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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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嫌韓にかんする考察a 

 もし、「嫌いな国を三つ上げろ」と言われれば、私は躊躇なく「アメリカ、チャイナ、そして韓国」と答えます。

 ただ、実の所、私はそれら憎き国々そのものが憎いのかといえば、そうではないのでしょう。
 と、申しますのも、私は正直、『外国』の一つ一つへそこまでの思い入れを持つ事ができないのであります。何かを嫌うには、それなりに思い入れのあることが大前提でありましょうが、私には『日本ではない国々』に対してそのような思い入れを持つほどの義理はないのです。
 いえ、外国や国際情勢に「関心がない」というのではありません。
 ただ、外国というのは、やはり決定的に『ヨソ』であって、心の正直な部分では一定程度「どうでもよいヨソの事」なのであります。


 例えば、私は何らかの災害でヨソの国の人々が甚大な被害を被った事を聞けば、一応、悲しい気持ちにはなります。火山噴火、戦争、地震、津波、ハリケーン、台風……様々な災害がこの地球上では起こり、人々の生命を無情に奪ってゆくのです。場合によっては募金をしてみたりなどもします。

 しかし、外国で起こった災害でどれほどの人が被害を被ったことがテレビニュースで報じられようと、東日本大震災の報を受けた時の百分の一のショックにも達しないのであります。

 或いは、阪神淡路大震災の時、私は小学生で直接の被害は受けておりませんが、その時の大人達もやはり日本人の被った大災害に大きなショックを受けていたようでした。それは、他の国で起こった災害ーーたとえば火山や戦争ーーがどれだけの人間の生命を奪おうとも、決して達する事のない狼狽えようであったのです。

 私は子供ながらに、「おかしいな」と思いました。
 と言うのも、常々、大人達は「人間の命ほど大切なものはない」と言い、また、「国境はくだらないものだ」と言うわけです。
 その事が本当ならば、そのショックや関心において、日本で起こった事だけが特別に強いのはおかしいのです。

 私は阪神淡路大震災の当時、子供ながらにこう結論づけました。

 要は、「人間の命ほど大切なものはない」という事と、「国境はくだらないものだ」ということは、大きな部分において「日本人が、日本社会の中で円滑に過ごすための『たてまえ』」なのだ、と。
 そして、そのたてまえが『たてまえ』だということも、みんな実は分かっているに違いないのだ、と。
 ただ、それがたてまえだということを口にしてしまえば、それはたてまえではなくなってしまうから、口にしないだけなのだ、と。

 そう考えなければ、大人達が堂々と言動に矛盾をきたして平然としていられる事由を、解釈することができなかったのであります。



 しかし、これは大きくなってから気づいた事ですが、多くの日本人は、あまりにもそういった『たてまえ』ばかりを口にするものだから、それがたてまえだという事を忘れ去ってしまっているのです。
 それでも、それはやはり『たてまえ』であるから、内実の個々人はとてもナショナルな感情に依拠し続けているのです。
 そして、精神的に抑圧されたナショナリズムは、酷くねじ曲げられた形で表出されてくるのであります。

(つづく)
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コメント

趣旨変え

お元気そうでなによりです。

相変わらず切り口が斬新ですね、
パソコン(電脳)に乗っ取られたような異様な世界が今の日本です、
何事も『問題視』をすることが始まりでなくてはいけないとおもいますが、気がつかない人ばかりです。
私達にいま必要なことは『誰』と闘うのかではなく、
自分自身はどうあるべきを見つめることです。

おーじさんの今後に期待をしています。

ウナ #- | URL | 2014/03/15 05:14 [edit]

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