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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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【第0回】永遠のゼロに見える現代大衆人の都合 

【序】
 お久しぶりです。

 今回から、おそらく8回(本エントリを合わせると9回)に渡ると思いますが、『永遠のゼロ』という少し前に流行った大衆小説を論じたいと思います。
 ちなみに、更新を滞らせていたのは、このことを書いているうちに何万字にもなってしまったからなのです。実に8月からこればかり書いてきました。とは言え、いい加減キリがないし、ようやく全体の纏まりを付けることもできたので、この度、順次載せていこうとしている次第であります。

 もっとも、『永遠のゼロ』だなんて、論じるにも少々時代遅れな感はあります。が、ここで論じたいのは『永遠のゼロ』そのものというよりは、『永遠のゼロ』に見える「大衆の都合」の方なのです。つまり、平成という無脊椎の時代に一貫してある問題を論ずるのに、 『永遠のゼロ』のテクストを便宜的に用いてみようという試みです。

 とは言え昨今は、衆議院解散により翌月総選挙が実施されようという情勢です。
 ですが……いや、だからこそ、日本文明や平成という時代が抱える諸問題の方を改めて掘り下げてみる必要があります。でなければ選挙は、アイドルグループのそれのような単なる人気投票に堕してしまいます。そして、少なくとも平成の御代の「小選挙区制」の下では、この傾向が加速度的に増してきてしまった。
 そのような選挙の投票率がいくら上がろうとも、好転が生まれないばかりか、状況はますます混迷を極めるはずなのです。
 これは当たり前で、我々が政治家の問題だと思っているそれは、実は政治家を支配している「大衆」の軽薄さ、ガキっぽさの問題だからです。現状、政治の実権を握っているのは「大衆の都合」であり、彼らの「駄々」に媚びなければ政治家として選挙に勝てないでしょう。
 現代日本の政治を支配しているのは、そうした大衆の都合のよさ、欲情、ガキっぽさであり、また、そのことは甚だ狡猾に理屈やセンチメンタリズムで隠蔽されていたりする。

 なれば、我々日本民族がその時々の状況に何事かの一貫性をもってあたるためは、「世」の中から「大衆の都合のよさ」や「都合のいい保守っぽさ」を駆除し尽くす事が、絶対に必要だと言う他ない。
 大衆の都合を排斥し、燃やし、排除する……このことによって、大衆人の理屈を論理的に封殺し、「黙らす」ということをせねばならないのです。
 大衆というものが黙って、その発言権を放棄しさえすえば、少なくとも各少数者達のせめぎ合いに発展できる。その結果、良き少数者達が勝利をおさめるかは分からないけれど、最低でも「多数派の意見」よりは十倍マシなものになるはずです。

 私としては、その目論見の一つとして、大衆の都合が赤裸々に映じている『永遠のゼロ』を批評しようと思っているわけです。
 ですから、大衆の都合に徹底的に媚びたこの小説を、どちらかと言えば批判的に論じていきます。



 尚、『永遠のゼロ』というと映画から大ヒットになったらしいですが、ここでは便宜上、小説の方を基準とします。多くの場合、映画の方が批判的に論じられると「原作を読め」という反発が返って来がちのように見受けるからです。
 また、『永遠のゼロ』はその構造上、ほとんどのテクストが「語り」ですから、何を指摘しようと、「それは、その登場人物の意見として提示されているに過ぎない」といった種類の反論が来ることが予見されます。ですがそれですと、この小説に対する批評は「感動した、泣いた、面白かった」とか「よく調べられていた」とか、そういう小学生級の読書感想文的なものしか許されないことになってしまいます。
 語りの構造であっても、曲がりなりにも小説を名乗っている以上、そのテクストには筋があり、テーマがあり、テーゼがあります。よって、語りの部分を引用しはしますが、私が批判的に論じたいのは、その筋やテーマやテーゼでありますので、その点ご理解いただきたく存じます。


 さて、論の構成ですが、ここでは、論を「前章」と「後章」にわけます。
 前章は『永遠のゼロに見える平成の諸改革』と題し、文明論的なことをやります。
 後章は『特攻について』と題し、特攻論をやります。


 底本は、『永遠の0』百田尚樹著、講談社文庫出版、2009年7月15日第一刷発行の47刷版です。
 本論内で、「」(ー章、ーページ)と記述する場合は、底本を意味します。





・目次


第0回 序 (※本エントリ)


【前章:永遠のゼロに見える平成の諸改革】

第1回 前章ー1:上層部に対する結果論的不寛容 (※ 更新済)

第2回 前章ー2:軍隊組織へ適用された行政改革的組織破壊理論 ( ※更新済)

第3回 前章ー3:日本文明における近代的軍隊組織 ( ※更新済)

第4回 前章ー4:日本的人間交際(ソサイエティ)の領域 
( ※更新済)


【後章:永遠のゼロと特攻隊】

第5回 後章―1 永遠のゼロに見える現代大衆人に都合のいい特攻解釈 (※更新済)

第6回 後章ー2 国家と家族 (※更新済)

第7回 後章―3 特攻隊の英雄たるゆえん (※未)

第8回 後章―4 特攻と葉隠 (※未)
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