07 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 09

日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

TOP > 未分類 > title - 【第1回】永遠のゼロに見える現代大衆人の都合(前章ー1:上層部に対する結果論的不寛容)      
  

【第1回】永遠のゼロに見える現代大衆人の都合(前章ー1:上層部に対する結果論的不寛容) 






前章 永遠のゼロに見える平成の諸改革



【前章ー1:上層部に対する結果論的不寛容】

(※ネタバレ注意)

 私のはじめての『永遠のゼロ』経験は、この映画化が話題になるやいなやといったような時期に、これを本屋でペラペラと立ち読みをした時でありました。
 そこで私は、以下の登場人物の台詞などが目に入って、非常に不愉快な気分になり、本を閉じたのです。


「でも戦争は祖父に生きることを許さなかったのですね」
「戦争じゃないわ」
 姉が鋭く言った。
「おじいさんは海軍に殺されたのよ」
 武田は頷いた。
「あなたのおっしゃるように、あの人を殺したのは海軍かもしれません」

(『永遠のゼロ』第九章 カミカゼアタック p.451)




(※アメリカのスミソニアン博物館に桜花が「バカボム」と名付けられ、吊るされていたことの語りで)
「BAKA――BOMB、すなわちバカ爆弾です。私は夫婦夫妻が隣にいるにもかかわらず、声を上げて泣きました。悔しくて、情けなくて――いくら泣いても涙が止まりませんでした。しかし本当のところは、『BAKA』そのものずばりだったのです。すべての特攻作戦そのものが、狂った軍隊が考えた史上最大の『バカ作戦』だったのです。しかしそれだけで泣いたのではありません。そんなバカな作戦で死んでいった高橋たちが、ただただ、哀れで、哀れで、涙が止まらなかったのです」
(『永遠のゼロ』第8章 桜花 p.408,409)




「日本って、何て国なの?」
 その問いには答えようがなかった。姉も答えを期待して言ったわけではないだろう。僕は言った。
「軍隊や一部の官僚のことを知ると暗い気持ちになるけど、名もない人たちはいつも一生懸命頑張っている。この国はそんな人たちで支えられているんだと思う。あの戦争も、兵や下士官は本当によく戦ったと思う。戦争でよく戦うことがいいことなのかどうかは別にして、彼らは自分の任務を全うした」
(『永遠のゼロ』第7章 狂気 p.374)




 私は、文字を眺める気がしなくなり、本屋を出ました。
 それ以来、二度と開くまいと思っていたのですが、これを論じるにあたっては誤解があるといけないので、この度リキを入れて読み返してみました。
 すると、以前のファースト・インプレッションには何の誤解もなく、やはり最低の内容であることに確信が持てたというわけです。

 さて、この小説。右翼だ保守だと噂されていたらしいですが、よく読んでみるとそうした方向でプラスイメージで描写されているのは、主に零戦をはじめとした兵器の性能であったり、パイロットの腕であったり、航空戦の駆け引きであったりで、いわば単なる軍事オタク的な領域のみでしょう?
 その反面、政府や軍部といった上層部については殆ど疑わしきは罰せよといった体であります。

 例えば、「三章、真珠湾」の伊藤がこのような事をカタっています。


「そうです。我々は、宣戦布告と同時に真珠湾を攻撃すると聞かされてきました。しかしそうはならなかったのです。理由はワシントンの日本大使館職員が宣戦布告の暗号をタイプするのに手間取り、それをアメリカ国務長官に手交するのが遅れたからですが、その原因というのが、前日に大使館職員たちが送別会か何かのパーティーで夜遅くまで飲んで、そのために当日の出勤に遅れたからだといいます」
「そうなのですか」
「一部の大使館職員のために我々が『だまし討ち』のレッテルを着せられたのです。いや、日本民族そのものが『卑怯きわまりない国民』というレッテルを貼られたのです。我々は、宣戦布告と同時に真珠湾を攻撃すると聞かされていました。それが、こんなことに――これほど悔しいことはありません」
(『永遠のゼロ』第3章 真珠湾 p.92)




 私は必ずしも「真珠湾はアメリカの罠だった」というような陰謀論的なものを完全に信じる者ではありません。が、真珠湾の宣戦布告については種々の議論があることは皆さんご承知のところでしょう?
 確かに、大使が直前夜にパーティーへ出席していたことは事実らしいですが、「このことがパイロットの奮闘を台無しにした」みたいな言いぶりは、果たして正当なのでしょうか。

 また、そもそも、「宣戦布告が遅れた」というだけでこれを異常にギャーギャー喚きたてたアメリカ政府には、計画的にせよそうでないにせよ自国の世論を好戦的せしめる恣意があったことは明白でしょう。
 そりゃあハーグ条約の開戦に関する条約はありましたがこれは事実上国際的に死文化していたし、あの状況、あの経緯で攻撃を受けたからとて真珠湾を「騙し打ち」と騒ぐアメリカの方がキチガイなのです。その証拠に、宣戦布告を遅らせるとはなっから予定していたマレー沖海戦に、イギリスは大した文句はつけていないのですよ。

 『永遠のゼロ』での言い方ですと、まるで「政府高官のくだらない怠惰が、零戦パイロットの奮闘を台無しにした。まったく日本という国は、いつも上層部は愚かな奴等ばかりで、マジメな現場人はワリを喰って酷いもんだ」というような書きぶりではありませんか。そのうえ、(このことに限りませんが)アメリカ側についての文句は一つも無いのです。
 そりゃあ、とにかく政府高官が悪くてバカだったということにしちまえば色々と都合が良いでしょうよ。当時の政府官僚を悪者にしても現代人は誰も怒らないし、アメリカの方を非難しないままでパイロットの仕事の方だけは擁護できるというわけでありますから。

 しかし、私はこういう卑怯こそ一番腹が立つのです!

 このように、『永遠のゼロ』では、一方で兵器や前線の兵士の能力だけは軍事オタク的に賛美しておきながら、もう一方で「政府が悪かった」「軍の官僚的体質が悪かった」「軍の精神主義が悪かった」などなどの部分をとにかく多く見積る態度が目に着き過ぎる。 特に、軍司令部や軍組織、政治家や官僚などの上層部に対しては、ほとんど駄々のように文句をつけ続け、人間扱いしていない始末。
(※もしそれが、そのことで前線兵の名誉だけは守ろうという志向からくるものでもダメなもんはダメです。詳しくは後章でまた述べますが、そんな誤魔化しではひとつ掘り下げてみると前線兵の名誉だって守れていないことになるのです。)



 そして、そうした態度は現代の大衆の都合に徹頭徹尾迎合した姿勢であるとも言えます。
 まず、大衆日本人は、「旧日本軍人が強かった」と言われる事を、実は好みます。現に、世の中を見渡せば、やれオリンピックだワールドカップだといってキチガイのごとく大騒ぎをし、勝てば乱チキ騒ぎ、負ければ戦犯探しに没頭するではありませんか。野球少年がWBCに、サッカー少年がWCに熱中するというならまだしも、多くの割合そうではないでしょう。
 つまり、日本人は「俺たち日本は凄いのだ」という低俗な民族性礼賛が大好きなのです。スポーツですらそうなのだから、いわんや戦争をや。

 しかし現在、旧日本軍の強さの方は広く礼賛されている風でもないのは、戦争の場合は現代大衆人にとってのネックが二つあるからです。
 一つ目は、そんなことを言っていて、自分が戦争に駆り出されたらたまらない……と思っていやがるということ。
 二つ目は、アメリカとの戦争を主導した当時の政府を肯定すると、現在アメリカとアメリカ的大衆社会に徹底して屈服している今の自分達の状態を否定せねばならなくなる……ということ。

 この二つのネックを解消して日本軍人や兵器の強さだけを切り取ってもてはやすのに、「政府が悪かった」「軍の官僚的体質が悪かった」「軍の精神主義が悪かった」 はたまた「朝日新聞を中心としたマスコミが悪かった」というのは、非常に便利なのです。また、これによって二つのネックさえ解消されていれば、「日本軍人のスゴさ」を強調されるのは、大衆にとって悦楽と感じられるのであります。
 というのも、戦争の主体性がすべて「悪たる政府や軍組織」にあり、一般の兵士はただ目の前の戦闘に没頭していただけである……という前提を取れば、その兵士や兵器の優秀さだけ切り取って褒め称えながらも、日本の国が現在進行形でアメリカに対して因縁のあることを認めずに済むし、現在の政府に対しても「絶対に戦争へ巻き込まないで、徴兵もしない」という事を請求し続けていられるからです。

 とどのつまり、アメリカとアメリカ的大衆社会に屈服して時間制限的な飽食の残滓を享受している現代を否定することなく、一般国民の徴兵や戦争協力を否定し続けられる論理の上であれば、大衆は嬉々として旧日本軍人のスゴさを礼賛するのであります。

 勿論、当時の軍組織や政府やマスコミに悪いところがなかったは言いません。戦争全体を神視点で俯瞰して、戦略的な反省をする意義も認めます。『永遠のゼロ』で言われているような軍組織批判も半分は当たっているのでしょう。
 さらに、私は日本に「戦争責任」や「開戦責任」などは絶対に無いと考えますが、統治者の「敗戦責任」だけはあるとは考えます。敗残の将は、いかなる場合においても「負けた」という一事をもって揃って腹をかっ捌くべきなのです。 ですから、そうした意味で上層部と一般兵とでは純然たる責任の差というものはある。

 しかし、今の自分達の都合の為に、当時の政府や軍上層部へ過剰に責任をなすりつける仕方は、徹底的に排除し、放逐されなければなりません。
 この現代大衆人の都合の良さを許してはならないのです。何故なら、上で述べた民主主義的多数派現代人における二つのネックは、基本的に無視されるべきものだからです。

 戦略を振り返るにしても、そのせいで兵士を犠牲にした責任を見積り、兵士を「可哀想な犠牲者」に仕立てあげようとする姿勢が出る時点で、単なる結果論に堕する危険性がある。結果論の理想論を語れば、そこで見積もられる犠牲分は青天上であり、この膨大な見積り分を回避する事を請求されては、現代の政府はいかなる場合でも戦争や徴兵を決断することができなくなってしまう。
 というより、現代大衆人は、一般の旧日本軍人を「可哀想な犠牲者」と見立てれば見立てるほど、いま現在で「戦争」や「徴兵」と「アメリカへのチャレンジ」を拒否する理屈を積み上げるのに都合がよい事をほぼ無意識的に察知しているのです。
 逆に言うと、現代の大衆人が「政府からの自由」と「アメリカニズムの受容」を肯定する為には、旧日本軍は悪者だということにせねばならない。が、一般兵士だけは「可哀想な犠牲者」として捉えておけば、その技量や強さだけを切り離して褒め称える事ができる。これならば一方で、旧日本軍のあり方そのものは悪しきものと結論付けることができるのであり、その結論付けさえあれば現代の日本人が「政府からの自由」と「アメリカニズムの受容」を肯定するのに十分というわけであります。
 『永遠のゼロ』に限らず、現代大衆人の大東亜戦争観には、おおよそこのような都合が張り巡らされているのです。というのも、大東亜戦争の見方は、「現代の日本社会をどう見て、どうしていくべきか」という見方と思想的に直結するからです。

(つづく)
関連記事
スポンサーサイト

Category: 未分類

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 0   

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://shooota.blog.fc2.com/tb.php/210-2ffccdf4
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)