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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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いわゆる「自由と民主主義の価値観外交」の欺瞞 





 私がイスラミックステイトによる日本人人質事件について最も気にくわないのは、大衆が政府の対応について「ああしろ、こうしろ」と請求することそのものについてです。
 そもそも事件の対応そのものについては、普通の人には情報が明らかにされていないし、明かにされるべきでもないのですから、いかなる請求も糾弾も大半は憶測がベースにされることとなる。そして、そのような憶測で政府へ口を出してよいと考えられていること自体、大衆平均人の傲慢というものなのです。
 つまり、情報の機密性が不可欠である以上、事件対応そのものについては政府の判断でやる他ないのであって、現在進行形の中で大衆が(自己責任論にせよ、生命尊重論にせよ)何か申し立てていい権限はないのです。
 よって、この領域にかんして大衆は黙っていなければならない。



 しかし、情報を獲得するべきではない非政府の人々……特に言論人は、この件にかんして何ひとつ言うべきことはないのかといえばそんなことはありません。
 分かられている明瞭な事の中で、また、もっと本質的なところで、言論人、知識人が議論すべきことがあるはずです。

 それは、くどく言うようですが、「大義」のことです。

 そもそも、日本の国がイスラミックステイトと敵対することとなった引き金は、安倍首相が「イスラミックステイトの脅威を食い止めるため」と演説をして、ヨルダン政府へ2億ドルの財政支援を発表したことでした。
 この事自体は別にコトの象徴であるわけですが、そのような財政支援が必要であったこと、また、それが敵対と見なされたことに注目すれば、次のことが分かるはずです。

 すなわち、 
「自由と民主主義というフヘン的カチをキョーユーする国々による集団安全保障的軍事圏にあること」(=地球儀を俯瞰した価値観外交)
 が、イスラミックステイトとの対立要因の全てだということです。

 要するに、別に我々日本は我々の信義に基づいて「ヨルダン政府への2億ドル支援とイスラミックステイトへの批判」という敵対行為に至ったわけではありませんね。自由と民主主義という意味不明な価値観に従属して集団安全保障を実現させようとしているから、イスラミックステイトへの敵対行為(あるいは、敵対している風体を醸すこと)に至ったわけです。そうしていないと、「自由と民主主義の軍事圏」としての立場が保てないから。

 さらに、政府がそういう立場を保っておかなければならなかったのは、その時々に生きている日本人が、せめて自分達が生きている間だけは徴兵も核武装もされずに「自由と民主主義という価値」を前提とすることによってその軍事圏に属し、生命と財産が比較的容易に守られる状態を延長しろ……と、長年大衆平均人が当然のごとく暗にし続けてきた請求に、応えておくためでしょう。


 日本は、そんな婢俗で猥褻な大衆の請求を実現するためだけに、
「自由と民主主義というフヘン的カチをキョーユーする国々による集団安全保障的軍事圏にあること」(=地球儀を俯瞰した価値観外交)
 とやらを無様に、無制限に受け入れ続けて来て、そのことによって今、本来関係のないイスラミックステイトと敵対しているわけです。



 さて、ここまで考えると、(政府のありうべき態度はまた別の話として置いておいても)少なくとも今回のことについて、日本側に百パーセントの大義があるなどとは言えなくなってくる。

 何故なら、「自由と民主主義」はフヘン的なカチじゃないし、そもそも日本の国は別に「自由と民主主義という価値の共有」なんて無関係なのです。それが関係してくるのは、ほぼ、その軍事圏へ加えておいてもらうという媚びへつらいの範囲の中においてのことなのですから。

 また、根元的にステイツというものは、国際法ではなく、ネイションの歴史性や大義を基盤としてはじめて正当性が付与されるのであるとすれば、イスラミックステイトを単なる暴力組織として換算することはできません。暴力などということを言えば、全ての国家は、その国家組織のうちの何割かが暴力で構成されているのです。法律とて同じで、暴力を背景としない法律などありえない。
 ただ、その暴力を下支えする歴史や大義の有無が、国家や法律の正統性の有無を決定付けているという所が肝なのであります。そして、「自由と民主主義」にそんな超国境的な歴史や大義なんてないのです。




 我々はイスラミックステイトとの衝突によって、
「自由と民主主義というフヘン的カチをキョーユーする国々による集団安全保障的軍事圏にあること」(=地球儀を俯瞰した価値観外交)
 の欺瞞性、偽善性、不完全性を嗅ぎとらなければならないはずなのです。
 何故なら、この「1億の生命と財産の効率的保全の理屈(価値観外交)」の上では、「日本」という暴力体系は際の際で大義と正統性を手中にすることができないからです。

 こんな単純なことが分かられていない以上、いくらこのことで改憲の必要性を説いた所で、その議論から出てくる憲法論も 「1億の生命と財産の効率的保全の理屈」を基準としたものになってしまうでしょう。
 さすれば、また、その時々の刹那的脅威(例えばソ連、中国)から単にその時々の大衆の生命を守るために、長期的脅威(アメリカ)に対してはズルズルと取り込まれるような……つまり「日米同盟」を基軸とした憲法論しか出てこないに決まっているのです。



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コメント

人質事件

「民主」が肥大化し、「政治」が消えかけている「大衆民主政治」社会においては、テロリストとの人質解放交渉にすら、「民意」がしゃしゃり出てくる。
ブレーンにでもなったつもりか。
これは、「民意様」が決められる範囲を遥かに越えた問題だ。いいから黙ってろ。

丁度、こんなことを自分のツイッターで呟いていたところなので、ブログ主さんの苛立ちは、とても共感できます。

natu #- | URL | 2015/01/26 17:52 [edit]

人質事件

※追記
ブログ主さんの日記の内容と合わせると、「テロリスト」はちょっと不適切だったかな…
連投すみません。

natu #- | URL | 2015/01/26 18:10 [edit]

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