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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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特定秘密保護法についての世評 

 今回は、また特定秘密保護法案についての世評を。


 今回は、「特定秘密保護法に絶対反対だ!」という方には無理にと言いません……が、特にそうでもないという方は、どうかランキングにご協力ください。
お忘れにならぬよう、押してから読んでいただけると嬉しいです。





bara




 俺が、「学生運動の同窓会としての特定秘密保護法案への反対」を、ほぼ全面的に否定している事は、何回か前の記事にて示したとおりです。
 また、かび臭く、醜悪で、異常で、滑稽な彼らの様態を、あたかも「進歩への使者」がごとく取り扱うマス・コミにも、ほとほと辟易とし、脱力し、侮蔑の目を差し向けざるをえません。

 実際の所、世の中の『生活民』は、特定秘密保護法案が云々などというトピックに、ほとんど興味関心を寄せていないことは明々白々です。
 分かり易く言ってしまえば、世間一般の中で語られる頻度としては、消費増税の話題と比べて百分の一、千分の一ほどと言って過言ではないでしょう。

 にもかかわらず、おおむねこの先の現代史には「国民の権利を不当に制限する政府v.s進歩的な権利の保全を主張する一般国民」といった様相で綴られるのであろう事は、容易に推定されます。
 しかし、そもそも『国民』というのは、「今生きている国民」だけの事をいうのではないし、ましてや、「いい歳こいて、(学生気分で、或いはインテリぶって)チンドンと革命ごっこに熱狂する一部の声のデカいジジイ共」の事を言うのでもありません。
 彼らと彼らの支持者であるマス・コミが、自らを「国民の一般」と称するのは、一体どういう了見なのか、誰に断ってのことなのか、何の大儀のあってのことなのか……俺にはその辺りが不思議で堪らないのです。

 そうした「政府v.s民」という『幻像』が、一輪のあだ花として歴史の1ページを飾るのはほとほと我慢のならない事であるし、また、近現代の歴史を遡ってそれに類似した対立構造の物語を思い起こすにつけ、実の所、おおよそ「民の権利を政府へ請求する側」というのは「社会の一部で起こった学生運動的な何か」だったのではなかろうか……という疑惑の目を改めて差し向けなければならないと切に感じらるるわけです。
 勿論、「政府v.s民」の文脈で語られる歴史的事象のそれぞれが、全て「安っぽい学生運動的なるもの」で構成されているとまで言ったら、それは言い過ぎなのかもしれません。
 しかし、俺の生きてきた範囲においての事象を振り返って参照すると、綴られて提示される歴史の各々においてもそのようなきらいのあることを疑わないわけにはいかなくなります。

 このようなモノに対しては遡って権威の弁済を請求をしないではいられないのです。




 しかし、一方で、そんな彼らをあざ笑う側ーーつまり、「世間一般で、一応は保守とか右派と目されている者達」の多くにおいても、あるところでは「同じ穴のムジナではないか?」という疑義を呈さないわけにはいきません。

 まず、こういった左翼の乱チキ騒ぎを見て、外人のせいにする輩がいる事に疑問があります。
 つまり、これらを、在日が云々であるとか、華人が云々であるとか、そういう日本外のモノの工作活動の結果として非難を収束させていく論法はいかがなものか、ということです。

 だって、外人が工作活動に勤しむ事自体は、そりゃあ当たり前のことなんであって、正常といえば正常なことでしょう。

 本当に問題なのは、「特定秘密保護法のような法案に、反対して暴れ回ったり、インテリぶって理屈を吐きちらす『日本人』」の方であって、こちらの方が遙かに病的かつ異常な事象なわけです。


 この『日本人』が迷惑であることについてーー或いはその『迷惑な日本人の叫ぶ理屈』について、何かしらの反論や糾弾を無意識的に避けているからこそ、「全ては『工作員』の仕業である」という単純明快な帰結へ向かうのではないか、と俺は疑っているのです。

 と言うのも、特定秘密保護法案に関して、いわゆる左翼と呼ばれる人々が叫ぶのは、(感情的には反軍なのだとしても、理屈上は)「知る権利の保全」なわけです。
 そして、『民主主義』と『国民主権』といった筋の上で、これを原理的に突き詰めれば、確かに「知る権利の保全」は何よりも優先されるべき事柄となる……ということに、論理上なるのですよ。

 政治や経済に関するトッピクスからーーこと「情報の公開と機密」の領域に話題を限定しても、そこには『公正さ』の観点が無視出来ないというのは万人普遍に了解を得られる事柄でしょう。

 しかし、その『公正さ』とは何かという判断を、「主権者である国民による多数決」に依拠するのが、『民主主義』と『国民主権』の文脈であるわけです。(つまり、ニホンコクケンポウの文脈です)

 すると、『民主主義』と『国民主権』の筋の上では、「その機密保持が公正であるか」というのも、「主権者である国民による多数決」によって判断されなければ『公正さ』が得られない事になり、つまりは「政府による機密保持」自体が理論上あり得ない話になってくるわけです。


 とすると、本来、『保守』の立場からこれを批判するとなると、『民主主義』と『国民主権』の文脈そのものから遡って批判せねばならないはずなのです。
 つまり、『公正さ』の判断基準の根本は、「国家や土地の『歴史』がもたらした、道徳、差別、偏見、先入見」といった国民の『共通感覚(コモン・センス)』にあるという『保守の立場』に立脚すれば、「主権者である国民による多数決は、公正さの根本基準ではない」と反撃しなければならないはずだろーーと言いたいのです。
 また、国民が世代を越えて引き継いだ共通感覚を『公正さ』として活かす為に、ある部分で多数決の要素も『手段』として必要になってくるに過ぎないのであり、それが故に、知る権利(知る責任)の必要性もその運用の範囲においてそもそも有限的なはずである……といった所へ収束して初めて、いわゆる左翼的な請求に対して反を唱える論理となるはずなんです。

 というか、そう考えていなければ、理論上はいわゆる左翼と呼ばれる者の言うことが正しいということになってしまうんじゃないでしょうか?


 しかし、一般的に保守とか右派とか呼ばれるような人も、『民主主義』と『国民主権』の文脈から離れることをせず、そのまま「特定秘密保護法案は支持をする」という、論理矛盾状態を放置しているわけです。(そして、それは頭が良く、形而上学的世界に没頭するインテリ左翼にとっては、恰好な嘲笑の的となります。国民主権の理屈も分からないから保守は駄目なんだ、と)


 世の中で保守と呼ばれる者達が、この論理矛盾状態を放置できる心理的な支えは、これが「現実的な安全保障上の問題に寄与しうるものであるから」という、至極物理的な事情にあると思われます。
 つまり、単に、「チャイナの脅威が自分の生命や財産を脅かしうるから、左翼の言うような理想論だけではやっていけないだろう」という、『公正さ』からは一つ次元の下った所に、世に言う「保守」の動機が位置づけられているのではなかろうかという疑義です。

 というのも、この法案が名目上は「政府より自発的に発せられたというよりは、日米同盟の強化の一環として生じた」ということになっている事について、悲しみや失望を心の端に潜ませてすらいないのではないか?……と、疑われるからです。
 本来、我らは、我らの歴史がもたらした『公正さ』から、内的に政府へ「機密を保護する権限」を与えようとする姿勢を起こさねばなりませんでした。
 しかし、この度も結局、建前の上であろうと、その『公正さ』を「(アメリカをはじめとする)平和を愛する諸国」の公正さに依拠する……という所からこの大儀が発せられてしまっているわけです。
 これに対して、ある程度の『屈辱』や『嫌悪』を感じないというのは、動機に日本の『独立』とか『公正さ』が抜け落ちて、単に命の安全が保障されていれば良いという様に考えているとしか思われないのです。

 もし、そうであるならば……つまり、動機づけが単なる『生命の安全』にあるのならば、その心根は世の中で左翼と呼ばれている連中と大差ないのだと思われます。
 つーか、「現実的に安全が保障されるのであれば、それがアメリカの安全保障圏に属する事であろうが何であろうがなんでも良い」という姿勢の連中を保守と呼ぶのであれば、そんな保守に、左翼を貶し笑い飛ばす資格などないでしょう。


 勿論、『現実』は重要な事ですから、「アメリカの安全保障圏に属してしまっている現状」を急激かついっぺんに解消していくべきだなどとは思いませんけれど、それが更新されるにつけ「密かに『屈辱』や『嫌悪』に身を焦がし、その心持ちを言の端々に折り入れ、確認する」ということすらしないのは、単に生命の維持に固執しているだけで、国家の『独立』や『公正』に拘っているのではないんじゃなかろうかと疑われても仕方ないんじゃないでしょうか。
 しかも、保守だの愛国だのとのたまっている連中がその様であるのは、一体どういう了見なのだろうと理解に苦しむわけです。




 ただ、こういう事を言うと、すぐに『政府』をアメリカの手先だ云々と叫びのたまわって、首相をCIAだか統一教会だかの手先であるとか何とかいいつつ、「愛国的観点」から政権を打倒しようとしたり、猛烈な罵倒を施したりする輩が出てくるのは、本当に面倒な事であると思います。

 何度も言っていますが、平民の一人一人には『内閣』を直接的に非難する権利など、基本的にないのです。(逆に、議会や官僚機構に比較して、猛烈に支持する権利もありません)
 我々は、ひとまず『代議制』の英知によって、間接的に政治決定を執り行い、全体の合意を形成する事にしてきました。
 そういった前提があるのに、後から、単なる個人が(いかに愛国的であるという自負があろうと)政府に対して罵詈雑言を投げかける大儀も、資格も、能力もないのは自明の事であります。

 また、政府や政治家の言葉が多分に『建前』で彩られるのは、至極当たり前なことです。政府や政治家は、野に存ずる者共とは違って言論の自由など無きに等しいのですから。
 今回、俺が展開した批判は、生ぬるい言論の自由を存分に享受している野に存する者達に対してであって、言論に枷をかけられている政府や政治家や、ましてや安倍首相に対してではない事は、ここで明確に言っておかねばなりません。

 これは、政府の言はすべて建前であるから本気にするな……と言っているのではなく、「政府の言のどこからどこまでが建前であるかを判断する能力は、個人にはない事を知れ」と言っているのです。



(了)


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