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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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経済は、「政府がどうあるべきか」という思想によって語られている 

 このブログでは、毎回「ああでもない、こうでもない」と経済に関してエラそうな事を叫びのたまわったりしているわけですが、実を言うと、俺は経済の事なんてほとんど何一つ分かっていません。

 ただ、経済というものは、「何か明瞭な計算方法をもって、合理的な最善策を導き出せるもの」などではない、という事だけは自信を持って言うことができます。

 何故なら、もし「経済の合理性がおおよそ明瞭に算出できる」のであれば、理論上、『戦争』もなくなれば、『軍事衝突』もなくなるし、『国際(国の際)』もなくなって、最終的に『国家』が必要なくなって行くという話になるからです。

 だってそうでしょ?
 おおよそ明瞭に経済の合理性なるものが算出しうるのであれば、地球上の全ての人間が、その明瞭な合理性に従って生きてゆくのが、最も合理的だという話になるのですから。

 しかし、地球から戦争や軍事衝突がなくなるだなんてファンシーでファンキーなファンタジーは幼稚園で卒業しなければならないお伽噺ですし、国家がなくなってしまうのはそもそも「嫌」ですよね。というか、人間が『国家共同体』無しで生きていくだなんて世界は、常識的に考えてあり得ないわけです。

 このように誰でも分かる常識から振り返ってみれば、「人間には経済の最善策を合理的に算出する事など、永遠にできない」と考える他ありませんね。

(こう言うと、懐疑主義的に聞こえますが、「正解がない」と言っているわけではなくて、「人間には解明できない」と言っているだけなのですよ)



 では、一体全体、世の中の「経済を論じる人達」は、何を基準にモノを言っているのでしょうか?
 或いは、経済学者は、げに複雑な現実世界から何を基準に数値を選び、モデリングして、グラフに落とし、微分やら積分やらしてこねくり回した後で、曲線をシフトさせ……などしているのでしょう?

 一言で申せば、それは『思想』です。

 大学受験や、学生生活を思い出して欲しいのですけれど、『経済学』って、理系じゃなくて文系でしょう? または、キャンパスでは自然科学の棟ではなく、人文科学の棟に研究室を構えていたはずです。
 つまり、経済学って、あたかも物理や化学とかと並んだ学問であるかのように見せかけておいて、実は、歴史とか、哲学とか、政治学とか、文学とか、そっち系の学問の隣に並ぶ代物なのです。


 さて、では経済における『思想』とは、どのようなものなのでしょうか?
 それは、おおむね、「『政府』が経済へ関与すべき領域とは、どの程度で、どのようなものか?」という問いに対する『熱い想い』に集約されています。
 つまり、経済における『政府の領域』と『民の領域』に対する見解ですね。

 経済学の理屈って『誰々理論』とか、『云々モデル』とか、色々計算式で飾られてはいますけど、結局の所、「政府の領域を広げていきたい」とするか、「民の領域を広げていきたい」とするかの『思想』が先にあって、その思想に合わせた形で仮説を立て、数値を拾い、モデリングしているだけにすぎないーーと考えて一向に差し支えないのですよ。



 次回は、そういった「政府と民間」という『思想』の観点をもって、マネタリズムとリフレ、及びケインジアン等を分類してみたいと思います。



(了)



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