06 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 08

日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

TOP > 未分類 > title - コンピューターにかんする考察d      
  

コンピューターにかんする考察d 

 コンピューターの演算する『確率』や『制御』が、この社会の総体を網羅しうるなどという安っぽいSFのような誤解を前提として話がされる……このことが導く悲惨は、例えば『金融』において顕著に顕れました。

 金融において、情報を集積し、危機を管理する為それぞれがリスクとリターンを確率的に算出し有効に資産を運用していくというのは、確かに合理的であります。それは、コンピューターによってより精度が増すことになり、それぞれはより合理的な資産運用ができるという話なわけです。
 しかし、コンピューターの情報技術による(個人、法人含めた)それぞれの合理的な資産運用が、社会全体としても調和し続けていくのだという考える向きは、圧倒的に誤解なのであります。
 そのことは、おおよそリーマンショックで分かられているべき事です。

 まず第一に、金融資産のリスクやリターンを確率的に予測するということは、コンピューターにも無理に決まっています。もし、コンピューターの中にほとんど丸ごと現実世界を移植できるならば可能かもしれませんが、そのような事は不可能なのであります。それほどまでに、我々の生きる現実世界とは膨大なのです。未来永劫不可能であると断言してよいです。
 特に金融についてコンピューターが算出する確率は『ごく短期の至極安定的な状況』など、そういう限定された所でしか通用しないエセ確率論なのだと考えるべきなのであります。

 第二に、もし、その限定された確率論を有効に使用し、それぞれとしては結果として合理的に振る舞ったとしても、それが社会全体として調和するとは限らないわけです。(合成の誤謬)
 時に、全ての個々が合理的に振る舞うことがバブルを起こし、恐慌を起こし、デフレを起こす場合もあるのですから。



 さて、私がこの事で思い起こすのは、やはり進歩主義の害悪なのです。
 たとえば、もし、人間の理性が完璧に近いほど優れているのであれば、政府が無くなったとしても、我々は社会をごく調和せしめることができるでしょう。(牧歌的社会契約説における牧歌的な自然状態のように)
 そんな中、どうやら人間の理性とは不完全なものであるらしい事は、分かられてきている。

 しかし、そこで、コンピューターという存在を、人間の不完全性を補ってくれるものとして扱えば、技術の進歩がいつしか合理的に社会を調和せしめる事ができるのだ、という具合の誤解が生まれるわけです。そして、人々は、その描いた進歩の先を見つめ、合理性と効率性が、社会の矛盾を解消してくれている社会を想定します。
(つまり、コンピューターのある牧歌的な自然状態を仮想しているのです)


 私には、この『自然状態+コンピューター』による進歩主義が、政府の権限を剥奪したり、ケンリを請求をしたりするのに、とても都合の良い誤解に見えるのです。

 金融については、政府から『規制』や『介入』の権限の剥奪を。
 あるいは、災害については、政府へ(近頃では電力会社へも)あらゆる『危機』を予測する事と、「健康で文化的な生活」が守られるケンリを。
 それぞれ請求する為には、とても都合が良い誤解でしょう?

 多くの人は実のところ、そうしたコンピューターへの誤解が誤解であるという事に気づいているくせに、都合が良いからといって気づかないフリをしているんじゃあないかと疑ってしまいそうになるくらいです。

(つづく)
関連記事
スポンサーサイト

Category: 未分類

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 0   

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://shooota.blog.fc2.com/tb.php/166-cfb76712
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)