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日本が日本であるために

主に政治、経済、時事、国家論についてなどを書きます。日本が日本である、ということを主軸に論を展開していきたいです。

 

【読感文】「西部邁の経済思想入門」 




 今日は、『西部邁の経済思想入門』というご本を取り上げさせていただきます。

 この本は、西部邁氏が、西洋における経済思想の歴史を概説してくれている本です。出版は放送大学。私のような素人にも取っ付きやすく、それでいて本質を失わない、丁寧なまとめがされている素晴らしいご本です。


 肝は、経済における「思想(前提とする考え方)」の「歴史」というところにあります。
 ともすると経済(学)は、その経済学的「理論」のようなものを突き詰めて行けば、社会の純粋型、平均型としては整合する……と誤解されていることが多いように思われます。つまり、経済を、物理学のように数理的に理論化すれば、合理のみに基づく「指針」を示すことができるのだ、というイメージです。
 しかし、経済は、人間の主観性や社会(人間交際)の中に埋め込まれてあるものなのですから、「経済学」の物理学的理論で普遍的な解釈がまとまるものではありません。いかなる理論も、必ずその理論の前提となる「思想」と絡み合う形で提示されているのです。

 しかし、「思想」といった人文系の領域は、必然的に数値的精緻さを失います。そうなると例えば、「経済についての前提、倫理はこれこれこうあるべきだ」といったような「べき論」を、基準やアタリのようなもの持たずに論じあっても「それは彼の考えだ、だが私の考えはこうだ」みたいに相対化されてしまいがちでしょう。すると、結局のところその時々の「多数」の思想が勝利をおさめることとなってしまい、経済理論の前提となる思想も単なる多数の雰囲気の代弁者に惰することになる。しかもそれは、「数値」という権威だけは付与されているわけで、余計にタチが悪い。

 ですから、思想の領域には特に、「思想の歴史」というものを基準やアタリとして用い、相対主義を可能な限り排す必要があります。また、ここまで西洋近代(モダン)を呑み込んでしまった我々は、経済についても西洋の経済思想の流れ、経緯が無視できないし、無視できるとすることがかえって一面的なウルトラ・モダンに走る要因にもなっている。

 その「西洋経済思想史」を捉えるために一番良いのは、おそらくアダムスミスやマルクス、リカードやマルサス、ケインズやハイエクといった時代を代表するような経済思想家の原典を読みこなし、自分なりの「経済思想史の系譜」を構築することでしょう。
 しかし、それはいわば達人の所業であり、一朝一夕で出来ることではありません。
 また、例えばケインズの『一般理論』を読むにしても、ケインズがどのような経緯の上でそのようなことを言いたくなったのか、という流れのイメージがなければ、中々苦しいものがあります。また、素人が(翻訳された)文面を目で撫で、少しかじった程度では、変な誤解をしてそれを思い込んでしまう危険性もある。

 ですので、素人がまずその流れのイメージをつける為には、「経済思想史の系譜の構築」からして、まずはその道の達人の概説を参照しておくのが無難です。
 ひとまず達人の概説によって西洋経済思想の歴史の流れの全体像を掴み、それから一つづつ原典にあたって、頭の中で肉付けをして行けばいいのではないか、と思うわけです。少しカンニングめいていて気が引けますけれどね。

 ともあれ、そうした達人による概説として『西部邁の経済思想入門』は掛け値なしに良著です。

 また、この書は、同じく西部氏の『ソシオエコノミクス』を読みとく補助教材としても役に立ちます。『ソシオエコノミクス』の読書感想文も、また書けたらいいなと思います。


 
西部邁の経済思想入門 (放送大学叢書)
 




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Category: 読書感想文

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Janre: 政治・経済

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