07 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 09

日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

TOP > 未分類 > title - 3月1日②(自生的秩序と、組織的統治)      
  

3月1日②(自生的秩序と、組織的統治) 

 民のケンリなるものは、『自生的秩序』と『組織的な統治』によって制限されるべきだと、私は考えます。(つまり、民あるいは消費者なるものに主権があるなどというのは、甚だおかしな話だという事です)

1、自生的秩序
 自生的秩序というのは、要は、誰が理屈付けたわけでもない、社会における実践的な経験の中で自然に発生した道徳、価値規準による秩序ーーというような意味です。
 これは、F.A.ハイエクという人が、『spontaneous order』(自生的秩序)と言って強調し、貨幣経済と法の支配の根拠にした論理であります。


2、組織的な統治
 組織的な統治の代表的かつ最大なものは、中央政府による統治であります。
 確かに、人間の自然な有り様として、『spontaneous order』(自生的秩序)があるからこそ個々人の選択の自由が混沌へ向かわない……という領域はあると思います。しかし、人間は、人間が存在し始めた遙か太古の昔より、共同体の下に政府なるものを組織しつつ、その構成員の中で統治と被統治の関係を形作り続けてきたわけです。されば、ごくごく自然に考えると、自生的な秩序へ人と人々が自発的に従う領域の他に、政府が人と人々を規制し、強制し、抑圧し、計画し、土台を作り、方向付けるべき領域が相当程度あるのだとしなければならないはずでしょう。
 それは、政治的には民主主義を、経済的には市場原理主義を、政府が抑圧すべき領域もあるのだ……という当たり前の話です。


 私としては、偽善たらしい綺麗事を排し、この当たり前の事を当たり前の事として認めてもらわねば困る、ということばかりを常々考えています。
 ここで言う偽善たらしい綺麗事とはヒューマニズムのことであり、政治にしろ経済にしろ、規制されぬ人々がその人間性でもって社会を至極調和せしめることができるのだ……といったような、おぞましき欺瞞の事であります。

 まず、人間は、共同体の歴史に基づく『自生的秩序』に拘束されなければならないし、さらに共同体の歴史に基づく硬直的な偏見、権威、権力の体系による組織からの『統治』を受けねばならんのです。

 そして、この当たり前の事を誰が認めるべきかといえば、以下の二種類の人々が認めるべきなのです。

1、「政府組織からの権限剥奪を主張する事によって、あたかも権力と偏見に立ち向かっているという風体を装う似非知識人たち」

2、「実際に統治行為を担う組織に従事してはいるが、自分たちの持つ大権を民なるものへ解き放つ事こそが、進歩的で民主的で素晴らしい事なのだ、と勘違いしている人たち」

 であります。



(つづく)
関連記事
スポンサーサイト

Category: 未分類

tb 0 : cm 0   

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://shooota.blog.fc2.com/tb.php/150-8e69db39
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)