07 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 09

日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

TOP > 経済 > title - 消費増税からの行政改革的な世論指向を、先回りして牽制する      
  

消費増税からの行政改革的な世論指向を、先回りして牽制する 

 俺が昨今、世の中の「強い消費増税への反発」を批判的に見てきたのは、そこにバラバラな個々人による単なる『政府への請求』の姿勢が強く含まれていると見たからに他なりません。強い消費増税への反発における『政府への請求』とは、「今を生きる我々一人一人が、もっと消費できるようにしろ」といったような、政府に向かっての『自由』の請求の事です。


 勿論、「デフレの下での増税には慎重な立場をとらなければならない」というのは俺とて同意しますし、さらには「政府には、局面に応じて、増税する前に支出を拡大する権限が与えられていて然るべきだ」とも考えています。
 しかし、短期的な技術論としては正鵠を射ていた論理も、『大量の単なる人間』に広まる度に単純化され、議論の筋は無視されて、もっといえば幾つかの『卑怯』によって微細な部分が都合良く改変され、果てには『政府への請求』へと成り果てたが故に、仕舞には「政治家や高級官僚への下品な怒り」となって顕れてしまったのではないかーーと疑ってきたわけです。


 さて、おおよそ九月の一ヶ月まるまると「怒り狂って政府への請求を怒鳴り散らして来た『大量の単なる人間たち』」は、消費増税について『自分達の請求』が通らなかった今、どのような指向を辿ってゆくと予測されるでしょうか。


 ある人は、「安倍首相がああおっしゃっておられるのだから……」と、静まりかえって行くのかもしれません。世間で言う所のいわゆる『保守』と呼ばれる人たちの安倍首相への心棒は、やはり強いものがありますから。そういう人達は、再び外人を罵ったりなどする事に心血を注ぎ始めるんじゃないでしょうか。まあ、そのくらい可愛いもんです。


 しかし、別のある人は、『消費増税に関しては受け入れられなかった請求』に代わって、『別な請求』をし始めるのではないかと疑わないではいられないのです。
 その『別な請求』というのは、「我々庶民から税金を絞りとるのであれば、政治家や高級官僚にも『痛み』を与えやがれ!」といったような、世にも醜く、けばけばしい大衆根性の事であります。
 つまり、「民の生活が苦しい分、政府にかける税金も減らせ!」といったような、いわゆる行政改革的な指向です。


 そして、今回は、先回りしてこの劣悪な『行政改革的な指向』に牽制を入れさせていただきます。

 と申しますのも、今まで「デフレでの消費増税は、国力を削ぐから反対だ!」と叫んできた人間が、もし仮に、これから「消費増税で庶民が苦しむ分、政治家や高級官僚や政府そのものにかける支出を減らせ!」などと叫び始めたら、そこには明瞭なる『矛盾』が露呈されることになるーーと強調しておく必要があると思うからです。

 だってそうでしょう?

 そもそも「デフレ期の消費増税は、国力を削ぐから反対だ!」という話は、「消費税が上がると、個人消費が減り、国家全体の消費が減る可能性があるから、『総需要が減る要因』になりえる」って所に集約されているわけです。つまり、デフレの時に国内全体の『需要』が減るのがマズい……ていう一筋の下に、「国家の為の、現時点での消費増税反対」とやらの大儀と正当性が担保されていたわけですよ。

 さればその筋の先に、同じ『需要』である『政府支出』を指して「減らせ」などと言い始めたら、どう考えてもおかしいでしょ。だって、ついこないだまで「国家全体の為に、需要の拡大が大事」という筋をもって消費税に反対した人間が、この先にデフレ下で政府の支出を減らす事を主張し始めたら、「あれ、国家全体の需要とやらの話はどこいったの?」って、脳味噌くっついている人間であれば誰でも思うわけですよ。

 もしこのような『矛盾』が散見されたなら、それはとどのつまり、「国家の為、国家の為」などと口では述べ立てておきながら、実の所「個々人の為」であるか、あるいは、「自分の為を考えたい者達に対して、都合の良い愛国的理屈を与えて迎合し、キャーキャーとチヤホヤされたいが為」に、言葉を羅列しているに過ぎないが故に起こった浅ましい『淵』のようなものだと評する他ないでしょう。
 いや、ここでの俺は未だそのような言説のあるのを確認して来たわけではないので、あくまで先回りして「もしそんな輩が湧き始めたら、それは矛盾しているぜ」と牽制しているだけではありますけど。




 さて、何故今こんなややっこしい牽制をしているのかを申しますと、昨今聞かれる「デフレ」への解釈において、「橋本龍太郎政権での消費増税」がやたらめったら非難されているのに対し、あの時代、それ以上に強いデフレの要因となったであろう『緊縮財政』と、その心理的根元であった大衆世論による『行政改革的指向』に関しては、反省してみる素振りすら見受けられないからであります。


 まあ、橋本政権の時、俺は小学生でしたから、ほとんど後知恵で申し上げているという『卑怯』はあるのですけれど……
 それでも、その頃の大人が言っていた事、世の中の雰囲気などは何となく記憶にあるものです。

 例えば、ある日、テレビの向こうの議上で時の橋本首相が「ごめんなさい」と頭を下げていました。それをもって、コメンテーター達は、「素直に謝る態度は感心だ」などと言うのです。この時、俺は子供心に、「総理大臣ってのは、日本では天皇の次に偉い人だった気がするけれど、そんな人に対してこのコメンテーターの人は何でそんなにエラそうな事を言っているのだろう」という風に思った覚えがあります。

 また、ある日、学校の先生が次のように言うのです。
「世の中には官僚という悪い人達がいて、天下りやらカラ出張やらを用いて、国民の納めた税を不当に搾取しているのだ」
 と。
(実際、こういう台詞だったかは分かりませんが、だいたいこんな風に教わった気がしますよ)

 テレビは、もっと酷い言いようだったと思いますね。
 とにかく、「政府という腐った組織の中に、腐った人達がいて、国民が納めてやっている税金を不当に搾取している」という事と、「そういう腐った政府組織の無駄を減らして、税金の負担を下げるべきだ」という事、それに「民間が不況に喘いでいるのだから、政府組織の人間も同じような競争に晒されるべきである」という事が、繰り返し叫ばれていたように記憶します。

 勿論、当時の俺はそういった世の風潮を言語で整理していたわけではなく、何となく「大人の話によると、政府ってのはたいそう悪いヤツららしい」という風にボンヤリと掴むくらいであったのでしょう。
 ただ、これもボンヤリとですが、「そりゃあ、何かおかしな話だな」とも思っていた気がします。


 そして、ある程度大きくなって、「世の中を威猛々しく闊歩する『世論』なるものは、八割方が嘘っぱちであると考えて差し支えないのだ」ということくらいは分かるようになると、行政改革的指向が緊縮財政を生み出す流れの、げに醜き『(国の民ではないバラバラな個々人という意味での)大衆』の心根が推し量られて、恐ろしくてたまらなくなるわけです。


 まず、俺は、橋本政権時のデフレ政策の問題は、消費増税もそうですが、むしろ『緊縮財政』が非常にマズかったのだ、と考えます。
 次に、『緊縮財政』は、何故行われたのかと考えると、それは大衆世論の政府への請求として、「政府や権力から、特権を剥奪し、それを世へ平らかに解放せよ」といった指向が津波のように押し寄せていたからだ、と考えます。「一部の組織の者から権限を剥奪すれば、それが巡って来て、自分の生活が幾ばくか楽になるはずだ」という卑猥な発想が世論の多数を占めて、政治が財政を緊縮せざるをえなくなったーーといったような所があったんじゃあないんでしょうか?
 また、政府へ緊縮を求める指向が、消費増税の指向と無関係であったとは考えられないと思います。そうなると、『とある政府への請求』が『別の政府への請求』を満たすのを阻害していたという面だってあったはずでしょう。

 勿論、それらに迎合したのは橋本内閣なんでしょうけど、政治が世論に迎合せざるをえなくさせたのは、そもそも先に『政治制度改革騒ぎ』による非自民連立政権の茶番と、「二大政党制が民主的で良い」などという低劣な大衆世論の理屈による「小選挙区制への移行」があったからなんじゃあないでしょうか?

 勿論、当時ガキ過ぎて世の雰囲気に対する記憶も定かではない俺が、後知恵でここまで言うのは甚だ傲慢な気がします。しかし、こういった『外野』の騒ぎを糾弾せずに、政治家や官僚を無能呼ばわりしているだけでは同じような轍を踏むに違いないと思うし、もっと言えば甚だ不健全だと思うのですよ。




 俺から見ると、今我々が受けているデフレとか不況とかいった苦しみは、「権力者が不当にも苛政を敷いたから」というよりは、単に「民主主義が失敗したから」と捉えるのが、最も自然だと思います。

 ですから、『デフレを脱却するような安定した政治』を求めたいのであれば、「国民全体の政策知性を上げる」とかそういう意味の分からない『百科全書派的な空論』ではなく、「どう民主主義を制限し、どう『間接性』を持たせて行くのが、国家の歴史的経緯として適切か?」という保守的な態度をこそ持つべきなのだと思うのです。



(了)



※お読みくださってありがとうございます。少しでも記事にご賛同いただけましたら、ランキング、ツイートなど、ご支援いただけたら大変ありがたいです。どうか、お願いいたします。
また、いつもご覧くださっている方、ご支援くださる方には、重ねて御礼申し上げます。
関連記事
スポンサーサイト

Category: 経済

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 4   

コメント

今日の内容も大変素晴らしかったです!

こいさん #- | URL | 2013/10/05 01:45 [edit]

民主主義の危うさ

こんにちは。
私が最近気になって集中して調べているのが「大衆という幻想」なので、おーじ様の視点は参考になります。

結局「大衆」なんてマスコミ(あるいは電通)の造り出す幻想であって、その幻想が本物の大衆を扇動しているってことかなと思います。
主にはテレビ、あと新聞がそれをやってきた訳ですが、ネットもその幻想から逃れられるのかなと不安になります。
誰がという訳でもないけれど、ネットにも「大衆」が生まれてしまい意図せずとも他の人達まで扇動されていく・・そんな構図が出来てしまってないのかと思ったりします。
そこまで行くと民主主義の危うさ、胡散臭さを追及しなければならなくなります。
民主主義や果ては「主権在民」だって絶対善なんかではない、ってことを日本人は一回洗ってみる必要があるのでしょうね。

紺屋の鼠 #4TUF.cSM | URL | 2013/10/05 13:01 [edit]

Re: タイトルなし

こいさん様!ありがとうございます!
お褒めいただき嬉しいです!

これからも気合いを入れて書いて行きますので、またいらしていただけましたら幸いでございます。

後藤真(おーじ) #- | URL | 2013/10/05 22:03 [edit]

Re: 民主主義の危うさ

あ、紺屋の鼠様、いらっしゃいませ。毎度、コメントありがとうございます!

 大衆世論ってのは、要は『声のデカい意見』ですから、マジな『国民輿論』ってのはいわゆるサイレントメジャリティの中にあると考えなきゃならんと思います。
 そうなると、「サイレントメジャリティの意志って一体なんだ?」って問題が浮かぶわけですけど、文字通り『サイレント』ですので、どんな意志なのかは分からない。何故なら、国民の大多数は「政治への具体的な意見」など持ち合わせてはいないし、持つ必要もないからです。

 すると、そもそも「国民による政治」とは、「国民の間で多く支持された具体的な政策論が反映される事」などではない、ということになりますよね。

 結論を言えば、「何の為の代議制か」って話になっていくんだと思います。


 また、おっしゃるとおり、ネットなんて世界はおおよそ衆俗にまみれた所ですので、こちらはこちらで嘘八百がまかり通る『大衆世界』なんだと思います。

後藤真(おーじ) #- | URL | 2013/10/06 00:09 [edit]

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://shooota.blog.fc2.com/tb.php/107-5aeac3fb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)