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藤井聡『全体主義としてのグローバリズム』を聞いて 

 先日、12月2日、京都で開催されたレジリエンス研究ユニットのシンポジウム『グローバル資本主義を越えて』に参加しました。
 立派な先生方のお話を拝聴でき、一流の研究者の熱量を直に感じることができて、とても良い経験になったと思います。
(また、FBで知り合い、現地でお世話いただいた方々、ありがとうございました。)


 今回はせっかくの経験を踏まえ、拝聴した論の中で藤井聡教授の『全体主義としてのグローバリズム』を取り上げ、解釈をしてみたいと思います。



今回は、「グローバリズムが好き」という方には無理にと言いません……が、そうでもないという方は、どうかランキングにご協力ください。
お忘れにならぬよう、押してから読んでいただけると嬉しいです。






※これは、あくまで俺の捉え方ですので、藤井教授の論を正確に捉えているという保証はしかねます。また、藤井教授の『全体主義としてのグローバリズム』の論をお聞きでない方にとっては、ワケの分からない所もあると予測されますが、その点ご了承ください。



 京都大の藤井聡先生は、この度の発表にてグローバリズムの『全体主義性』をご指摘なさいました。
 つまり、「グローバリズム、ひいては新自由主義というものは、ナチズムのような『全体主義』の性質を帯びている」ということをした上で、それらを否定的に論じたわけであります。

 ただ、この論は、そもそもいわゆる新自由主義の立場から、
「国境を越えた人類普遍の経済体制(グローバル資本主義)へ反抗するのは、国家中心主義であり、全体主義である」
 といったような攻撃が意識的、無意識的になされてきたーーという予めの世の風潮を踏まえた上で、はじめてその面白さが解せるのだと、俺は考えます。

 つまり、『新自由主義、グローバリズム』といった立場からは、それらに反抗する者が『全体主義』であったわけですが、藤井教授は、『新自由主義、自由貿易主義』こそが『全体主義性』を帯びているのだ……としているわけです。
 これは、いわば「アカデミックなカウンター攻撃」のようなものと評せるのではないでしょうか。


 藤井教授のおっしゃっていた『全体主義(トータリズム)』というのは、「個に対する全体の優位性を、任意の思想や体制によって徹底する」という主義の事でした。

 この『任意の』という所が肝です。

 ここでは文脈上、「文化圏の歴史なるものから任意の」という風におっしゃっているのだと解釈するのが適切でしょう。アンナ・ハーレントがそのような筋で言っているのかどうかは、俺は存知ませんが、少なくとも藤井教授の文脈上、そのようにおっしゃっていることは明白です。

 というのも、ここにおける『全体主義』で、もし「個に対する全体の優位性」を担保する思想や体制が、「国家や文化圏の、歴史的な権威、慣例、慣習、道徳、偏見」によって、『人間を歴史的に拘束する適正なもの』であるならば、それはグローバル資本主義に対する唯一かつ最大のアンチテーゼとなるからです。

 つまり、藤井教授は、「国家や文化圏における歴史に束縛されていない『任意』の思想、体制によって……」という意味での『全体主義』を否定的に見ているのであるという所へ、特に着目すべきだと言いたいのです。
 その上で、『グローバル資本主義』ひいては『新自由主義』の思想は、「国家や文化圏における歴史に束縛されていない『任意』の思想」であるから、否定的に見た『全体主義』に当てはまるものである……と、こういった筋として、俺は『全体主義としてのグローバリズム』のお話を捉えました。


 この論の本筋については全くその通りだと賛同します。

 ですから、本当に余談だとは思うのですが、ここで俺はナチスドイツに対して一定程度の擁護をせずにはいられません。

 勿論、ホロコースト(民族に対する大量虐殺)については、人類普遍的に否定されるべき行為であるし、個に対する全体の優位性を担保するものの採択が『任意』な所もあったでしょう。端的に言えば、「民主主義が失敗した」という意味で。しかし、そもそも、ドイツをそのような『任意』な思想の徹底まで追い込んだのは、第一次世界大戦の戦勝国です。
 ドイツは敗戦国として天文学的な賠償金を課され、その上で(第一次)グローバル資本主義に対抗するのは、国家国民を統合した形での国民経済が求められたのにもかかわらず、既に『歴史』や『国家体系』が一次大戦に伴う革命騒ぎで毀損されていて、そこを補填するのに『任意』な思想や体制を構築せざるをえなかった……という側面は、無視できないと考えます。
 無視できない……というのは、つまり、「そこまで追い込まれた国家が、他にどうすれば良かったというのだ」という所と、「これを聞いた者が、ヒトラー政権の内政や経済政策の技術面をも否定的に見ることは牽制すべきだ」と思ってのことです。



 とは言え、これをもって藤井教授の論へ文句をつけるのは、あまりに狭量というものでしょう。

 だって、現実的には、戦後の世界から現在にかけて、ヒトラー、ナチズム、ファシズム、全体主義……というのは、イメージ的に絶対的な『悪の象徴』です。
 そして、そのイメージ的に絶対的な『悪の象徴』を引き合いに出して、国土強靱化や反・グローバリズムに対して「全体主義」とレッテル貼りをする卑怯な指向が、世の中にまずあるわけです。


 新自由主義やグローバリズムといった『思想』を、思想と意識せぬままに普遍的な真理と思いこんでいる輩にとって、全体主義とは単に「個に対して、国家の重要性を強調する姿勢」のことであり、グローバリズムにあだなすものの事であります。
 しかし、全体主義を「個に対して、全体の優位性を、(文化圏の歴史から)任意に採択された思想や体制でもって徹底する主義」と考えるのであれば、新自由主義やグローバリズムといった「現在、任意に採択されている思想」こそが全体主義であって、かつ、それは否定されるべきものとなります。

 つまり、そういう苛烈な『思想戦』なのだと、学術的な世界を外から見る者も理解する必要があると、俺は思うのです。



(了)


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