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後編・いわゆる大阪都構想『住民投票』という民主主義イデオロギー 



 さて、こうした前提の上では、一種おかしなことが許容されることになります。
 その一つが、「議会の議論」と「住民すべてへ平等に振り分けられた政治権限による多数決」で、後者が優先されうるという狂った発想です。
 例えば、大阪の「特別区設置協定書」についてもそうです。これは大阪府議会、大阪市議会の両議会で議論された段階で一度「否決」されているんです。議会での議論で、「二重行政の問題解消によって財源など濾し出せない」ことから、「市廃止と特別区設置に反対の堺市との関連によって区割りが大阪市に画一的に限定されている」ことまで論じられて、『論外』という事になった。勿論、維新の党だけは賛成票を投じたのでしょうけど、議会での議論で滅茶苦茶な協定書である旨結論が出たわけであるから、それ以外の政党は皆反対票を投じる。維新の党は府市両議会で過半数を得ていませんでしたから、去年の10月の時点では当然の結果として否決されたのです。
 しかし、公明党という政党が出てきて、こんな風に言うのです。
「協定書の内容には反対だが、判断を住民に問うことには賛成である」
 こうして公明党が維新の党へ協力に転じた結果、今年の二月にほぼ同内容で再提出された協定書は過半数を得て府市両議会にて承認されたという話なのです。
 ここで注目してもらいたいのは、大阪市も大阪府も、議会の結論としては、「この特別区設置協定書はダメだ」という結論を出しているという点です。結論を出しているにもかかわらず、「大阪市民の多数決」によって決めてもらおうというわけです。
 だったら、「議会」は何であるんですか?
 議会が「良い」と結論したものを住民投票で問うのならまだしも、「悪い」と結論したものまで住民の判断によって決めていいのだとしたら、議会は必要ないって話になりませんか?
 さらに、この場合、「議会の議論」より「住民すべてへ平等に振り分けられた政治権限による多数決」を比較した場合、後者が優先されるべきであると前提していますでしょう。つまり、「民主主義」の発想なわけです。
 でも、「民主主義」というのは、歴史的にも平成の経験的にも、常に間違い続けてきたイデオロギーでしょう。
 実際、「世論」や「住民すべてへ平等に振り分けられた政治権限による多数決」に近い政治決定というのは、七割方間違っているんです。何故なら、平等に振り分けられた政治権限では、その一人一人は「統治に無知」であり「統治として物事を考える」ということはできないからであります。そうした、統治に無知で、統治として物事を考えることのできぬ人々の多数の意見を塵のように寄り集めても、結論は「統治に無知で、統治として物事を考えることのできない人の意見」に集約されていくに決まっているのです。
 対して、少なくとも「議会の議論」であれば統治にかんする一定程度の知と考の水準を担保できます。世の中ではやたら「議員」を馬鹿にする風潮があってまことにケシカランことではあるが、よく考えてもみてもらいたいものです。少なくとも彼らは、統治に携わる「時間」というものがある。議論の場というものもある。議員ではない別の仕事をしている者たちは、別の仕事をしているのですから、別の仕事については議員よりも優れているに決まっていますが、統治にかんしては議員の方が(平均して)熟知しているに決まっているのです。
 ですから、そもそも「住民投票」なんてものより「議会の議論」の方が、はるかに「統治」という目的には即しているのです。もしあなたが愚劣なる民主主義者でなければ、このくらいのことは常識でわかるでしょう。
 それでも、5月17日には大阪市の住民投票があり、大阪市民は投票へ出かける「義務」がある。この面倒にはまことに同情せざるをえないけれど、大阪市民は議会の議論を尊重した上での投票を心がけておきさえすれば間違いありません。また、議会の議論では「特別区設置協定書」はダメだと結論されていて、その議員を選んだのもまた「大阪市民」なのですから、投票行動に一貫性をもたせようとするのなら、これも「ダメだ」という結論が出なければおかしいですしね。


(了)
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Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 1   

コメント

“彼ら”は、非大衆的なものを嫌う。
非大衆的なものを破壊し、大衆的なものに作りかえようとする。それが進歩であり、繁栄の道だと信じている。
「我々の意思で、すべてを決めたい」という、権力欲も潜んでいる。
だから彼らは、非大衆的なものの一つである「議会」を嫌うのでしょうね。
実際、橋下徹は「民意により、議会を破壊したい」というようなことも言っていましたし、大衆社会化の問題を考える上で、こんなに“分かりやすい”人間もそうそういないと思うのですが…。そういう風に見る人々は残念ながら少数派なのでしょうね。
直接民主主義を「本来の」民主主義と見なす考え方も、その価値観が蔓延した平成日本の凋落ぶりを見れば、間違いであったと気づいてもよさそうなものですが、彼らは“懲りる”ということを知らないようです。
インターネットの普及で、この国はますます劣悪な大衆社会になっていきそうですね。その象徴的な出来事が、この「橋下現象」なのだと思います。

natu #- | URL | 2015/05/10 09:25 [edit]

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