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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

TOP > 経済 > title - 経済は、政治から逃れられない      
  

経済は、政治から逃れられない 

 今日は、「経済は、政治から逃れられない」ということを認める重要性について。

 普通の人は、「経済は、政治から逃れられない」と聞いて、「まあ、当たり前だよね」と思う気がします。
 しかし、経済学をやったり、経済を評したりする連中からすると、これをなかなか認める事ができない。
 経済学をやっている人間は、「経済の合理性を科学的に算出できる」と勘違いしている者が多いですから、「政治の方が、経済学の合理性に従うべきだ」という風に思っているのが常です。

 よって、今回のタイトルは、見る人が見れば烈火のごとき怒りを覚えるような、挑発的なタイトルであると自負しております。



 しかし、前回、前々回で申し上げた通り、経済は『思想』で語られているのです。
 その経済の『思想』は、どういう所に根幹があるかと言えば、経済における「政府の領域」と「民、市場の領域」のどちらの割合を広げていきたいとするかーーにあります。
 そして、これも前回述べたとおり、そこには「政府の適正規模」であったり、「規制の強さ」であったり、「貿易について」だったり、「景気動向に対応する政府の権限の大きさ」だったりの『対立軸』があるわけです。
 そのそれぞれの対立軸上で、「政府の領域の割合を増やしたい」か「民の領域の割合を増やしたいか」の思想に分かれ、それぞれがそれぞれの理屈を構築するわけですが……ここで、少し立ち止まって考えて欲しいのですよ。

 それら、「政府の適正規模」、「規制の強さ」、「貿易について」、「景気動向に対応する政府の権限の大きさ」などなどは…………そもそも『政治』の領分ではないですか!

 そして、『保守』の態度から見て、『政治』とはどのようにして決定されるべきモノかと言えば、『国家の伝統』によって決められるべきものでしょう?

 この場合の『政治における国家の伝統』とは、「これまで中央政府は、国家全体の統治をどう行ってきたか?」であったり、「中央政府と、地方、産業、既得権益といった『国の民』との関係性」であったり、「国家の連綿性が培ってきた『常識』や『慣習』『畏怖』『偏見』『先入観』及び『文化』『言語』」であったりの事を言っているのです。
 政治は、そういった『元々あった根幹的なモノ』に従って行われるべきもののはずではないですか? 少なくとも、『保守』を標榜する者であれば、そう考えていてもらわなければ困ります。


 それを、例えば「政府は小さい方が合理的なのである!」と、経済学や経済評論が述べ立てているからと言って、その理屈によって『中央政府のあり方』を「抜本的に改革」などしてよいはずがありません。
 或いは、もし『今、日本列島に生きている、日本国籍を持った人間』の『圧倒的多数』が、「経済学によると、政府は小さい方が合理的らしいから、政府から予算と権限を剥奪し、我々をもっと『自由』にすべきである!」などと叫びのたまわったとしても、『政治』はそんなクソみたいな『世論』などに迎合してはならないのです。

 何故なら、この場合の『世論』は、所詮「今生きている日本人の多数の論」でしかないからです。
 だって、『日本国民』と言えば、「今生きている国民」だけではなく、「もう死んでしまった日本国民」も日本国民ですよ。もし、その『世論』に「もう死んでしまった日本国民」の意志が反映されているのであれば、政治に口を挟む権利はあって然るべきなのでしょうが、単に「今生きている日本国民の多数が選び取った合理性(世論)」に政治の決定権が付与されているなどと思い上がるのは、『天に唾吐く愚かな傲慢』であると糾弾します。

 さらに、その「もう死んでしまった日本国民」の『意志』や『あり方』を守り、保って、「未来の日本国民」へ繋ぐ『義務』が「今生きている日本国民」には生まれながらに課されているはずなのですよ。



 つまり、経済学や経済評論の言うような「理屈」は、そもそもお呼びでない……と言ったら言い過ぎかも知れませんが、「まあ、たまには参考にしてもいいかな」くらいに思われておくべきシロモノで、国家の伝統に代わって『政治』をどうこうして良い大儀や正当性のあるものではないのです。

 俺から言わせていただくと、昨今の経済学や経済評論は、「政治に出しゃばって来すぎ」です。ましてや、「科学的に算出された経済の合理性」のようないかがわしいもののに、何故、政治が言うことを聞かなきゃならないのか、全く理解ができないのですよ。



 結局の所、もし今の世で、『経済論』として必要なものがあるとすれば、

ーー単なる『思想』に過ぎない理屈を、『科学的な合理』などと虚飾して、国家のあり方を大幅に改変せしめようとする『経済学、経済言論』を、保守の立場から徹底的に糾弾する為の『経済論』ーー

 これだけではないでしょうか。


 そして、糾弾の仕方はこうです。

「経済は政治から逃れられないし、人間は国家から逃れられない」

 と。



(了)



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Category: 経済

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Janre: 政治・経済

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コメント

おーじさん

初めてコメントします。
消費税増税決定以来(安倍政権に)混乱していましたが…
素晴らしい論文です。
解決しました。ただブログランキングの投票?ポチって押すものがわかりまんので改善をお願いします。
三橋さんブログを越えれるブログだと思います。
ブログ
応援します。

カンナリ #tSD0xzK. | URL | 2013/10/12 11:21 [edit]

Re: おーじさん

カンナリ様、コメントありがとうございます!

 勿体ないご評価ありがとうございます。
 消費増税の件は、まだ世の中の動揺が尾をひいている感がして、本当に心配です。

 ランキング投票についてのご質問ありがとうございました。
 一応、最新記事の方に、詳細を記しましたので、ご覧いただければと思います。
 また、バーナーの配置も、再考いたします。ご指摘ありがとうございます。

後藤真(おーじ) #- | URL | 2013/10/12 19:19 [edit]

はじめまして。

こんにちは。いつも楽しみに読ませていただいています。
私は国家における経済を考える上において、あくまで経済は統治者の要望を叶えるための道具であるべきだと思います。
たとえば統治者が雇用のパイを拡大したいと考えたときに、どのような政策をとればよいか(失業者を全て政府が直接雇うことは普通できないので)。
石油ショックが生じて資源が少ない時に、国民全体のエネルギー消費を抑えるにはどうすればいいか。
などなど。
現状の社会で何を問題とするか、どういう社会を構想するかで比較的まっとうと言われる経済学者においても提案する政策は大きくことなると思います。
けれども、政治家の方々が明確なビジョンを持ち、「この問題を緩和する方法は?」と具体的に聞けば、案外似たりよったりな答えが出てくるんじゃないかなぁとも思います。
政治家の先生方には、経済学者の思想に踊らされず、自らの理念を持って経済学者たちを使いこなして頂ければ、、、と期待しています。
道具が人間を支配してしまってはいけないですよね。。。

ろくさん #- | URL | 2013/10/12 19:46 [edit]

Re: はじめまして。

ろく様、コメントありがとうございます!


 いつもお読みいただいてありがとうございます!

 俺は、ろく様の意見にほぼ全面的に賛同いたします。
 「経済は道具」というのは、おそらく「経済の合理性は手段」という意味でおっしゃっておられるのでしょう。


 ただ、もう一つ掘り下げると、「統治者とは誰か?」という問いと、「統治者の要望とは何か?」という問いが浮かんできます。
 これらはもう、「日本とはどういう国か?」という問いと、ほとんど等しいわけです。

 そうなると、「現状の社会で何を問題とするか、どういう社会を構想するか、どんなビジョンを持つか」という問いの答えは、理論上、『国家の歴史に基づいた要望』でなければならないでしょう?

 そうなりますと、これは「現在の政治家や官僚の脳内」に全責任を任せるのもまた、酷というものです。
 彼らもまた人間でありますから、何かしらの「統治者の要望とはどうあるべきか?」の『基準』が必要で、それが『国家の歴史』であると言いたいのです。
 そして、「国家の歴史とは何か?」という事を詳らかにするのは、「国民の生活、常識」であり、「国民全ての責任である」とも考えます。そして、その「国家の歴史を引き継いだ国民の生活、常識」をどう汲み取るか、というのもまた、「それまで我々は国家全体として、どう合意形成を計ってきたか」という慣習や常識におおむね準拠していかねば、どうしようもありません。
 俺は、『民主主義』という言葉が世界で一番嫌いですけど、そういった意味での民主主義であるならば、一理を認めないわけにはいかないと思うわけです。

 勿論、その先の、「具体的な政策の方針」においては、「政治家や官僚」の責任なのだと思います。

 例えば、石油ショックであったり、食料危機であったり、雇用であったりの問題は、おおむね『倫理』の問題が立ちはだかりますでしょう。すると、政治家や官僚に、「倫理とは何か」という所までを責任持たせるのは、酷というものなのです。
 ですから、彼らは、「国家の歴史、国民の常識」に基づいた『道徳、宗教観、慣行、差別、偏見、先入観』といった『倫理』を前提として、具体的な政策の方針を決める……と、こういった筋でなければおかしくなります。


 それを逆から、経済的合理性に準拠して、具体的な政策を決定し、それに『国民の常識』の方を合わせる……と、いう風にしては本末転倒だ、ということが言いたかったのです。

 つまり、ろく様のおっしゃる通り、「 道具が人間を支配してしまってはいけない」って事ですね。



 返答に長文失礼しました。また有意義なコメントがいただけたら、嬉しいです!

後藤真(おーじ) #- | URL | 2013/10/12 21:08 [edit]

No title

国民の意思が糞見たいとか、何言ってるんですか?
全体主義ですか???

経済が道具ではなくて、政治こそ道具にすぎません。
主権者である国民が使う道具なんですよ。
主権者が関わらないところで動いているのが、麻生政権以後の日本であり、消費税増税はその典型です。

早く官僚主導政治を終わらせ、減税を実現しなくてはなりません。

ふー #quSBhyNc | URL | 2013/10/23 01:17 [edit]

Re: No title

ふー様

以前も、同じように四、五通まとめてコメントをなさる『トミー様』という方がおられました。
同一人物かどうかは知る由もありませんが、仰っている事と内容がほとんど同じですので、このコメントへの反論は、以前トミー様のコメントにお応えしたものの方を参照していただければと思います。

トミー様よりいただいた一連のコメントへの返答
http://shooota.blog.fc2.com/blog-entry-93.html

後藤真(おーじ) #- | URL | 2013/10/23 11:54 [edit]

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