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日本が日本であるために

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【第5回】永遠のゼロに見える現代大衆人の都合 (後章―1 永遠のゼロに見える現代大衆人に都合のいい特攻解釈) 






後章 永遠のゼロと特攻隊



【後章―1 永遠のゼロに見える現代大衆人に都合のいい特攻解釈】


※ネタバレ注意!


 後半は特攻についてです。



 前半で述べたような、大衆人の都合に作品が媚びる……などというのは世間でよくされていることではあります。しかし、『永遠のゼロ』では大衆人の都合を、「特攻」の解釈にまで延長している点で、その度と罪が数十段深いのです。それは、根元の根元まで現代的あり方を前提する態度であり、この態度を基礎としつつ特攻を解釈する都合に、過剰なる軍組織批判がこれまた役に立っている。

 ここではひとまず、『永遠のゼロ』における特攻にかんするテーゼの組み立てを纏めてみましょう。
 その為には、まず九章「カミカゼアタック」での記者高山と元特攻要員武田の論争に注目する必要があります。

 高山は大新聞社の記者で、いわゆる朝日新聞的……というか、ステレオタイプなエセインテリ風な特攻論を繰り広げます。
 ただ、高山の役はいわゆる噛ませ犬で、『永遠のゼロ』は彼の論を否定するように進められていることに注意しましょう。可哀想に、彼はお姉さんにもフラれてしまいますしね。

 その憐れなる記者高山いわく、

「私は特攻はテロだと思っています。あえていうなら、特攻隊員は一種のテロリストだったのです。それは彼らの残した遺書を読めばわかります。彼らは国のために命を捨てることを嘆くよりも、むしろ誇りに思っていたのです。国のために尽くし、国のために散ることを。そこには、一種のヒロイズムさえ読みとれました」

(『永遠のゼロ』 第九章 カミカゼアタック p.420)



 この記者高山は、おおよそこうした論を提示する為だけに描かれた人物です。つまり、「特攻隊は天皇のために命を捨てるキチガイであった」といった論を。
 ただ、繰り返しますが、彼の役割はいわば「噛ませ犬」であります。『永遠のゼロ』の一つの大きな要素は、この記者高山の持ち出す特攻論に、アンチテーゼを張るというところにあるのですから。
 そして、私がここで問題にしたいのは、記者高山の朝日新聞的特攻解釈よりむしろ、そのアンチテーゼのやり方の方なのです。

 その問題のあるアンチテーゼは、元特攻隊要員で戦後に一部上場企業の社長にまでのしあがったという武田の、次のような反論で示されている。

「馬鹿者! あの遺書が特攻隊員の本心だと思うのか」
 武田は怒りで顔を真っ赤にさせた。周囲の人が皆こちらを見たが、武田はまったく気にしなかった。
「当時の手紙類の多くは、上官の検閲があった。時には日記や遺書さえもだ。戦争や軍部に批判的な文章は許されなかった。また軍人にあるまじき弱々しいことを書くことも許されなかったのだ。特攻隊員たちは、そんな厳しい制約の中で、行間に思いを込めて書いたのだ。それは読む者が読めば読みとれるものだ。報国だとか忠国だとかいう言葉にだまされるな。喜んで死ぬと書いてあるからといって、本当に喜んで死んだと思っているのか。それでも新聞記者か。あんたには想像力、いや人間の心というものがあるのか」

(『永遠のゼロ』 第九章 カミカゼアタック p.421)



 つまり、 「特攻は志願と見せかけた雰囲気的強制であったから、隊員一人一人は天皇や国家にこだわって死のうなどと思っていたはずがなく、また、手紙や遺書でのそうした言葉など本気のはずはなかった。(ので、隊員一人一人はキチガイではないし、洗脳もされていない。キチガイだったのは海軍だったのだ)」としているわけです。

 ただ、そうなると、「では特攻隊員は、心の底では特攻に意義も感じていなかったにもかかわらず、命令ならば死ぬまで唯々諾々とそれに従う、単なる根性なしだったのか?」という風に言われてしまうのは火を見るより明らかでしょう。ですから当然、『永遠のゼロ』はこれにも回答を出している。
 先程の記者高山が席を立った後、再び武田の語りにて、

 戦後、特攻隊員は様々な毀誉褒貶にあった。国のために命を投げうった真の英雄と称えられた時もあったし、歪んだ狂信的な愛国者とののしられた時もあった。
 しかし、どちらも真実をついていない。彼らは英雄でもなければ狂人でもない。逃れることの出来ない死をいかに受け入れ、その短い生を意味深いものにしようと悩み苦しんだ人間だ。私はその姿を間近に見てきた。彼らは家族のことを考え、国のことを思った。(略)

(『永遠のゼロ』 第九章 カミカゼアタック p.427,428)



 つまり、特攻隊員は、海軍司令部のキチガイぶりによってキチガイなる特攻を強いられることとなったが、それは死刑執行(同p.428では特攻が死刑執行に例えられている)のように逃れられないものだったので、隊員の一人一人はせめてそこに何か「意義」を見出そうとしていた、と。
 その意義付けの具体的内容を各人の語りでツラツラと述べるのが『永遠のゼロ』であり、武田もまたその一なのでありますが、ではその「意義付け」は特攻隊一般としてどのようなものであったと解釈しているのか。『永遠のゼロ』は一貫してこれを、「家族を守る為、また、家族を守る手段としての国家の為」だと表現している。
 このことがよく分かる一節が、少し遡って「第八章 桜花」にでてきます。

「岡部さんは、どのようにして特攻を受け入れたのですか」
「受け入れた、とは?」
「特攻に際して、どのように自分の死を納得させたのですか」
「難しい問題ですな」
 岡部は腕を組んだ。
「死を受け入れるからには、その死を上回る崇高な目的がなければ出来ないと思うのです。岡部さんにとって、そのような高次な目的とは何だったのでしょうか」
 姉の質問は意外だった。もしかしたら、前もって用意していた質問かもしれなかった。
「綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、自分が死ぬことで家族を守れるなら、喜んで命を捧げようと思いました」
「死ぬことでご家族が守れると思いましたか」
 岡部は黙って姉を見つめた。
「特攻隊の死は犬死にとおっしゃりたいのですか」
「いいえ」
 姉は少し慌てたように首を振った。岡部は言った。
「少し違う話をしていいですか」
(略)

(『永遠のゼロ』 第八章 桜花 p.411,412)



 この箇所は、特に卑怯と致命的な綻びのある部分ですからまた後にも取り上げますが、ここでいう「家族を守るため」というのは、上で言う「意義付け」の内容を先取りして直裁的に表現されたものであることに注目してください。一種の論理的な伏線といってもいいかもしれません。

 そうなると、論理上、この「家族のため」というのは、「自分の命」と「家族」を天秤に乗せてのことではないですね。ここが見過ごされがちな重大点ですから、ことさら注意してください。『永遠のゼロ』の論理で行けば「自分の命」は海軍に奪われているわけですから、ここでの天秤には「国家、天皇へのこだわり」と「家族へのこだわり」が乗っているのです。そして、「国家、天皇へのこだわり」ではなく「家族へのこだわり」が高次の価値としてあったからキチガイではなかった、という論筋になっている。


 以上を踏まえると、永遠のゼロにおける特攻解釈は、

1、特攻は志願と見せかけた雰囲気的強制であったから、隊員一人一人は天皇や国家にこだわって死のうなどと思っていたはずがなく、また、手紙や遺書でのそうした言葉など本気のはずはなかった。(ので、隊員一人一人はキチガイではないし、洗脳もされていない。キチガイだったのは海軍だったのだ)

2、特攻隊員の真意は、げにキチガイなる海軍司令部に特攻を強いられた逃れ得ない死刑執行的状況下で、これを自分の大切な家族を守るためと意義付けていった所にあり、国家や天皇にこだわって死ぬという所にはなかった。(このように、死ぬのが嫌で、天皇や国家にこだわったわけでもなく、家族の為と意義付けたのだから、家族愛を知る現代人から見ても特攻隊員の一人一人の心持ちは共感可能なはずである。)

 ……という風な解釈であると、纏めることができます。





 この永遠のゼロ的特攻論の厄介なところの一つは、高山の「朝日新聞的な特攻論」を否定しつつ提示されている為、一見、特攻隊の名誉を保全できているかのように見えるところです。
 確かに高山の言うような朝日新聞的特攻解釈は明瞭に腹が立ちますから、これへのアンチテーゼが張られている事に溜飲を下げる読者の気持ちが全く分からないというわけではありませんよ。
 しかし、 「どのようなアンチテーゼでも良い」とはいかないのです。むしろ、『永遠のゼロ』の提示するような、現代人にとって都合の良いだけの特攻解釈が許容されてしまうくらいなら、記者高山の言うようなサヨク的特攻解釈の方が幾分かマシなくらいです。
 また、もう一つの厄介な点は、これらの永遠のゼロ的特攻解釈は、その部分部分を取れば何の問題もないように見えてしまう箇所もあるという所です。上の岡部と姉の問答でも、「綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、自分が死ぬことで家族を守れるなら、喜んで命を捧げようと思いました」という一つの台詞だけをとってみれば、普通に道徳的な言葉に見える。しかし、これが「問答」になり、「語り」になると、上で纏めたような「論筋」になってしまう。勿論、『永遠のゼロ』には部分部分の言葉にも問題のある箇所が山のように散見されますが、本当に大問題なのはこの解釈の論理、筋立ての方なのです。

 さて、ここで、このことを論理的に整理するため一旦特攻の肯定、否定は横に置いておいて、「朝日新聞的記者の高山」と「永遠のゼロ的特攻要員の武田」の特攻論に対して、機械的に以下の二つの問を提出してみます。

問1
「国家や天皇にこだわって死ぬ暴力は、道徳的に可か不可か?」

問2
「国家や天皇にこだわって死ぬ激情を、特攻隊は抱いていたか?」

 こう問うてみると、高山論も武田論も、実を言うと、問1については「不可」であることが前提とされていることがわかるでしょう。その上で、問2の見解の違いが彼らの争点になっているに過ぎない。

 つまり、高山論は「特攻隊は、国家や天皇にこだわって死ぬという激情を抱いていたので、キチガイで洗脳されていた」と言っている。
 対して、武田論は「特攻隊は、国家や天皇にこだわって死ぬという激情を抱いてはいなかったので、キチガイではなかった」と言っているわけです。

 ですがしかし、そもそも、特攻隊が上の問1からして
「国家や天皇にこだわって死ぬ暴力は道徳的に可」
 と前提していた場合はどうでしょうか?
 この前提の上だと、逆に「国家や天皇にこだわって死んだので良かった」か「国家や天皇にこだわって死んだわけではないので悪かった」という評価体系になってくる。
 要は、前提される「べき論」が反転すれば、肯定しうる「である論」も反転するということです。

 そして、特攻隊の主観が「国家や天皇にこだわって死ぬ暴力」を道徳、理想の体系として前提していたことについては、かなり明瞭に見てとれるのではないでしょうか? 
(このことは、『真の国益を実現するブログ』さんの記事で、[日本人としては、『永遠のゼロ』は批判せざるを得ない http://ameblo.jp/datoushinzoabe/entry-11938275535.html]にて説得力のある論考がされていますので参照されたし。)

 すると、よぉく考えていただきたいのですが、もし特攻隊が「国家や天皇にこだわって死ぬ暴力」を理想として前提していたなら、その現実における行動も「国家や天皇にこだわって死んだ」とされなければ甲斐がないという事になりませんか?


 繰り返しますが、今の我々が国家や天皇にこだわって死ぬ暴力を道徳的に可とするか不可とするかは、ここでは横に置いていますよ(私は勿論、可だと思いますけれど)。ここでは「特攻隊員がその激情を道徳的に可としたか不可としたか」また、「特攻隊員がその激情を抱こうとする意思があったかどうか」という、死せる特攻隊員の主観の話をしているのです。
 だって、死せる特攻隊の主観は特攻の瞬間に完結しているのだから、彼らの名誉も、その主観が完結した時点での前提をもって量られねばウソでしょう? それを、「国家や天皇にこだわって死ぬ暴力は道徳的に不可」という生き残った側の主観を前提にした上で褒めそやしても、特攻隊の特攻時点での主観からすれば名誉毀損である可能性が極めて高いのです。

 ですから、記者高山のように、特攻隊の主観を根ごと否定しキチガイ扱いするのであれば、それはまだマシなやり方なんですよ。端的に言えば、問1を「不可」と考える者にキチガイ扱いされるのは、特攻隊員の主観にとってはまだ名誉かもしれないのです。
 対して、特攻要員の武田のように――つまり『永遠のゼロ』のように――問1を「不可」と前提しておきながら「特攻隊員は国家や天皇にこだわって死んだわけではない」とした場合はどうか。それは、現代人が都合よく特攻隊へ感謝がしやすくなるというだけで、特攻隊員の主観からしてみれば耐えがたき不名誉かもしれないのです。





 もっとも、こうした『永遠のゼロ』における特攻隊への名誉毀損は、別に「特攻隊を貶めてやろう」という恣意からされる種類のものではないのでしょう。これは、現代大衆人の都合に迎合して特攻を解釈したことから起こった名誉毀損なのであります。

 そもそも、日本人はなんやかんや言って、特攻隊には頭が上がらない心地ではいる。要は、特攻隊員の一人一人には感謝しておかなくてはならないような気分ではいるわけです。
 しかし、誤魔化さずナマのまま特攻隊を肯定しようとすると「国家や天皇にこだわって死ぬ暴力」を道徳的に可としなければならない部分がどうしてもでてくる。
 これが現代大衆人はイヤなのです。「天皇」はまだしも、「国家」「死」「暴力」といった種類の倫理は、「合理的にやってさえいればなくしうるもの」と考えておきたいというのが現代大衆人の大衆人たるゆえんなのですから。

 ですから、現代大衆人にとって一番都合が良いのは、「国家や天皇にこだわって死ぬ暴力を道徳的に不可」とする前提を手放さずに、特攻隊へ感謝しておける理屈なのです。また、こうした大衆の都合に合致した理屈は、多少不自然でも容認されることになる。

 しかし、もし、現代人が引き受けにくいような特攻隊員の激情をうやむやにすることで、現代人が現代的感覚の上で特攻隊へ「感謝」するようになったとしても、こんなやり方をしてはならんのです。
 第一、そんな「感謝」はろくなものではない。おぞましきことにこの場合、必ず「憐れみ」がこびりついてくるはずでしょう。特攻を「犠牲精神」として捉え、特攻隊を「犠牲者」と捉える仕方がそれです。
 そうした憐れみのこびりついた感謝というのは、穿った見方をすれば「貧乏クジを引いてくださってありがとうございました」といった種類の感謝なのです。
 そこから英雄の霊に対する「憧れ」などといったものは求められるべくもない。だって、憐れんで感謝しているということは、「特攻隊のようになりたい」とは思っていないということでしょう。「特攻隊のようになりたい」と思ってもいないくせに、なぜ彼らを「英霊」などと呼ぶのでしょう? そういうのを「都合のいい愛国心」というのです!

 故・小野田元少尉が靖国神社にて、小泉当時首相の靖国参拝の仕方を猛烈に批判したゆえんの一つもそれですよ。
 元少尉は小泉元首相の靖国参拝を評して、一つは「いたずらに騒ぎにせず黙って参拝しろ」とおっしゃり、もう一つは「英霊を憐れむなど言語道断だ」ということをおっしゃった。
 私は小野田元少尉のおっしゃていた事は、ほんとうに正しいと思います。

 多くの現代人は、こうした「感謝」や「憐れみ」が特攻隊の「激情」を踏みにじっている事に露とも気づかないのです。
 それで、今の我々があるのはそういう名もない人たち一人一人の鋭意努力のおかげである……みたいなことを言われても、それこそ「句舌の徒」の仕方であるとしか評しようがないのであります。





 さて、このように論じてみた上で、来うる反論というものが二つ考えられます。

 一つに、特攻隊員一人一人の特攻を「家族の為」と解釈する仕方は、家族から延びる「国の為」という部分については背反しない。むしろ健全かつ自然な愛国心というものは家族愛から起こっていくものではないか……という反論。

 二つに、特攻隊員に「天皇や国家にこだわって死ぬ暴力精神」があったとすると、一方で「命令としての特攻」や「戦法としての特攻」をも礼賛しなければならなくなってしまうのではないか……という反論です。

 なるほど、これらの論理は一理を認めるべき所はあります。しかし一般的に、その中に理のあるところ、誤魔化しのあるところが混然しているのが常なのであります。
 ですから、こうした「家族と国家」「隊員と海軍」の論理について「理」と「大衆の都合」に腑分けし、整理してみせる必要がありそうです。

 そして、大衆人の都合さえ無視すれば、『永遠のゼロ』のように特攻隊を「海軍に殺された」とか「健気にも家族を守る為の犠牲死だった」などと憐れまずとも、自然に特攻隊員へ尊崇の念が抱けるような特攻解釈は可能なのです。このことを何とか提示してやりたいというのが、後章の趣旨であります。



(※尚、ここでは「宮部の特攻」については論じません。その所以は、宮部の特攻の動機がお涙頂戴のラヴ・ロマンスに誤魔化されて結局のところ不明なこと。また、『永遠のゼロ』自体、宮部を一般的なものと取り扱ってはいないことがあげられます。要は、はなっからでっちあげであることを前提とした登場人物について批評をしても、国家論、大衆論、特攻論としては無意味だということです。ここでの主眼は文芸批評ではないのですから)


(つづく)
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コメント

つじつま合わせ

国家を守るために戦うことは正しい、といえないから、家族のために戦った、というように話を矮小化させてお茶を濁すくらいにしか方法がないというところなのでしょうか。
現状においても、国を守るために命をかけて戦うということは正しい行いだ、ということはなんとなくはばかられるように思います。
特攻は、(自国を守るという)正義のための行動だったということができない。
特攻は、無駄死に、あるいは悪の行動だったと開き直ることもできない。
日本国民が特攻に殉じた意義を、現代の大衆が受け入れやすい形に塗り替えてごまかすというのが、永遠のゼロに限らず戦争を扱った作品に多く見られる傾向という気がします。

ろくさん #- | URL | 2015/01/04 16:55 [edit]

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