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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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3月11日(コンピューターにかんする考察c) 

 コンピューターの演算する『確率』や『制御』が、限定された状況でしか通用しない……などという事は、実は、おおよその人達は常識論として分っている事のはずなのです。
 しかし、多くの人がその事を認識するなり確認するなりという態度を持ち続けるのは困難な事でありますから、コンピューターの演算における眼界を見定めようという意志や姿勢は発揮されなくなります。逆に、そうした技術の進歩はセンセーショナルであるから、どうしても其方に目を奪われてしまうものです。

 すると、いつの間にか、そうしたコンピューターによって演算された『確率』や『制御』が『無限の状況』に適応されうるという前提に立って、世の様々な話がされるようになってしまうのであります。

 例えば、『リスク・マネジメント(危機管理)』という酷い言葉に、その誤解が顕著に見てとれます。

 勿論、発生頻度の高い危険に対して、その発生確率を抑制し、また起こった際のダメージを抑制できるよう、あらかじめの対策を打っておく……というのはとても重要な事でしょう。それ自体は、良い事であるし、コンピューターも役に立つのです。

 しかし、大問題は、それを臆面もなく『リスク・マネジメント(危機管理)』と呼んでしまう所にあります。

 何故これが大問題かと言えば、そのようにして人が予測しうる危険というのは、実はこの経験世界における膨大な『危機の可能性』のほんの一部である……ということが分かられていれば、リスク(危機)を管理(マネジメント)するなどという言葉を易々と使用できるはずはないからです。

 つまり、コンピューターによって演算される『危険』の確率が、経験世界における『危機(リスク)』の可能性の総体をおおむね網羅できているという誤解が、知らず知らずのうちにされてしまっているわけです。

 もし、コンピューターによって演算される『危険』の確率が網羅しうる領域が、経験世界の『危機(リスク)』を管理できるほどに広いのであれば、我々は我々の社会を、ごく無駄なく、矛盾なく、効率的に運用していけるという事に理屈上なります。或いは、今は不完全でも、世界をそのような進歩したモノへせしめることが可能である、という雰囲気が醸成されます。

 ただ、それは世界に対する誤解なのです。
 
 この誤解がコンピューターの問題の根っこであって、そして、その誤解とは進歩主義であります。
 逆に言えば、もし、コンピューターの網羅しうる領域が、膨大な経験世界と社会においては、限定された部分にしか適応されるべきではない事が分かられていれば、我々はもっと『保守的』であるはずなのです。
 コンピューターによる進歩が『危機(リスク)』を管理できないことが分かられていれば、少なくともあらゆる意味で『未来は不確実』であることが見通せます。すると、一見、無駄で、矛盾に満ちて、非効率な社会のありようも、その中に人間組織の英知が幾ばくか含まれている事を感じ取れ、変革を躊躇できるはずだからです。

(つづく)
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