08 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 10

日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

TOP > スポンサー広告 > title - 構造改革へのアンチテーゼとしての国土強靱化 TOP > 政治 > title - 構造改革へのアンチテーゼとしての国土強靱化      
  

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category: スポンサー広告

tb -- : cm --   

構造改革へのアンチテーゼとしての国土強靱化 

 前回、国土強靱化は、実証主義への懐疑の下で『人間が想定できない危機の領域』を大きく見積もり、未来は不確実であるという前提に立ちながら、その『想定外の危機』対して、『国家全体』が存続していく事を目的とした話だーーという事を論じました。

 今日は、まず、そういった『想定外の危機』を想定し『国家全体』が存続していく事を目的とした話は、『市場の論理とは真逆の態度』を取らねば行えないーーという事に着目したいと思います。
 そして、市場の論理とは真逆の態度をとる強靱化は、構造改革へのアンチテーゼでもあるという事に繋げてみます。




今回は、構造改革が好き……という方には無理にとは申しません、が、そうでもないという方は、どうかランキングにご協力ください。
お忘れにならぬよう、押してから読んでいただけると嬉しいです。







 前回最後に上げましたが、「人間では想定できない『危機』の領域に対して、国家全体が存続していけるようにする体制」というのは、たとえば次のような三つの観点に着目した体制になります。

1「危機に対して、国家の中枢部に致命傷を追わない」
2「危機に対して、どこかが潰れれば全部ダメになるといった可能性を排除するため、なるべく国土の中で力を分散する」
3「危機に対応できるよう、平常時の国土には無駄なもの、既にあるものを余分に作っておく」

 人間に想定できない『危機』に対して、国家が存続していくという事に考えを及ばせるのであればこれらは至極当たり前の議論であるかと思います。

 しかし、これら全ては、「市場の論理」とは真逆の論理である事に留意してもらいたいのです。



 市場の論理というのは、たとえば企業であれば『規模の経済』をとろうとします。つまり、「企業体の規模が大きければ大きいほど、仕入れ値は下がり、一人あたりの生産量は上がり、コストが下がるので、経常利益率も上がる」という話です。
 それぞれの企業体が規模の経済を取ろうとするのは全然間違ったことではないのですが……しかし、それを国家全体を見るときに適用するとおかしな話になってしまいます。

 市場の論理を国家全体に適用したおかしな話というのは、代表的な所でいけば、いわゆる小泉政権の『聖域なき構造改革』といった話です。

 構造改革という言葉は、元々バリバリの左翼用語なのですが、小泉政権の構造改革は、
「『官から民へ』『地方分権』といった小さな政府論で、社会全体を『市場の論理』をもって効率化させよう」という構造の改革の事でした。

 つまり、「市場に対する政府の介入」を減らせば、市場の論理をもって「企業や地方は、一極化していき、効率化する」ので、社会全体の力が強くなるはずだ……とこういった理念の下にあった政策だったわけです。


 こういった小泉構造改革への批判は、多くは「弱者への配慮不足」を元にされてきました。
 つまり、「自由放任では弱者が淘汰される。そんなん可哀想だから、けしからん」という具合に……

 しかし、そういったセンチメンタリズムによる批判は、単なる弱者の請求の代弁でしかありません。
 つまり、「弱者が淘汰されて可哀想」というだけでは、「弱者が淘汰されて、強者が強くなれば、国家が強くなる」ということ自体が勘違いである……という部分を指摘できないのです。

 というか、俺は、本当に「弱者が淘汰されて、強者が強くなれば、国家が強くなる」のであれば、イチ弱者として構造改革を支持しますよ。国家の為に、喜んで淘汰されましょう。

 ですが、俺はそうではないと思うから、構造改革を全否定します。

 つまり、「弱者が淘汰されて、強者が強くなっても、国家全体は強くなっていかない」と、こう考えるのです。


 少なくとも、構造改革的に、「地方や産業や企業が一極化していき、それぞれが効率性を上げる」というのは、国家全体から見れば『脆弱化』していると考えないわけにはいきません。

 と、いうのも、最初に示した『強靱な国家の体制』というのは、概して『分散』と『余剰』の確保でした。

 つまり、国家全体における『危機』に対して、『効率化』は脆弱性を助長するーーという観点を、是非とも持って欲しいと訴えたいのです。



 そこで、未来の不確実性の話に戻ってみると、次のような筋の関係が読みとけます。

 まず、「危機が確率的に予測できる」と考えた場合、「効率化」は無批判で目指されるべき指標となります。

 対して、「未来は不確実で、危機は予測できない」と考えた場合、「効率化」は必ずしも善ではないし、政府による無駄や非効率は肯定されるべきものになります。



 もう一つ逆に考えれば、「政府が口を出すのがムカつく」ので「市場の自由な領域を増やしたい」と思いたいのであれば、「未来は確率的に予測でき、危機は管理できる」という風に考えないわけにはいかないのだろうと、推測できるというもの。
 ですから、構造改革へ無批判な者は、コンピューターなどの情報技術の力を過信している輩が多いわけです。何故なら、「未来を確率的に予測する」のは、おおむねコンピューターの力を期待しての事だからです。
 地震などの災害についても、為替や株といった金融の動向についても、コンピューターのSFティックなパワーが「未来を確率的に予測」するのであれば、「危機に対して、国家が存続していく強靱性」など気にかける必要もなく、『効率化』について無批判でいられるわけです。

 しかし、俺からすると、そういった少年的なSFファンタジーを良い大人が信じ込んでいる様は、非常にグロテスクに見えます。
 パソコンをはじめとした科学技術に、そこまでの進歩的な可能性は秘められていない……という事くらい大人になれば分かってよいものでしょうに。何故なら、「科学技術を使うのは人間の社会」なんであって、「科学技術で人間の社会を調和させる」事は、永遠にできないはずだからです。



 強靱化の筋が、「未来が不確実である」ことから「過度な効率化は、国家全体としては脆弱である」と考えるものであると捉えるのであれば、『国土強靱化』の議論は、「構造改革のアンチテーゼ」と評して問題ないのだと思います。

 そして、現在、構造改革的な指向を持った輩が内閣周辺を跋扈しているようですけれども、それに対抗しうるアンチテーゼは、「弱者救済」の論理ではなく、「強靱化」の指向だと俺は思うのです。

 だって、『構造改革』というのは、「どんなに効率化しても、生き残って行ける」という『究極の平和ボケ』の理屈なのですから。弱い人が可哀想という前に、その酷く滑稽な態度をせせら笑ってみるべきなのだと思いますよ。

 さすれば、今必要なのは、『構造改革』ではなく『構造強靱化』であり、「国家全体を、危機に際しても存続していける体制の構築」であるという事に気づくはずです。
 そして、それは、当然『市場』ではできないことなので、「政府が政治的に計画し、指導し、強制する領域なのだ」という所まで、是非認めてもらいたい所です。



(了)


←お忘れなきよう、押していってくださいませ。


※お読みくださってありがとうございます。少しでも記事にご賛同いただけましたら、ランキング、ツイート、Facebookなどで、ご支援いただけたら大変ありがたいです。どうか、よろしくお願い申し上げます。

また、いつもご覧くださっている方、ご支援くださる方には、重ねて御礼申し上げます。




↓ランキングの投票方法が分からない方はこちらをご覧ください
http://shooota.blog.fc2.com/blog-entry-113.html
関連記事
スポンサーサイト

Category: 政治

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 2   

コメント

No title

こんばんは^^

国土強靱化基本法案が衆議院通過しましたね!
世の中色んな思惑がせめぎ合っているようで、今後は財政緊縮派との闘いになるんでしょうか。
後藤様のエントリーを読んでから、強靱化法の行方も違った観点からも見ることができ、この法案に応援している自分も力が入ります(笑

「想定外の危機」に関しての対策、アメリカは日本よりも数段上ですよね。
アメリカの戦争映画を見て感じることなのですが、アメリカ人はいい意味での「びびり」なんじゃないかと思うんです。
休暇を入れつつ交代制で戦場の前線へ兵を派遣、しっかりとした補給、圧倒的な兵数で相手を制圧。根性論が入る余地が余りないような。

それが浅い建国の歴史によるものなのか、遺伝子によるものなのかはわかりませんが、「想定外の危機」が起こることを「びびる」ことによって、事前に対策を練る。そういう国民性なような気がします。「びびる」って表現が適切かどうかですが(笑

日本人は2000年以上続く建国の歴史の自負からか、「想定外の危機」が起こっても未来永劫日本国家は続くというだろうという自信(幻想?)を持っているから、将来起こりうる「想定外の危機」に対しての認識の甘さがあるのかも、と今回の後藤様のエントリーを読んで考えてしまいました。



りょうすけ@政治初心者 #X.Av9vec | URL | 2013/11/29 00:44 [edit]

Re: No title

りょうすけ様、お返事遅くなってごめんなさい(汗)

 世の中色んな思惑がせめぎ合っているというのは、本当にそう思います。
 蔵相は麻生大臣なんで、支出拡大には期待を寄せているのですが、実際の政府内の雰囲気とか分からないですからねえ。


 りょうすけ様のアメリカ評、気に入りましたw
 かなり本質をついておられるように感じられます。

 日本人に関しては「未来永劫日本国家は続くというだろうという自信があって、危機への想定に甘い」のであれば、まだ救いがあると思っていて、ひょっとしたら「別に、日本国家が続こうが続くまいが、どっちでもいい」という風に思っているんじゃあないだろうかと、俺は深く疑っているのです。

 ただ、そう考えると、アメリカのビビりも、単に個々人が生命を失う事についてのビビりが寄り集まったものであって、国家存続についてのものではないかもしれませんね。

後藤真(おーじ) #- | URL | 2013/11/30 19:31 [edit]

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://shooota.blog.fc2.com/tb.php/135-cb33dfe3
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。