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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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竹中平蔵と新自由主義批判についての適切な態度 

 今回は、特に新自由主義的な言説や振る舞いを糾弾しにかかる姿勢について考えてみます。つまり、政治家の誰々が、官僚の誰々が、言論人の誰々の論説が新自由主義的でよろしくない……そういう種類の話における姿勢についてであります。
 もっとも、間違っていると思った言説を間違っていると指摘したり、その振る舞いから信用できない人間を糾弾したりといった行動そのものを否定はしません。また、二十年~三十年は失われたこの期に及んで、まだ構造改革とか規制緩和といった種類の「改革」が社会を「進歩」せしめると考える思考回路を持つ者を、徒に擁護しようとは決して思いません。
 ただ、そういった行動は本来、手段であって目的ではないということが分かられていなければならないと考えるのです。


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sora


 例えば、竹中平蔵という男がおりますでしょう。そこで、「竹中平蔵は悪い奴だ」と糾弾するのは簡単です。そして、適切な行動であるとすら思います。
 しかし、端的に言えば、「竹中平蔵が悪い奴である」ということ自体は、私からすれば本当にどうでもいいことなのです。そうした糾弾に意味があるとするならば、竹中氏の言説における論理筋立てや負の実績……つまり、『思想』の体系を具体的に否定し放逐するということにおいてあるのでしょう? この違い、つまり「人についての糾弾」と「人についての糾弾による『思想』の糾弾」の違いが明瞭に意識されていなければ、どれだけ「竹中平蔵が悪い奴である」と騒ぎ立てても悪影響しか及ぼさないはずです。これは別に、「彼だって頑張って生きているんだ、可哀想だろ!」といったような安っぽいセンチメンタリズムとか、悪者に対する判官贔屓で言っているのではないのです。分かりやすく言えば、仮に竹中平蔵氏が今急死したとしても、それでは「竹中死すとも自由は死せず」という話にしかならないという意味で言っているのであります。

 ああ、思想……人間にとってこれほど厄介なものはありません。何故なら、思想から逃れられる人物など存在しないからです。
 ともすれば、人は自分を思想的にニュートラルで中庸を保っている人物だと思いがちです。しかし、それは自分が無自覚に前提としている思想をニュートラルだと思い込んでいるに過ぎません。思考が極めて言語的な作業である以上、思考には「心」以前に「思想」という限界があるのです。これは、明々白々な人類普遍の性質であります。
 そして、思想は、きわめて社会的なものであるとも言えます。狼に育てられた少女に思想は芽生えません。何故なら社会が無いが故に言語活動もないからです。故に思考もありません。
 つまり、「社会、言語、思想、思考」の相互依存関係は、個人の内の中にも「私」という自我と不可分な形で張り巡らされているわけです。

 すると、たとえば竹中平蔵氏の強い自由主義、民主主義、個人主義、市場礼賛主義的な言説は、その思想に基づいたものであり、そうした思想は社会的な背景があると見做すのが妥当でありましょう。
 つまり、社会的な「雰囲気」の問題です。私は竹中氏の言説を聞き及ぶとき、常にビジネス雑誌の雰囲気が思い起こされます。竹中平蔵への批判は、そうした雰囲気を思想として分析して糾弾する手段としてなされなくてはならないというのがここで言いたい結論の一点目。


 二点目は、果たしてそうしたビジネス雑誌的な雰囲気は、資本家や投資家、エリート・ビジネスマンが「特別悪い奴」として生まれ出でて、その代弁をする思想だから「悪い思想」になっているのだろうか……という疑問。そして私はそうは思わないのです。
 誤解を避けるために言っておきますが、私は別に資本家や投資家やエリート・ビジネスマンの人間性を擁護したくてこんなことを言っているのではないのです。人間性批判に留まっているのは論として不毛である、と言っているだけです。
 また、これは「産業革命の折、古典派経済学が資本家の代弁者であった」というようなストーリーを範として新自由主義を批判する態度への、半分の疑義です。「半分の疑義」とは、「古典派経済学が資本家の代弁者であったという解釈から、共産主義、社会主義へつながることを警戒してのこと」ではありません。つまり、そうしたことを「半分」示すことによって「中道」を虚飾するものではないということ。

 私が言いたいのは、資本家や投資家、エリート・ビジネスマンといった人々がほぼ無自覚で前提としている新自由主義的態度は、とどのつまり「基本的人権(自由)」と「民主主義」についてのイチ解釈ではないか、という点であります。というのも、新自由主義というのは、近代を純粋化する理論としては、極めて精緻な体系をもっているからです。
 このことに思いを及ばせずに、彼らの人間性だけを批判していても、それはそれで偽善に陥る可能性が高い。
 何故って、新自由主義の思想を人間性の問題に帰結させる態度は、自分の立場から都合のよい「基本的人権(自由)」と「民主主義」の解釈は理屈として保存しつつ、そうではない「基本的人権(自由)」と「民主主義」の解釈を否定しているにすぎない……という可能性があるではありませんか。私は、こうした偽善に陥るのが恐ろしくてたまらない。
 しかし、ここに「竹中平蔵がけしからん」と言う人間が百万人いたとして、果たしてそのうちの何人がそうした偽善を恐れているか。この恐れなしに新自由主義を批判していても、それは竹中平蔵の亜種でしかないでしょう。


 そもそも、論理上、「基本的人権(自由)」と「民主主義」という言葉が必要になるのは、「政府ではない者たち」が「政府」へ何らかの請求をする場合についてのみであります。ですから、「政府」に対しては資本家も労働者も、エリートも落ちこぼれも、金持ちも貧乏人も、強者も弱者も、一様に自由と民主主義を歓迎するでしょう。というより現代人は、自由と民主主義が与えられていて当然のものだという風に思っているのかもしれません。しかし、ことが資本家と労働者、エリートと落ちこぼれ、といったような間での話に至れば、「自由と民主主義とは何か」という具体的解釈において軋轢が起きて当然なのです。何故なら、もともと「自由と民主主義」は政府に対する請求に都合が良いというだけの市民革命的ツールに過ぎなかったのですから。

 とどのつまり、新自由主義を批判したり、その理論的主柱を批判したりする際、我々が重視すべきは自由でも平等でも民主主義でもなく、「公正」のはずです。このことはつまらないようですが、とても重要な事です。

 例えば、人は、政治家や官僚が新自由主義的な政策を施すのを見て「ケシカラン」と言う。しかし、一方で「政治家の定数や公務員の数を減らせ」と言う。そして、その前後の矛盾に気づきもしない。あるいは気づいていないフリをする。
 少し考えれば、反・新自由主義的な政策とは、政府の領域を大きくすることでしょう? また、政治家や官僚が適切な仕事をしていないと感じているのであれば、むしろ人員や給与を増やして、政府を強靭な機構にしなければならないと考えるのが普通でしょう。しかし、「新自由主義的な政治家や官僚にお灸を据えて、給与を剥奪し、弱者を救済すべし……」という風にのたまう輩が後を絶たない。
 これは、新自由主義を単なる「弱者イジメの強者優遇」として「ケシカラン」と言っているからに過ぎないからでしょう。勿論、そういう問題性のあることを私も認めますが、このことばかりに目が行ってしまうのはそれが単なる都合のよい請求に堕している証拠でもあるのです。

 我々に求められているのは近代主義の純粋化としての「自由、平等、民主主義」の解釈から分岐するあらゆる思想への懐疑の姿勢であります。また、懐疑と共に引き受けざるを得ない領域の「近代」を見定める態度も必要でしょう。
 そして、それは、国家の歴史を引き継いだ者としての国民に、その共同体の網の目から時間的に濾し出した「公正」を追求する意思があって始めて成し得る姿勢や態度なのだと、私は考えるのです。


(了)
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コメント

No title

人格を批判することで思想から目を離している人が多い気がしますね
おそらく今の政権(安倍総理)が竹中平蔵の思想が同じである現実を直視できないのだと思います
消費税増税のときに財務次官への個人攻撃がネット上で広がっていたことと同様だと思います

#- | URL | 2014/06/13 12:19 [edit]

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なめ猫♪ | 2014/06/15 23:59

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