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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

      TOP > ARCHIVE - 2017年06月  
  

構造化した「構造改革」 


 構造改革……という言葉が流行らなくなったのは、構造改革が今やあまりに常識化してしまい、あえて「構造改革」などと言う必要がなくなってしまったからかもしれません。

 つまり、構造改革が国家の構造の一部になってしまったかのように。

 もしそうならば、国家はおしまいですね。


水晶



 構造改革というのは、

 国内においては「規制緩和」
 国外に対しては「貿易障壁を取り払う」

 ……ことによって国内構造の改編を起こし、供給サイドで効率化せしめる改革と言われ、特に小泉政権以来、急激に推し進められてきました。


 ただ、「規制緩和」と「貿易障壁を取り払う」というのは、よくよく考えてみると同じことです。

 すなわち、規制緩和も自由貿易主義も、

「政府の分権構造から統治権力を剥奪する」

 という形で行われるものだからです。


 結論から言えば、「政府の分権構造から統治権力を剥奪するものとしての構造改革」は、国家を強くするという観点から見て、

「あやまち」

 であった。


 何故なら、政府の構造から統治権力取り上げるということは、何らかの国家的「既得権益」に浴しながら生きているすべての各日本国民の構造から権力を剥奪することでもあったから。


※そして、それは「郵政改革」「聖域なき構造改革」の失敗により2000年代には雰囲気的には共有された反省であった。だからこそ、高橋洋一のようなリフレ派(上げ潮派)や竹中平蔵一派は福田内閣以降一線から退出していたでしょう。また、民主党政権の誕生にも、こうした小泉、安倍の新自由主義の反省からだという話ならば3パーセントほどは頷けるところもあった。(私、民主党に投票したことはないですけど)
ただ、実際には民主党も「政治主導」「仕分け」「コンクリートから人へ」などと言って構造改革を押し進めたのですが……。
これが第二次安倍政権前までの構造改革史で、つまりずっと同じようなことを繰り返しているんです。


 ◆


 そもそも政府の構造というのは、ざっくり言って「自民党」や「官僚」の構造でした。

 自民党は地方や産業の権益を代表する形で政治的な「既得権益構造」を構成し、官僚、省庁は組織として複雑で膨大な国家の行政を分担して国家全体を回してきた。

 で、よくよく考えてみれば、こうした
「既得権益」
 と呼ばれるものの諸構造は、日本国民の誰しも多かれ少なかれ浴していたものでした。

 だって、なんらの地域、産業に帰属せずして生活する者はないんですから。



 でも、そのことに気づかなかったのは、「各既得権益構造が、他の既得権益構造を叩く」ということをしてきたからです。

 例えば、郵政民営化では、郵政や自民党の郵政族の「既得権益」をみんなで叩いていたわけですが、その叩いていた日本国民のそれぞれも何らかの「既得権益」に浴している……といった具合に。



 だから、日本国民はいつからか、

「自分が浴していている既得権益以外の既得権益はズルだ」

 と考えるようになったというわけです。



 そして、こうした日本人の俗悪な精神を集約して、理論的な正当性を与えるのが「知識人」というものです。

 知識人は、「規制緩和」という便利な言葉で、「政府と既得権益の構造」から、「統治権限の剥奪」を請求してきた。

 これは一見、「権力から権限を剥奪して、非権力へ権限を解放している」感があるから良いことに見られがちですが、そうではありません。


 規制緩和論というのは「権力と非権力」という話ではなく、理論上、

「土地や産業に埋め込まれていない滞在人(大衆人)」

 が、

「各土地、各産業に埋め込まれた国民」

 から、その前提構造を奪い取るという話なのです。



 だって、

「各土地、各産業に埋め込まれた国民」

 というのは、当たり前ですが「政府の統治機能(省庁)」「政治的権力(自民党)」と深く地繋がりなのです。

 だから、統治と政治権力の構造なしには国民的な地域も産業も存立しえない。

 その各国民組織の「構造」を維持するため、官僚組織による「規制」と政治的な「既得権益」があったわけですから。



 だのに、これを「緩和して、緩和して、緩和すれ」ば、国家のあらゆる地域構造や産業構造はバラバラの無前提に堕すはずでしょう。

 そして、この「バラバラ」を好むのが「知識人」=「大衆人」=「滞在人」なのです。

 知識人は、産業や地域に埋め込まれていない、都市市民的な「疎外者」である場合が多い。

 彼らは、自分が土地的な価値に組み込まれていないから、土地的なものに組み込まれた人々の「あり方」へ異様な「敵意」を燃やします。

 その敵意はおおよそ嫉妬からくるのでしょうが、彼らはそのことに無自覚で、むしろ「規制緩和によって非権力者を権力者から解放する」とすら考えている。

 その際、そこへ正当性を付与するのは「民主的」という俗悪なイデオロギーです。



 こうした「知識人を中心とした大衆人」と「外国の市場解放圧力」が(いわば「無自覚な売国」的に)結託した形で

「政府の統治組織や既得権益的政治権力から権限を剥奪する改革」

 が、

「規制緩和」「グローバル化」「構造改革」

 という方向性だったのでした。


(了)


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Category: 経済:思想、政府の役割

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