

で、今回。フランスはそれこそ世界の潮流に対応できずに逆行してしまった……と表現することもできるでしょう。
現大統領のオランド氏は「大多数がEUへの愛着を示した偉大な勝利」と言っているそうですが、この邪悪な言葉が逆に象徴的です。
すなわちこのフランス大統領選挙は、
1 フランス人が「EU」を最大単位として経験世界に愛着を持つか。
2 それともフランスという「国民国家」を最大単位として経験世界に愛着を持つのか。
という話でもあったのですから。
(この関係性はブレグジットと同じでしょう。フランスでは勝敗が逆に振れたということだけです)
で、実際。
世界の潮流は、たとえ経済であっても人類は「国民国家」を超えることはできないし、超えるべきでもない……という方向へ向かっています。
経済で地球を一つにするなどという「キレー事の進歩的未来観」は崩れ、「国家権力が各国民経済の循環を重んじなければ、地球全体の経済循環も成り立っていかない」ということが赤裸々になってきているからです。
そんなことはこれまでも、例えばフランスのエマニュエル・トッド氏などが盛んに発言されていて、日本でも非常に多く読まれているでしょう。
(同じエマニュエルでも大違いですね!)
とりわけ、リーマン・ショック後はグローバリズムの限界が明瞭になってきていた。
でも、政治的には「キレー事としてのグローバリズム」が表面上は取り繕われていたのだけれど、それも去年に終わったのです。
そういう意味で、今回「EUを最大単位」として選んだフランスは「バスに乗り遅れた」と言っても過言ではないのです。
ところが。
フランスだけではなく、先進国における「グローバリズムの終わり」という世界の流れに取り残されている国がもう一つあります。
言うまでもなく日本です。
安倍首相「EUへの信任」 マクロン氏勝利で
http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLASFS08H0K_Y7A500C1EAF000
例えば、首相は一貫して、去年のトランプ当選やブレグジットなど「反グローバリズム的な動き」に対してはこれを諌めるポジション取りをしてきました。
すなわち、
「保護主義の台頭を牽制し、自由貿易の推進によって平和を維持しよう」
と、そういう理屈で。
そして、今回のマクロン当選のような「グローバリズム維持の動き」に対しては好意的なポジション取るというわけです。
さて、2016年からのこの流れの上で、「安倍首相はご自身でもイイコトをやっているという自信をもって保護主義の牽制と自由貿易推進を訴えている」ということが、論理上でも明かになってしまったということでもあります。
そもそも、トランプ当選まではこうした立場取りがタテマエである可能性を少なくとも論理上は否定することができなかった。
ですが、2016年には「本気でそう考えている」ことが論理上も明らかになったということでもあります。
何せ、アメリカにおもんばかって市場を開放せざるをえない……という筋がなくなったのですから。
ただ、もう一皮捲って首相の心理を読み解いてみるとこういうことなのだろうと察せられる。
それは、ここ数十年、日本がやってきたキレー事の枠組みが「自由貿易とグローバリズム」だったから、急に「保護主義も大切」という話になってもどうして良いかわからないので、「保護主義を牽制して、自由貿易を訴える」という態度を取ることにより旧来の枠組みにしがみついてホッとしている……ということです。
でも、首相ご自身ではそのようなことは自覚言語的に考えていなくて、あくまでご本人としては「保護主義を牽制して、自由貿易を主張し、道徳的高みに立つのだ」とお考えになっているのだと思われます。
何故、そんなややこしい精神作業が必要であるかと言えば、「自分がイイことをやっている」と思っておくためです。
これは非常に低劣なことでしょう?
でも、こうしたことはなにも首相に限ったことではないというのが、もっと困ったことなのです。
本当に深刻なことですが、こうした「国境を越えた移動や経済の自由」を進歩の光の先とみなし、「国内産業構造を保護すること」を常に旧弊と見なすのは、現代の日本のメジャーな処世枠組みでしょう。
これは特に政治や経済に関心のないフツーの人も同様です。
つまり、おおよそ一億人くらいは安倍さんと同じなのです。
また、この点に関しては、いわゆる「安倍信者」も「反安倍を言っている人たち」もそうです。
安倍信者は言うに及ばず、反安倍の人たちの「反」のモチベーションは単に「国家に縛られたくない」だから、共謀罪とかそーゆーどーでも良いことをピーピー騒ぐことに終止していて、グローバリズムに対してはおおよそ無言です。
何故無言かと言えば、自由貿易は国家権力を弱めることであり、リベラルからしてもそれは好意的にみられることであるが、安倍首相が保守派のスターであるから、そんな保守派のスターであるところの安倍首相が行うことについては、仮に自分の好意的に見ているものを推し進めているのだとしても好意的に言うわけにはゆかず、だからと言って非難するわけにもいかないので、自然と「その部分については無言でいる」という態度へ集約されていくというわけです。
だから、実際リベラルはおおよそ自由貿易主義なのですよ。
そういう意味で、グローバリズムの筋で安倍批判をしている勢力は共産党くらいなものです。
だから、サヨクの中でも共産党はえらいんです。
つまり、日本のインテリ、大衆の間では、未だに「グローバリズム」が「キレー事の体系」として大前提されているというわけです。
その点、フランスの方が何倍もマシだとも言えます。
だって、我々は、
「自由貿易へ舵を切るか、保護主義へ舵を切るか」
などと議論にすらなりませんでしょう?
議論の余地なく自由貿易の方向性は前提されている。
何故かと言えば、現在の我々はそういう進歩の「未来観」を前提しているからです。
また、何故そんな未来観を前提しているかと言えば、現代の日本人は「国家が関係なくなる未来の到来を前提して、敗戦国民としての屈辱をゴマカス」という基礎トレーニングを積んだ上で「社会人」をやっているからです。
つまり、グローバリズムの未来観というのは、現代の我々日本人の都合によって仕立て上げられている世界観であり、日本より小さな世界観なのです。
我々の持つ「グローバル」の世界観は「日本」より小さい。
このことを言う者は少ないけれど、心の奥ではおそらくわかっているのだと思います。
ただ、これを明瞭に自覚すると心が壊れてしまうので、気づかないフリをしているだけに違いないのです。
だからこそ日本人は特に「グローバル」の世界観へ固執せざるをえなくなっている。
首相の自由貿易路線は、国民全体のこうした力学の「映し鏡」であると見なすのが、最も適当なのではないでしょうか。
その証拠に、日本のマスコミを見ても、ルペン氏については「極右」という枕詞をつけずにおれないようだし、今回のマクロン氏の勝利を世界秩序のプラスに換算する態度で一貫されている。
また、それに大した疑問符も付されていないというのが現状なのです。
まず、国民全体レベルでこれをなんとかしなければならないのだと思います。
(了)
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Category: 経済:反グローバリズム
Thread: 政治・経済・社会問題なんでも
Janre: 政治・経済
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