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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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イスラミックステイトと人質と一億 



 私は、小学生の頃だったか、教員が「人命の尊重」みたいな話をするのを聞いて、こんなことを考えた覚えがあります。
 すなわち、ある勢力が「日本国民」を人質にとって日本政府にお金を請求した場合……というような空想を。

 この空想の説明では仮に、ある勢力が日本人の人質2人をとって日本政府に対して2億ドルほど請求してきたとしましょう。
 このとき、「人命の尊重」を基準に考えようとすると、利害は真っ二つに割れるはずです。
 二つとはつまり、2人対1億人です。

 尚、「力ずくで人質を奪還して身代金を払わない」ということと「身代金を払ってなお人質が殺される」という可能性においては、相手の能力や気持ちに左右されるものだから不確定なものとして据え置くとします。
 もっとこの時点で明らかなことだけを考えてみる。すると、「金を払った場合」、「払わなかった場合」で明らかにこうは言えるのです。

・金を払った場合
「2人の命が救われる可能性は高くなり、1億人が今後命の危険に曝される可能性が高くなる」

・金を払わなかった場合
「2人の命が救われる可能性は低くなり、1億人が今後命の危険に曝される可能性は低くなる」

 人質を取られて身代金を請求された時点で、これだけは誰の目から見ても明瞭なことです。

 ですので、「生命の尊重が大事である」といったような話はもっともなことではあるが、「ある生命の尊重」と「別の生命の尊重」との間でジレンマが生じる場合がありうる。つまり、その時点の可能性の段階では、「一億の生命」と「人質の生命」の両方を尊重する振る舞いはできないということ。どちらかをとれば、どちらかが毀損される。
 そうなると、生命の尊重以上の価値基準……大義のようなものがどこかに存在していなければならない。


 さらに、小学生の時の私はこんなようなことも考えたと記憶しております。

 すなわち、この場合もし、国民のすべてが道徳のようなものを考えず、「生命の尊重」という掛け声も実のところ「(自分の)生命の尊重」というものを想定して言われているだけなのだとしたら、どうなるかと。
 それは単に、人質の2人は「払え」と念じ、残りの1億人は「払うな」と政府へ請求することになってしまう。こんな醜いことはありません。

 ですから逆にこうも考えました。道徳の次元から考えれば、人質2人は「金を払うな」と念ずるべきだし、一億人は「払え」と請求するべきである、と。つまり道徳の次元では、人質の2人は一億の命を尊重すべきだし、人質ではない一億は人質の二人の命を尊重すべきなのです。






 こんな話を書いているうちに気づきましたが、そういえば今、イスラミックステイトが日本人二人を拘束して2億ドルを請求しているそうじゃないですか。
 そして、人質ではない一億人はおおむね「テロに屈するな(払うな)」という雰囲気でいるようですね。

 勿論、上で言った空想は小学生の考えですから、実際は、 政府は金を払ってはいけないのですよ? 
 しかしそれは政府のあるべき振る舞いであって、人質ではない一億人のあるべき論調ではないのです。

 とりわけ、知識人を気取った連中が、簡単に「テロに屈してはならない」みたいなことをいうのには、本当に腹が立ちます。
 何故ならそれは、「テロに屈しない(払わない)方が、人質ではない一億の今後の生命の危険度が下がる」というところに向けての多数派(人質ではない1億)への媚びの部分が容易に見てとれるからです。
 もし、その知識人が人質だったとしたら、彼は同じように「テロに屈してはならない、払うな」と念じるでしょうか。ほとんど念じやしないのです。

 繰り返しますが、政府は身代金を払ってはいけないのですよ。
 しかし、「人質ではない一億の今後の生命の危険度を下げる」ということを考えているに過ぎない多数派が、それを「テロに屈してはならない」といって脚色する偽善的空気には吐き気がする。
 我々は、こうした板挟み状態にあっては、(自分の)生命のことばかりではなく、もっと道徳や大義のことを考えるべきなのです。


 また、日本政府とイスラミックステイトとの間のことも、単にテロだ卑怯だ暴力だと騒ぐだけではなく、大義のことが考えられているべきです。そして、大義を「中庸」と言い換えれば、中庸を欠いたのは果たしてイスラミックステイトだけかという疑問も浮かんでくる。
 もしかしたら日本はずいぶん前から、最も効率よく「今生きている国民の生命と財産」を守ろうとするあまり、「自由と民主主義というフヘン的なカチをキョウユーする国々による集団自衛」に偏って、中庸を欠いてきたのではないでしょうか。
 もし私がイスラミックステイトなら、そんな自由と民主主義に偏った連中に「中庸」を諭されたら激怒する他ないですよ。


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Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 1   

コメント

気持ちは分かりますが、本音と建て前を使い分けるのは
国際社会では通用しないと思うんですよ。

その意味で
「繰り返しますが、政府は身代金を払ってはいけないのですよ。」
と言いつつ、
「テロに屈しない(払わない)」
と主張する人に対して腹を立てるのは感情論としては理解出来ますが、
議論としては成り立たない。


また「中庸」という言葉も違和感があります。

海外に出ればわかりますが、白か黒かなんですよ。
自分の立場をはっきりさせない人は相手にすらされない。

イスラミックステイトと関連で自己の主張を展開するのは、
平和ボケした島国日本人の独り言に過ぎないです。
彼らは白か黒か自己の立場を求めている訳です。

しかも今回、怒りの矛先が多数派の日本人に向かっている訳じゃないですか。

海外でも理解されない。
日本でも理解されない。

あなたの怒りの矛先はどこに向いてるか?

#- | URL | 2015/01/25 11:26 [edit]

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