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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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【注目ブログ記事】「Tempo rubato」様 

 今日は、日頃Facebookにてお付き合いいただいているアニメーター・演出家の平松禎史さまのブログ『Tempo rubato』より。

 いつも楽しく拝見しているブログですが、最新記事が特に素晴らしかったのでご紹介申し上げます。

「アニメの話のようで、そうでもないようなそんな話」



 このように、専門人が専門人の殻に閉じ籠るのが問題である……ということは、心ある専門人にとっては皮膚感覚で捉えられているもののようです。とりわけ平松さまは常からの言説に自問と思慮のある方ですし、このエントリについては「なるほどいつも仰っていることからこのように組み立てて考えるのか」と舌を巻く思いが致しました。



 その上でさらに、「専門人が専門人の殻に閉じ籠る」ことが何故そんなに悪いことなのか、という所をさらに掘り下げて考えてみるとこういうことになります。

 すなわち、細分化された「専門」をこなすためにも、その専門と隣り合う専門との関係、はたまたその専門が全体の中でどのような視点(スペクト)を持ったものなのかという解釈がなければ、その専門すら実は成り立たない。ならば、専門人が専門の中に閉じ籠るということは、本当に隔絶して閉じ籠っているということですらないでしょう。それは実を言うと、自分の専門以外は「多数の理屈」=「平均人でありながら平均人であることの権利を当然のものとして請求する、甘ったれた坊っちゃんの持つ世界観」を所予のものと無意識に前提しているということに過ぎない。

 すると、その閉じ籠った専門人の専門からは、甘ったれた坊っちゃんの世界観を、彼の専門(スペクト)から下支えするものしか生まれないわけです。
 にもかかわらず、こうした専門人には、「専門人」という権威が備わっている。すると、甘ったれた坊っちゃんの世界観を権威付けて「大衆世論」という常に間違え続ける巨大な化け物としている中枢には、専門人がいるということになる。



 私はアニメも演出も専門外ですからエラソーなことは言えませんが、物語の意味が人間の「美しさ」「善きあり方」「真の抱き方」をその主題のうちに示唆する所にあるなら、その作り手にも「甘ったれた坊っちゃんの世界観」に取り込まれない「総合性」が必要なのだという哲学は、まことに正しいと思うわけです。




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