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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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議員定数を増やしてみてはいかがか? 

 岩盤規制を突破するだとか、官から民へとか、既得権益を打破する(構造改革)だとか、自民党政治や官僚政治から脱却するだとか……

 私にとって、そうした話はまったくもって気にくわない話であります。
 実際、私だけではなく比較的多くの人が、平成になって幾度となく繰り返されたこうした類の話にいいかげん辟易としているようです。
 勿論これも、単なる「金持ち優遇、弱者イジメへの腹立ち」としてのみ反発している人が圧倒的大多数でしょうから、一概に良しと捉えることはできないかもしれません。
 しかし、そうしたこと以上に、その「改革の浅薄な世界観」に対して苛立ちをお感じの常識人も、少数ながらいらっしゃるようにお見受け申し上げます。

 そうした精神的高貴さをお持ちの方々にご提案申しあげたいのですが、構造改革へのアンチテーゼとして、まずは「国会議員の定数を増やすこと」を求めてみてはいかがでしょうか?


 議員定数を増やすとかマジあり得ん……という方には無理にとはいいませんが、そうでもないという方はどうかランキングにご協力ください。お忘れにならぬよう、押してから読んでいただけると嬉しいです。





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 そもそも、規制緩和や構造改革、行政改革や小さな政府……といった、「脱・云々」といった改革話は、別に安倍内閣にはじまった事ではなく、ここ十年、二十年の世論の潮流でした。少なくとも、私の物心ついたような時分には、同じような事が求められていたのです。
 ですから、安倍内閣の経済政策は、世論の潮流に従ってそのようにしているに過ぎないわけであります。
 そう、この事を無視してもらっては困るのです。
 つまり、安倍内閣の経済政策に関する問題は、「安倍首相の人格」にあるとかそういう話ではなく、「世論の風潮を前提にしていること」にあるわけです。

 しかし、そうしたことを言うと、すぐにこういう事を言い出す輩がでます。すなわち、
「国民へ正しい政策的知識を拡散して『正しい世論』を形成すれば、指導者へ正しい政治を求める事ができるのだ」
 というような。
 このような『百科全書的な啓蒙論』へ走ってしまう人が本当に多いのですが、それは空理空論というものです。

 というのも、そもそも大衆の世論が正しかった事など人類の歴史で一度もないし、これからも正しくなることは永遠にないからです。

 つまり、大衆世論が間違っていた事の方が駄目だったのではなく(間違っていて当然だという意味で)、むしろ内閣が大衆世論に迎合せざるをえないことに政治の不均衡があると考えるべきなのであります。


 では、内閣は、内閣の勝手で政策を決定すればよいのでしょうか?
 勿論、それもありえません。議論なき政策論など、良きもののはずはないからです。

 政策の決定において絶対的に必要なのは「議論」である……この事に意義を唱える者はいないでしょう。

 ただ、それは国民的議論だとかテレビ番組でされるような単なる井戸端会議ではなく、正統なる手続きの上で正統なる場でされた正統なる議論でなければならない。
 つまり、『国会』での議論です。
 国会こそ我らの最も正統な政策論議の場でしょう。

 そもそも、現代人は政治と聞けば「民主主義、民主主義」とのたまうくせに、国会(議会)を軽視しすぎです。
 国会というのは、国内の様々な地方、様々な産業、様々な組合、様々な既得権益の代表者が集って議論する場です。つまり、国会での議論は国内での利益調整を兼ねる。「政党」を英語で「party」と言いますが、これは文字通り「part(部分)」の代表という意味合いなのです。
 この事は、各地方、各産業、各組合、各既得権益を保護する「規制」を担保し、「構造」に弾力性を与えます。つまり、国内の各「部分」が互いに相互依存関係をもって共同していく調整……これが政治であり、また経済(経世済民)のほんとうなのです。


 規制緩和で構造改革か、ヒューマニズムで弱者救済か……という政治のシーソー・ゲームは、内閣が「国会の議論」よりも「大衆の世論」により強く媚びざるをえなくなったから起こっているのではないでしょうか?

 さすれば、国会を強靱なものにする以外に、政治の混乱を是正する手だてはありません。特に、我々の中央政府は、議員内閣制度をとっているのです。内閣には、「大衆の世論」ではなく「国会の議論」の方を重んじてもらわなければならない。
 よって、まずは議員定数を増やしてみることから始めてみたらいかがかと、ご提案申しあげるのであります。


 ただ、こういうことを申し上げますと、

「国会議員など、ろくな奴がいないではないか。自民党も、野党も、国民の為に働かない奴ばかりだ(あるいは戦後利得者ばかりだ)。そんな奴らを増やしても税金の無駄である」

 と、おっしゃる方も多いでしょう。ですから、「世間一般の国民の議論の方を重視せよ」という論筋へ向かうのかもしれませんが、前述の通り、これは空論であります。


 そもそも、私は不思議でたまらないのですが、ほんとうに「議員がどうしようもない奴ばかりで、国会が機能していない」と思うのであったら、ふつう、「議員を増やせ」と求めなければならないのではないでしょうか?
 だって、国会が機能していないんだったら大変じゃあないですか。
 なおかつ、日本国民に人を見る目がなくって、国会議員がどうしようもない奴ばかりならば、より多くの選択枠が必要なはずでしょう? 
 また、より多くの選択枠は、より多くの国家内小集団が国会へ代表者を送る事を可能にします。すると、その国家内小集団の既得権益を守る為に『規制』は国家を網の目に張り巡らされ、各レヴェルの共同体を有機的かつ強靱にすることでありましょう。



 だのに、世間一般で聞かれるのは、
「政治家はどうしようもないから税金の無駄だ。消費増税の前に政治家を減らせ」
 というような、よく意味の分からない戯れ言ばかり。

 もし、「国会は十分すぎるほどに機能している」と言っているのであれば、「議員定数を増やす必要もない」と言って整合しますよ。
 しかし、日本人はこれだけ朝から晩まで(国民の責任で選出した)国会議員をコケにしているにもかかわらず、何故、「議員定数を減らして大丈夫」だと思うのでしょう?



 正しい政策論を世間一般に拡散すれば、正しい世論が形成され、内閣の暴走を国民の正しき運動で制限できる……と考えるのは、間違っています。
 よしんば、彼がまことに「正しき政策論」をもっていたとしても、それは「正統なる論」ではない。正統性のない意見を行政府に対して直裁的に世論の力でもって通そうとする姿勢は、おおよそ大儀にあわないと考えられなければならない。
 勿論、これは手続き的問題なのではありますが、「色々な種類の国民を、各々代表して国会議員がおり、国会議員の代表が、内閣を形成する」という議員内閣制度の手続きの上で、我らは日本国全体の政治的合意を取っているのです。(尚、この事に正統性があるのは、『時効』によってです。)
 そのことを鑑みれば、おおよそ日本人は政治において「手続き」を軽視しすぎなのです。

 安倍政権の経済政策の諸々が本当に問題だと思うなら、直裁的に具体的な政策の変更を請求するより、国会の強靱化を求めるほうがよっぽど正統だと、私は思います。
 議員内閣制度の下での、内閣を制御する正統なる存在とは、国会の議論……つまり、『輿論』なのですから。



(了)
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