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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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集団的自衛権の前に……徴兵制をいかがお考えか? 

 集団的自衛権の行使容認についての話題が大いに論じられている昨今ではあります。が……こと防衛の問題にかんして考える際は、「徴兵制をどう考えるか」について腹の内を定めておかねばなりません。
 というのも、徴兵の議論を避けて昨今言われている集団的自衛などが語られては、見るに耐えない『欺瞞』が公然と容認されてしまうことになるからです。


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 結論から先に申せば、私は徴兵制に大賛成です。
 というより、徴兵制こそ、自尊自衛の軍事体制の根幹中の根幹であると言って良いはずです。これを論じないで軍事を語るのは俗悪な欺瞞以外の何物でもない。

 また、仮に「九条の廃棄」や「集団的自衛権」に賛成でも、徴兵制について何の態度も持っていないのであれば、それは単なる自分の生命と財産についての関心に過ぎない……と糾弾せらるるべきなのです。むしろ私は、そうした人々の方が俗に言う「九条擁護論者」よりも憎く思える時があります。


 おおよそ、軍事・外交に限らずあらゆる議論で「徴兵される可能性を出来るだけ少なくする」という事は、人々の議論において無意識に前提された大命題になっています。誰も口には出しませんけれど。
 この場合、徴兵制が政策的・戦略的に「良いか、悪いか」と問う思考回路はストップしています。また、人は、その思考を巡らせる以前に、「徴兵制を不合理だとする理屈」を積み上げようと無意識に鋭意努力します。

 その「徴兵される可能性を出来るだけ少なくする」という命題へ向けて無意識に積み上げた理屈の上で、自分たちの生命と財産が最も効率的に保全されうる体制は何か……という話題が、現代日本における「軍事・防衛」の議論になってしまっている。

 勿論、この路線を前提として、結論が違う場合もあるでしょう。
 それは、「九条を守ること」だったり「アメリカに守ってもらうこと」だったりするかもしれない。しかし、実の所「自分が徴兵されるなんて真っ平ごめんだ」という事と、「よそから侵略されて、殺されて、財産を奪われるのが嫌だ」という個々人のごく個々人的な要求に迎合して出される結論であることに違いはないわけです。
 また、この場合、「アメリカに守ってもらうこと」の方の結論が圧倒的大多数の雰囲気でしょう。というのも実の所、「九条信者の論理」で自分の生命と財産が保全されると本気で思っている輩はごくごく少数であるし、「自分が生きている間はとりあえずアメリカに守ってもらって、徴兵されずに済めばしめたものだ」という方が至極現実的だからです。

 また、この「アメリカに守ってもらうこと」の方は、非常に巧みで、狡猾で、饒舌な虚飾を施して提示されます。実際、このことをそのまま口に出せばあまりに格好が悪いという事を皆分かっているからです。

 集団的自衛権行使容認の是非についても、「徴兵回避」と「自分の生命と財産」という大衆的大命題の上で、その結論が微細に違うというだけだ……とも言えるでしょう。つまり、指向が少しでも「徴兵回避」の方に振れていれば反対するであろうし、「自分の生命と財産」の方に振れていれば賛成する、というだけの事なのかもしれないということ。

 要するに、安倍首相がどうとか言うのではないけれど(私には首相に向かってどうこう言うケンリなどない為)、集団的自衛権の話題にはどうも「アメリカに守ってもらうこと」をより発展させ、「中国の具体的脅威から自分の生命と財産の保全を強固にしたい」という大衆心理への迎合から来る部分が強いと疑われてならないわけです。

 とはいえ、この時、
「集団的自衛権の行使容認は、アメリカへの従属を深める為ではなく、日本が国際社会の中で主体的・戦略的にその立場を選び取る為にあらねばならない」
 と言えば、
「その通りだ」
 と、返す人はそこそこにいるでしょう。

 しかし、この時「その通りだ」と口では言う人々でも、
a、「中国の脅威から国を守るため、自分が徴兵されても、アメリカへの従属を少しでもやめる事ができる」
 のと
b、「中国の脅威が増長しても、徴兵はされず、代わりにアメリカへの従属を深めてしまう」
 のとでは、(心根の奥底では)後者を選ぶ輩が大多数なのではないか、と私は強く疑っているのです。
 つまり、「日本が国際社会の中で主体的・戦略的にその立場を選び取る」という話になったとしても、そこでは「徴兵制は復活させない」という事は大前提とされてしまっている。そして、主体的・戦略的にアメリカへの従属を強めるというわけです。

 はっきり言って、そういう輩は「九条信者」よりも数段低劣だと思います。
 何故なら、その『欺瞞』がより狡猾な虚飾に富んでいるからです。
 もし、
「ぼくは兵隊になんぞとられたくはないけれど、生命と財産は保全されるケンリがあるはずだ。アメリカに従属しておけば、ぼくの生きている間は徴兵もされずケンリも担保されるはずなんだから、もっともっと従属しておきたまえよ」
 と正直に言っているのであれば、まだ可愛げがあるというもの。腹は立ちますが、彼はその「格好の悪さ」というリスクを負っているからです。
 しかし、格好悪さのリスクも負わずに、巧みな虚飾でこれを前提とする『欺瞞』は許し難い。それはあまりに都合が良すぎです。

 それでも、この都合の良い態度は日本人の大多数の大衆的雰囲気として前提されているから、誰も糾弾する者がいない。むしろ、これを糾弾する者は、大衆から放逐される事になるはずです。(それが仮に政治家や官僚であればなおさらでしょうよ)


 集団的自衛権行使容認の話題の推移を見ると、このことが証拠立てられます。
 まずマスコミが「徴兵の可能性」に繋げてこれを安倍政権叩きのネタにしようとする。対して集団的自衛権行使容認に賛成の者達は、これを以下のように反駁しますでしょう。

「集団的自衛権の行使容認が徴兵制の復活に繋がることはない。マスコミは国民に過度な不安感を与えて印象操作をしている」
 と。

 私は、この類の言説が気にくわなくて仕方がない。何故、「徴兵は駄目」というのが大前提なんですか?
 私ならこう反駁しますよ。

「集団的自衛権行使容認は、これが徴兵制に繋がるようでなければやる意味がない」

 と。



 さて、徴兵制について以上のような事を言うと、経験上、必ずこういうことを言われます。
「そんなに徴兵されたいなら、お前だけ勝手に自衛隊へ入隊すればいいじゃないか」
 ……これは本当に愚かな言です。

 そもそも私は、軍隊なんて別に好きじゃあないし、兵隊になんてなりたくありません。また、巷で見かける軍事オタクのように、軍事兵器なんぞにこれっぽっちの興味も憧憬もありません。

 しかし、「兵隊になんてなりたくない」という私の個人的な欲求と、「徴兵制の是非」とは全く無関係です。私は、個人的欲求では兵隊なんぞにとられたくはないですけれど、そんなものは無視されるべきなんです。個人的欲求を無視して、中央政府なり軍隊なりが、国民を強制的に兵隊として徴用するからこそ、『徴兵制』なのでしょう? 徴兵制というのは、中央政府が国民に兵役を課す『権限』を持つという事なのですから。

 勿論、「覚悟」の話はまた別です。少なくとも、徴兵における過酷な軍隊生活や、戦場で命を落としたり、死にきれず病や負傷で喘ぐ……という所までをできるだけ想像し、尚、それでも兵役を課された場合はその義務を全うするという覚悟を持とうとしていない者が、徴兵制を語る事は許されないでしょう。


 ですが、大衆の「兵隊にとられたくない」という欲求は、ことごとく無視されるべきなのです。
 このことが無視されるべきなのは、『軍隊』とは、別に「いま日本列島で日本国籍を持っている人間」の生命と財産を守る事を目的とするモノではないからであります。

 軍隊は、『国家』を存続させる事が目的なのです。国民は、「軍隊によって守られる者」ではありません。むしろ、「国民が軍隊でもって国家を守る」という考え方こそ『自主防衛』というもののはずでしょう?



(了)
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コメント

ちょっと

徴兵制をどうとか言う前に 日本の現実を はっきり教え国を守る思いを育てるのが 先だと思いますが?

SANKEI #k0k1oKVE | URL | 2014/08/06 12:12 [edit]

近代戦は高度な技術を要求されるから素人の兵隊はむしろいらない、という反論にどう答えますか?

#- | URL | 2014/08/08 02:26 [edit]

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