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日本が日本であるために

主に政治、経済、時事、国家論についてなどを書きます。日本が日本である、ということを主軸に論を展開していきたいです。

 

愛知県民からみた大阪都構想・3 




 ともすれば、愛知県民の私に対しては「大阪都構想で大阪市がどうなろうがしょせん他人事のはずで、関係ねえだろ」というような評がされることがあります。また、私以外の愛知県民や愛知県以外の都道府県民も「大阪市の解体」のことなんか他人事のように思ってそれで済むとしている。
 そりゃ確かに、私からすれば「大阪市がどうなろうが他人事で関係ない」という部分は当然ありますよ。しかし、「関係ある」部分だって当然あるわけです。それは、とどのつまり「日本国民だ」という家族感の部分です。

 まあ、そんなようなコトを言うとキレーごとをのたまっているように思われるけど、それは誤解です。キレーごとじゃあないんです。

 例えば、東北の大地震を考えてみてください。東北の震災で町が流され、共同体が流されるという場面を知った時、遠くにいても我々は身の引き裂かれる想いが致しましたでしょう?
 どんなに偽悪的に装っていようと、また偽善的に装おうと、外国……たとえばチャイナやハイチやニュージーランドなんかの地震で人が山ほど死んだという場合などとは比較にならぬほど我々は東北の震災にはショックを受けたわけです。(そういえば小学生のとき阪神・淡路大震災で同じようなことを考えた記憶があります)これは「同じ日本人が沢山死んだのだからショックを受けよう」という恣意によってショックを受けているわけではないし、逆に「同じ人間のことなのだから、日本人が死んだからといって外人が山ほど死んだ時以上のショックを受けてはいけない」という風に思っても抑制やコントロールなんて効かない。だって、これは恣意や意志の前段階として浮かんでくる心なんだから。そういう恣意以前の心の領域というのが人間にはある。実際に「ある」のだからしょうがない。
 こうした心の前提は、先天的な情緒的個性や身体的前提、土地的前提、民族、血縁、言葉……などなど生まれ持って所与のものからくるのであるから、生まれ持った運命と評すべきものですよ。ここではこれを「ナショナルな心の領域」と呼びましょう。繰り返すと、「ナショナルな心の領域」とは、そういうものを持とうという恣意によって持つものではなく、生まれ持った運命としてある心の大きな領域のことです。運命に強制された心と言い換えても良いでしょう。
 でも、「その心の領域を自分で発見したり解釈する」という言語作業は恣意によってなされるもので、その一連の精神的動きを「ナショナリズム」と言うんです。(※ナショナルな心の領域のあることと、それを発見するナショナリズムとの間には意味として大きな差がある)

 そうしたナショナリズムの観点からいくと、「共同体の破壊」からは離れた一億の個々人に対しては仮にそれが日本人であっても具体的に関係がなければ関係がないんです。例えば、日本人は1億2千万ほどいるらしいので、そのうちの相当部分は個々人的な事由によってごく個々人的に悲惨な人生や悲惨な死に方があるかもしれません。でも、そんなものは具体的に関係がなければ関係がないんですよ。勿論、そういう話を聞きさえすればちょっとは「可哀想だなあ」と憐れむかもしれませんが、そんなものは所詮ヒューマニズムなのです。そして、関係のない人に対するヒューマニズムなんてもんは吹けば消し飛ぶようなやわいシロモノです。いや、別にヒューマニズムがいけないと言っているわけではないですよ? でも、これをとりわけ大きく見積もるのは無理があり、偽善であり、自分に対する嘘というものでしょう。



 だから私は、大阪市の廃止と解体によって「大阪市民の税金が府全域に流出し、彼らの受ける行政サービス水準が下がり、生活水準が下がる疑義が濃厚である」ということ自体は、ほんとうにどーでも良いのです。大阪市民の個々人については幾人かの知人以外ほとんど関係がないので、心配をするにしても知人についてだけですよ。関係のない大阪市民の個々人については、その暮らしの水準がどうなろうと私には関係がないし、まさに他人ごとです。(勿論、「大阪市民の税金が府全域に流出する疑義が濃厚である」という事実を住民投票の権限をもった大阪市民に提示するという実践の経路は意義あることなんですよ。でも、ここで言っているのは位相の違うことです)

 でも、大阪市の廃止と解体――つまり、「大阪市」という行政的枠組みを取っ払って、広域行政たる「府」と「(どうやっても現在の区以上ではあるが市以下にしかならない)五つのショボイ特別区」に、組織や権限や財政を振り分ける――という部分については、他人事では済まされないのですよ。この部分は、東北の震災で家が流されるのとほぼ同じ話だからです。
 だって、これは共同体の破壊行為でしょう。
 それも、並大抵の共同体を破壊するんじゃあない。あの、「大阪市」を止めちまうというのだから、トンデモねえ話ですよ。

 そう言うと、「廃止するのは市という行政単位だけで、非効率な市の重しが取れてより住民に密着した特別区ができるのだから、むしろ市民共同体は活発化するはずだ」などと思うかもしれないが、それは行政府と共同体がまるで異次元で別々に存在しているかのような前提でモノを考えているからこそ至る空論というもの。
 共同体の実際は、「政府」と「民」で明瞭に分けられるものではありません。言い方を変えると、「政府をやっている人」と「民をやっている人」という風に純然と分けることはできないということ。
 だって、お役所を見ても、そこで役人をやっている人を摘んで観察すれば、「政府の属性」と「民の属性」を帯びているでしょう。お役所で事務を執り行っている時は政府の属性が強いのでしょうけど、帰って飯を食うときは民の属性ですね。
 逆に、その辺のサラリーマンも、「民の属性」と共に「政府の属性」をもあわせ持っている。簡単に言えば選挙権があるし、それだけではなく彼の参与する産業が、政府の事業と繋がりのある事業を執り行っているかもしれないし、あるいは政府の事業と繋がりのある事業……と繋がりのある事業に加わっているかもしれない。その場合、産業を通して政府の属性を帯びるわけです。

 ですから、このような行政制度の過激な改変は、共同体の過激な改変をもたらします。
 政府の権限をもって敷いて来た「規制」や「計画」という前提。あるいは財政の執行によって回ってきた「公的な事業」の産業的前提。民間部門もこれら政府部門と不可分な形で存在しているのです。大阪市などという超巨大都市であれば、その前提の複雑さと有機性は計り知れず、歴史的に編みこまれた人間交際の英知をもってして始めてその体が成るもののはずでしょう?

 本来、こうした「歴史的に編みこまれた人間交際の英知」は、これまで大阪市民をやってきた過去の大阪市民をも含めた都市的財産なのだから、たまたま今生きているというだけに過ぎない大阪市民の多数が、「何か政府にはムダがあるような気がする」からと言ってそう安々と改革していいはずはない。それはよほど軽薄です。
 つまり、そもそも、たまたま今生きているというだけの大阪市民に、直接の「住民投票」の権限など与えられて然るべきではないのです。だって、仮に住民投票が通っても、大阪市を廃止するなんて大義が付与されていいわけがないじゃないですか。(だから、協定書には反対だが、ともかく住民投票を行うことには賛成した公明党は、「イズムとしての民主主義者」との謗りを受けるべきなのです)



 というわけで、大阪市の廃止と解体は、過激な行政制度改変であると共に、共同体の破壊行為なのです。
 私は、こういうことについてはヒューマニズムではなく、「ナショナリズム」が浮かびます。つまり、東北の津波によって町や共同体に宿る価値あるものが流されるのを見てショックを受けるような。だって、大阪市が廃止になってブチブチに5分割されてしまうのは、大阪市が津波に呑まれるというのとほぼ同じことでしょう? 違うのは、一応すぐに生命が失われるわけではないという点だけで、共同体の中で宿す魂は失われるのだから死ぬのと似たようなもんですよ。

 何故こうしたナショナリズムがありうるかというと、私の周りの世界を観察しても、価値あるものは「共同体」の中にしか宿っていないからです。そして、日本人である以上、共通感覚を持っていてそれなりに類似した共同体を編んでいる。だから、愛知だろうが、東北だろうが、大阪だろうが、その共同体の価値を私は知っているのです。価値を知っている以上、その部分においてだけはどう考えても私の問題でもある。私の問題である以上、大阪市民に口を出す正統なる権限が私にもあるのです。

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Janre: 政治・経済

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コメント

名古屋市営地下鉄もクソ高いよな

なんで君ら文句言わないの?

ななし #- | URL | 2015/04/04 06:53 [edit]

読ませていただきましたが

無理やりの論ですね。しかも藤井教授の受け売り付き、しかも愛知県民特有の狭い視野。まず東北の震災を例えに出されてますよね。
全ての愛知県民の考え方じゃないと思いますが、私の経験上の愛知県民の多数派のような気がします。共同体、なるほどの論だと思います。しかし、あの震災の時にいち早く行動して頂いた台湾の人たちはどう捉えますか?あなたの論で言えば、悲しいけど他人事の話になるでしょう。実際に東北地方に多大なる援助も頂いた事についてもよそ者が、の感覚なんでしょうね。そんな感覚になりながらも、実際はありがたいと思ってるのでしょうが。政治体制があまりにも違うけど、言葉、食文化など中華人民共和国に限りなく近い属性にあるのにですよ。閉鎖主義の愛知県民にはありえない行動ですね。この論で言えば東西ドイツの再統一も反対、南北朝鮮が、万が一統一を朝鮮の人たちが英知を集めて統一する事になっても、反対なんでしょうね。台湾を例に挙げましたが、国境や行政の区画が全てじゃないんですよ。勿論、非常に大事なラインですが、要するに人の気持ちですよ。大阪人は大阪府下にいれば大阪人なんですよ。役所組織を大阪と言う枠内で組み替えるだけの話。それも仕事見合いで。何も天白区を大阪府に組み入れるって言ってる訳じゃないし。愛知県民はコンプレックスの塊。岡崎や豊橋が田舎?私にはどうしてもそう思えない。国内の大多数が田舎であるにも関わらず、田舎だと思いすぎてる節がある。だから名古屋が輝いて見える。憧れる。だから名古屋と言う区画に必要以上にこだわる。愛知という枠にこだわり過ぎる。愛知上空100メートル位の視覚しか見れない。もう少し高いところから眺めて見てはいかがでしょうか?
高度を上げれば、京都がみえもう少し上げれば大阪、神戸がみえ、更に上げれば東京がみえ、更に、仙台、函館、札幌が見えますよ。
名古屋よりも輝いてるところもあれば、そうでないところもある。名古屋よりも大きいところもあればそうでないところもある。でもその全てがあなたの居場所であり、ふるさとだよ。そこに線が引っ張ってありますか?
住民サービスが低下して、心配するのは知人だけ。あとは知らない。では心配とは具体的に何をするのですか?さしずめ話を聴いてやる位のもんでしょう。
大阪市の税金が大阪府全域に使われる疑義が濃厚である。藤井教授ですね。では、具体的に何を指してそう言われるのですか?恐らく答えられないでしょう。
今現在も大阪市以外のところに税金を使っている事実をご存知ないから、そう言う事が言えるのでしょう。
住民サービスに使ってる金額は担保されます。減りようもありません。減るとしたら、景気が悪くなり税収が落ちる時です。それは改革前も改革後も変わりません。問題にしてるのは大阪市が政令指定都市として使っている金額が吸い取られると言う藤井教授の話ですね?そこの部分は過去もいま現在も市外にも使われています。青少年野外育成センター、関西国際空港にもです。他にもありますが。これらは大阪市にとっても重要だから市外にあっても使うわけです。大阪府も広域で使うお金の大半が大阪市ないしその周辺市が多いですね。ショボイ五つの特別区?何をもってそのような事何でしょうか。藤井教授!東京23区よりも権限を持たせてありますよ!言うなら東京都港区、千代田区はショボイ特別区なんですね。
大阪市の解体と言うより合併ですね。東京23区はバラバラだと思ってる都民はいないしね。あなたの論でいけば、東京市は復活させないといけませんね。長い歴史で言うならば大阪は摂津、堺、河内、泉州に分けなければいけませんね。

まつ #- | URL | 2015/04/05 00:54 [edit]

大阪都構想=政令指定都市の大阪市を廃止解体する事。
大阪都構想は、
大反対です!

大阪市=大阪府だけでなく、関西経済の中心地です。 大阪市は、関西経済のエンジンの役割をずっと果たしてきたのに、そのエンジンを破壊すれば、大阪のみならず、関西経済は二度と浮上すること無く、沈没してしまうでしょう。
大阪市や堺市は、国から交付税を受けているが、政令指定都市で無くなると、交付税が消え、大阪全体の財政基盤が縮小する。
二重行政?という言葉に騙されないで!!

大阪都構想に反対しましょう。

大阪市民 #UoJDqtOY | URL | 2015/04/29 14:50 [edit]

もう沈没間近だよ!その事実が判らない人だね。時間をかけゆっくりと、しかも確実に衰退していることは、住んでいる人たちには分かりづらいかも知れませんが。約40年前から人口の社会減が著しくなってます。これは、企業の東京移転に伴うものですね。最近では東京証券取引所と大阪証券取引所の経営統合による現物株の取引所がなくなりました。大手都市銀行本店が全てなくなりました。
りそな銀行の本店は大阪に登記上残したままりそなホールディングスは東京に移転しました。住友信託銀行も統合により移転しました。デパートでは、高島屋が登記のみ残し事実上移転しました。大丸も経営統合により中枢機能は移転しました。そごうはセブンアンドアイに買収され大阪本店を売却しました。大林組、旭化成、丸紅は登記上の本社も移転しました。サントリーもサントリーホールディングスの登記のみを大阪に残し事業会社の殆どを東京に移転しました。日清食品も登記のみ残し東京に移転しました。伊藤忠商事も登記のみ梅田に移転し殆どの部門が東京に移転しました。製薬会社も一部の会社のみ大阪に残りますが、大半が移転してます。
大阪に本社がある、あった企業は2本社体制を取るのですが結果的には1本社体制にします。勿論東京本社が残り時間をかけ登記上の本社も移転します。これらは、ほんの一部に過ぎません。本社が移転すると言う事はどう言う事か。まず働ける所が減る。優秀で所得の多いひとが減る。結果、高額商品も売れなくなる、日常の商品の売上も減る、よって地場で働いている人の所得も減る。本社がある大阪市に入っていた法人事業税も減る。に繋がって行きます。
地方交付税交付金も減ることも無いのに、よくわかりませんね。
地方制度調査会が、都構想によって1番心配して警戒したことは
大阪市を特別区に分割する事によって地方交付税が増える事です。
増えないようにも、減らないようにもする制度だから、国も了承した経緯があります。在京関西人はこの30年くらい飛躍的に増えました。この事実をもってどのような判断をされるでしょうか?
既得権益者という言葉は使いたく無いけど、市会議員や役所の職員さんが反対するのは理解出来ます。私がそうであるならば、反対します。感情だけなら事実をよく見てから判断された方が賢明だとは思いますが。
府県から都になれる都市はそう多くありません。事実上なら大阪府くらいでしょう。全国で見れば都と言う名称はブランドそのものです。都市経営を商売に例えるなら、同じ機能の財布でも有名ブランド財布の方がそれだけで付加価値があり高く売れ、また実際に買っても頂けます。このチャンスを逃すとまためぐり逢えることはほぼ不可能と言っていいくらいです。橋下徹なんかどうでもいいんです。しかしこのチャンスは生かした方が長い目で見れば利益的ですね。(東京から生まれ育った大阪市の衰退ぶりを悲しく見続けてみたしょうむない奴より。)

まつ #- | URL | 2015/05/04 23:06 [edit]

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