05 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 07

日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

TOP > 経済 > title - 核兵器を持とう!――グローバリズムに抗う公的需要      
  

核兵器を持とう!――グローバリズムに抗う公的需要 

どうか……どうかランキングにご協力ください。
お忘れにならぬよう、押してからお読みいただければありがたいです。









『核兵器を持とう!ーーグローバリズムに抗う公的需要』


 今日は、『経済』を「国家が核兵器を所有する」ということから切り離して考える事が、どれだけ空疎で、欺瞞的な空論であるかを示す所へ向けて、論を展開して行こうと思います。




 ずいぶんとかけ離れた所から始めるようでなんですが、とりあえず昨今話題になっている『法人税減税』の話から触れていきます。

 結論から申せば、俺は法人税減税に大反対です。
 むしろ、長期的に、法人税率は上げていくべきだと考えます。少なくともバブル崩壊以前の水準までは引き戻していくべきです。

 ただこれは、別に「税金は金持ちから取れ!」といったような、大衆的、赤旗的な僻み根性で言っているのではないのですよ。

 長期的に、「法人税、消費税、そして所得税」これらの税率を上げて、中央政府が恒常的に支出できる規模を、大きくしていくべきだと言っているのです。つまり、現在のデフレで不足している国内需要は、「大衆の一人一人が自由に消費する領域」というよりは、むしろ「中央政府が公的に需要する領域」であるから、長期的には税の率を上げ、民の領域に対する政府の規模を大きくする方向で受給ギャップを是正していくべきだと主張しているのです。

 また、その一つには、「法人税を下げる」という姿勢に付随した「グローバリズム」に抗う……という事も、公的な需要として換算してのことであります。



 おおよそ、「法人税を下げれば、価格に転嫁されるはずだ」とか「法人税減税が短期の景気動向に好材料となる」などという、猿でも嘘と分かるような嘘話は置いておくとするなら、「法人税減税」の議論と「グローバリズム」の議論は連結しています。

 だって、法人税減税の賛成、反対の応酬を繰り返した後に残る議論は、
「日本の法人税は他国に比べて高いので、法人税を下げなきゃ国際競争力を上げることができないし、企業が流出するかもしれない」
 というものでしょう?

 つまり、「時代が進めば進むほど、経済においての国境は低くなっていく」という、進歩主義的な地球観が(意識的にせよ、無意識的にせよ)前提とされた上での理屈なわけです。

 しかし、まず第一にそこには、「政府の強制力によって、経済における国境の壁をどのくらいの強度で保つか」という議論があって然るべきはずなんです。
 だって、そもそも「法人税を下げないと、国際競争に負けて自国の企業が存続していけない」のであれば、それは「経済の国境を低くし過ぎてしまったのだ」と考えるのが、ごくごく自然な論理というものでしょう?

 それを、はじめから「経済的な国境を低くするという方向へ向かう事」を大前提としなければならないと決めてかかっている風潮、雰囲気そのものに、酷く歪なものを感じるわけです。



 そして、その『歪み』あるいは『欺瞞』は、「国境を越えた市場が、均衡しうる」というデマにあると考えます。
 まあ、俺が「国境を越えた市場が均衡しない!」といくら主張した所で、若造の世迷い言と鼻で笑われるのがオチなので、ここではフリードリヒ・ハイエクが市場経済を重んじた根拠に触れてみましょう。

 ハイエクは、経済に『道徳』(良い、悪いという基準の哲学)を反映させようとしたという点では(ある意味で)ケインズと共通性のある希有な経済学者であります。そして、ハイエクはその道徳がどこから来るかと考えたかと申しますと、「人間が理性(合理性)として発明したもの」などではなく、「社会の中での実践的な営み」から「感覚的に得られるもの」である、としたわけです。これは、ヒューム哲学を引いた「理性批判」であって、「良い、悪いは、合理的に算出されない」という事でもあります。

 すると、ハイエクが自由市場を重んじたのは、「ある社会の中で、経験的に引き継がれる、善悪の感覚」が、「その社会の中である程度共通している」という前提があっての事であると言えます。


 この事を踏まえると、そうした共通性を持たない「国境を越えた市場」というのは、均衡しうる根拠を一切もたない……と言ったら言い過ぎかもしれませんが、極めて機能の根拠に薄弱な市場であると言わざるをえません。ましてや、国内で均衡しなかったものを、国外で均衡しうると考えるなど、空理空論もいいところです。

 これに対し、国境を越えた市場に無理矢理共通性を見いだそうとして、「複数の国家のある一定地域で、共通ルールを作る」とする話題があります。
 しかし、ハイエクは、社会の中で実践的に得られる感覚としての『道徳』を、「法の支配」の根拠にもしていたのです。
 すると、国境を越えた所に『合理的なルール』を敷き『合理的な市場』を形成しようとする向きは、完全に『反・ハイエク』であると考えて差し支えないと言えるでしょう。

 いや、別に反・ハイエクであること自体は一向に構いませんよ。
 しかし、おおむね、『市場』へ過剰な期待を込めて政府から権限を剥奪しようとする者は、ハイエクを根拠にしていたりするわけでしょう。
 すると、この『理性批判』については、一体どのような噛み砕き方をしているのかが、俺はとても気になるのです。
(何せ、この世の『右翼』と『左翼』は、「俺たち一人一人には理性があるから、自由と平等と民主主義を与えろ!」という左翼に対して、「理性など調和するものではないから、自由や平等や民主主義などとのたまうのも大概にしろ!」という右翼……という軸をもって対立してきたのですから。)



 また、先ほど、『ルール』という言葉がでましたが、そもそもルールという言葉は「決め事」という意味の他に「統治、支配」という意味もありますね。『er』を付ければルーラー、支配者でしょ?

 つまり、ルールという言葉は、「統治する=ルールを敷く」という意味が含まれているわけですよ。

 すると、「国境を越えた所でルールを敷く」というのは、ほとんど「統治権をよそへ委譲する」という話とイコールでしょ?


 さらに言えば、『統治』や『支配』というものには、『大儀と道徳の伝統』だけではなく、もう一方で『軍事力』が必要であることなど、古今東西、人間社会において普遍的な真理なわけです。

 だって、『ルール』を敷くには、まずその不自由を課す者達に対して、物理的な強制力がなければ現実的に成り立たないでしょ? また、「もし国内で反乱が起こった場合は、ほとんど小指でやっつける事が出来るほど圧倒的な暴力を、中央政府が集中して持っている」という前提がなければ、国内は内乱続きでルールどころの騒ぎではなくなります。
 また、『主権』という言葉が「最高独立性」と言い換えられる事からも分かるように、国家において中央政府が、外的な要因を軍事的に排除し、ルールを敷いていて、始めて国家に主権があると言えるのです。

 そして、ルールを敷く権限と軍事力が切って切り離せない主権の独立性であるなら、「国境を越えた市場の為のルール作り」という話は、「軍事的圧力をもって、自分の国に都合の良いルールを相手に押しつける」か「軍事的圧力をもって、相手の国に都合の良いルールを押しつけられる」かの、せめぎ合いによって決定されるーーという事であります。



 そうなると、グローバリズムに抗い、「日本が日本である」ということを保守する為に必要な事が、すぐに二つ浮かびますよ。

 一つは、中央政府が日本経済の「中にあるもの」をある程度の規制をもって保護し、「外にあるもの」をある程度の規制で排除する……といった判断ができるような、一時の大衆世論に左右されない強固な中央行政体制の構築。

 二つは、そうした判断を執行する為に、物理的に外的な意志を排除しうる軍事力の確保。

 これらが今日必要であると主張したい公的な需要です。

 さらに、二つ目の「軍事力」を論じる際、現代において「主権=最高独立性」を獲得するためには、何をどう考えても『核兵器』の保有による『核抑止力』を獲得するという話と切って切り離せません。(というか、国際経済をむりやり核のパワーと切り離して考えているから、酷く現実から引き離れた経済議論が横行するのだと思います)
 すると再び、「核兵器という大変な兵器を保有するためにも、強固な中央集権体制によるパワーのコントロールが不可欠である」という話に戻ってきますね。


 そして、この公的な需要は、おおよそ未来へ向けて恒常的に必要なものであります。
 すると、デフレ脱却における財政出動という国債を刷って賄える短期的な事柄以上に、「国家における公的な需要の割合を大きくする」=「政府規模を大きくする」という話になるわけですから、長期的展望として税率を上げることを是としないわけにはいかないのです。


 こうした観点より、もし『愛国心』なるものを発揮するのであれば、「グローバリズムに沿うように法人税を下げる」という方向性ではなく、「法人税を含めた税率をあげていき、中央集権性を強め、グローバリズムに抗う」という方向性を取るべきなんじゃあないかと、俺は強く思うのです。



(了)



※お読みくださってありがとうございます。少しでも記事にご賛同いただけましたら、ランキング、ツイート、Facebookなどで、ご支援いただけたら大変ありがたいです。どうか、よろしくお願い申し上げます。

また、いつもご覧くださっている方、ご支援くださる方には、重ねて御礼申し上げます。

↓ランキングの投票方法が分からない方はこちらをご覧ください
http://shooota.blog.fc2.com/blog-entry-113.html
関連記事
スポンサーサイト

Category: 経済

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 2   

コメント

No title

話にならないですね。これ以上国家の領域を増やしたら全体主義でしかないです。個人の自由が一番重要なのだから、所得税、法人税、消費税を下げていくべきでしょう。

アメリカと比べても日本は政府の支配する領域が大きすぎます。これによって個人が抑圧され、貧しくなっているのです。

全体主義で発展した国はありません。旧ソ連もナチスも崩壊しました。スウェーデンも内情は酷いです。

麻生太郎のような大きな政府論者を内閣から追い出し、安部さんをはじめとする小さな政府論者で固めるべきです。その上で、自民党上げ潮派とみんなの党で連立し、社会主義者、官僚主導の全体主義者たちを追い出すべきです。

日本の伝統的な小さな政府に戻るべきです。

1970年頃と同じ25%程度の国民負担率に戻すのが理想ですね。

ふー #GaQFa5mw | URL | 2013/10/23 01:06 [edit]

Re: No title

ふー様。

以前も、同じように4、5通まとめてコメントをなさる『トミー様』という方がおられました。
同一人物かどうかは知る由もありませんが、仰っている事と内容がほとんど同じですので、このコメントへの反論は、以前トミー様のコメントにお応えしたものの方を参照していただければと思います。

トミー様よりいただいた一連のコメントへの返答
http://shooota.blog.fc2.com/blog-entry-93.html

後藤真(おーじ) #- | URL | 2013/10/23 11:57 [edit]

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://shooota.blog.fc2.com/tb.php/117-2a1195b1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)