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日本が日本であるために

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現代の軍隊に徴兵制は邪魔なのか? 

 コメント返答の記事なので、今回の内容で疑問が生じるようでしたら、前回の「集団的自衛権の前に……徴兵制をどうお考えか?」http://shooota.blog.fc2.com/blog-entry-204.htmlをご覧いただくようお願い申しあげます。

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 前回の「集団的自衛権の前に……徴兵制をどうお考えか?」http://shooota.blog.fc2.com/blog-entry-204.htmlという記事へ、以下のようなコメントをいただきました。


> 近代戦は高度な技術を要求されるから素人の兵隊はむしろいらない、という反論にどう答えますか?



 結論から先に申し上げますと、そのことはそこらの平民が判断する領域ではない、という事に尽きます。
 何故なら、それは軍事における「具体的判断」だからです。

 もっとも、このコメントのような話には、それなりの出生事由のあることも承知しております。
 つまり、九条の廃棄や集団的自衛権の話題のごとき軍事の問題について、サヨク的工作員や工作員的サヨクが「そんなことをすれば徴兵されるぞ」という脅しにも似た文句でこれを阻止しようとするのに対し、「近代戦は高度な技術を要求されるから素人の兵隊はむしろいらない」というような反論は有効であった……という事情です。
 それは、「現実的、合理的な見地からの反論」という装丁を施してされる為、なるほど説得力がある。

 しかし、そうしたサヨク言説に対抗して説得力を付与させようとする言動の中に、何かしら『大衆の都合』や『大衆の都合に迎合した態度』が含まれている事が、私の気にくわない部分なのです。
 その証拠に、そもそも自主防衛において、どこへどの程度徴兵された兵士が必要か、必要ではないか……などという判断を、素人ができるわけがないではありませんか。
 徴兵をする、しないの判断は、政府や軍隊がすべき領域なのです。そして、私が申しあげているのは、その『権限』が中央政府という『統治機構』に与えられていなければならない、という事なのであります。

 しかし、いただいたコメントのように、世間では何故か素人にそういった判断ができると思われている。また、そういった資格やケンリがあるとすら思われている。
 普通に考えて「現代戦に徴兵が必要か、必要でないか」の判断など、素人が兵隊をやる事よりも遙かに困難なはずにもかかわらず。

 私には、こういった類の論は次のように疑われてしかたありません。
 すなわち、「近代戦は高度な技術を要求されるから素人の兵隊はむしろいらない」という『合理』を虚飾した判断をしておけば、「徴兵が嫌だという心根を表明せず、徴兵されない為」には都合が良いので(あるいはそうした心根に迎合していなければ大衆に放逐されるので)、そういう道筋にそって理屈を積み立てているだけに過ぎないのではないか、と。



 また、そもそもこの論理は、一時的に『徴兵』そのものは否定しえても、『徴兵制度』という制度の方は否定しえません。

 何故なら、もし仮の仮に、いま、「素人の兵隊はむしろいらない」なのだとしても、その時は政府が徴兵の『権限』を執行しなければ良いだけだからです。(繰り返しますが、こうした判断を「一般国民による国民的議論」とやらがすることは、一般国民が兵隊をやることより遙かに難しい事のはずなので、それは政府の判断にしたがってもらわねば困ります)

 次に、仮に「徴兵の権限を執行しない方が良い状態」がありえたとしても、その状態が恒常的に続くという事はありえません。というかそもそも、あらゆる組織で持続的に人員の不足や過多の生じないものはないのです。
(余談ですが、これがもし生じないのであれば、市場経済は放っておいてもごく上手くいくという話にもなってしまいます。つまり、それは労働市場における完全情報社会を前提としているのと同じ事になってしまうのです)
 もし兵隊が足りなくなれば、素人でもなんでも訓練で玄人にするほかないし、その証拠に大東亜戦争まではそうしていたのです。そして、大東亜戦争の時点で、(もっと言えば日清・日露・第一次大戦の時点で)軍隊というものは高度に近代化されてしまっていたのです。それでも国民は立派に徴兵され、訓練を受け、技術を身につけ、みごと玉の緒散り給ひ、九段へ祀られなすったではありませんか。
 現代はそれにコンピュータという毛が生えた程度なのだし、兵隊の全てがコンピュータを操るという話ではないでしょう。「素人の兵隊はむしろいらない」というような話を聞くと、軍隊というものがあたかもコンピュータやアクロバティックな機器操作で完結するような具合で言われているような気がしてならないわけですが、軍隊をファミコンやレーサーと一緒にしてもらっては困るのです。
 当然、軍隊は組織であるからして便所掃除から飛行機乗りまで様々な役割があるはずで、少なくとも健康でさえあれば「いらない」などという事はありえません。
(尚、核兵器の話については、別の機会に譲る)


 確かに、軍隊をごく平時に限って論じれば、徴兵制の必要がないようにも見えるかもしれないし、徴兵が邪魔だとさえ見える場合もあるかもしれません。が、軍隊というのは「非常時」を平時から想定するからこそ存在するという事を忘れてもらっては困ります。(また、実はこの想定がなければ、九条の理屈が理屈として整合してしまうということも是非考えていただきたい。)つまり、戦争状態やら動乱状態やらを平時から想定して組織するものが軍隊であるならば、当然、軍人の「大量戦死」をも想定されていなければならないのです。
 そして、平時と非常時、平和状態と戦争状態の間では、戦死の数は違うに決まっているのです。もし、戦争状態において、人的資源にかんする手立てを何も講じないのであれば、弾薬が切れる前に戦う人間が切れることになるでしょう。
 こんな事は、下手したら小学生でも分かる話です。

 尤も、こうしたことを技術的にはどうとでも論じる事ができるかもしれませんが、私にはそうした能力も興味もありません。軍事兵器の性能とか、それに併せた軍事戦略の変遷とか、そんなマニアックな知識は軍事オタクの領域で、それは彼らに任せます。

 ただ私は、こうした誰でも本当は分かっているはずの、ごく当たり前の話を、自分の都合で分かっていないフリをするという態度が嫌で嫌でたまらないだけなのです。
 その都合というのは、「徴兵されたくない」という欲求と「生命と財産の保持」という欲求のジレンマを解消する為に、自分が生きている間はアメリカへの従属を強化・延長しておいてもらいたい、という都合。そして、その格好悪い都合を延長しながら、これを別の理屈で虚飾して、どうにか格好悪くない風体を装いたい……という都合であります。
 そのヘドロのごとく醜い都合の為に、日本の黄色く狡賢い猿共は極めて巧みで、狡猾に、飄々と、「分かっていないフリ」をし続けるのです。



 勿論私は、いくらこのような事を主張しても、世で通用しないことは分かっています。
 何故なら、その都合は『大衆の都合』の最たるものであり、大衆の都合による世の支配こそ、『戦後体制(レジーム)』というものだからです。
 戦後体制……大衆に支配された民主主義の下では、いくらそれを偽善だ欺瞞だと叫ぶ者があったとしても、大衆はこれを無視すれば放逐できる。というより、無視する態度をこそ民主的で素晴らしいとすら考えられている節すらある。
 また、大衆はこの事をすら実は把握しているのであります。自らの都合の為であればどこまでも狡猾に白痴を装い、肩を組んだ大行進で予定調和を押し通すのが大衆なのです。

 私は、このような世にもおぞましい行進から離れたい一心で言葉を編んでいます。
 さすれば、「徴兵制度の必要」は自然と出てくるのです。私のみならず、天下国家・国民というものを考える際、『大衆の都合』というものを徹底的に排除しさえすれば、徴兵制度の事に至るはず。
 少なくとも私にとってはこれに触れずに防衛だ愛国だとのたまう欺瞞の方が、「無視をされること」よりもよほど恐ろしいのであります。



(了)
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