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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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経済と軍事の交差点 




 自由市場の礼賛が平成の日本大衆民達の都合によって推し進められてきたということは、
「大衆迎合としての自由市場礼賛」 http://shooota.blog.fc2.com/blog-entry-272.html
 にて論じました。

 これに対して、「いや、アメリカが新自由主義を押し付けてきたのだ」という反論があるかもしれません。
 これは確かにその通りだといっても良いかもしれませんが、やはりそれは少し違うでしょう。
 やはり、日本の国を一番毀損しているのは、日本人全体の人間的劣化と卑しさなのです。


 というのも「アメリカに新自由主義を押し付けられること」を良しとしてきたのは、やはり「日本大衆民の軍事的な都合」に起因するからです。これは、「自由市場礼賛」を多少懐疑する者であっても、結局取り込まれる都合であります。

 つまり、「アメリカによる軍事的な養護」と「政治・経済的な制度改変」では前者の方がより短期的な問題に属することは誰が見ても明瞭ですね。ですから、「政治・経済的な制度改変」を犠牲にして「アメリカによる軍事的な養護」の方をその時々で優先するほうが、その時々の「民の請求的な都合」に迎合する姿勢となる。

 この経済と軍事の問題の交差関係は、ごくごく明瞭なことでしょう。誰も口にしませんが、誰もが多かれ少なかれ分かっていることでもある。

 アメリカは、意識的にも無意識的にも、「自由と民主」を普遍的な価値、進歩の光の先として押し広げる傾向が非常に強い国です。そして、これに反する精神は「非自由主義」「非民主主義」の傾向と判断されるのであるから、「国際社会の少数派」として(アメリカから)見なされる。こうした関係も雰囲気として誰しもが察しているところでありましょう。
 すると、政治・経済の制度を「自由」「民主」へ「進歩」「改革」させてゆく姿勢を取らないとなると、アメリカから軍事的に庇護されうる対象から外れる。

 誤解しないでいただきたいのですが、ここで私はアメリカを非難してなどいません。アメリカはこういう国だと誰しもが思っている事実を描写しただけで、別にこのことを良いか悪いかと判断する立場に私はない。私はアメリカ国民ではないのですから。


 私にとって非難する価値のあるのは、いつだって日本人全体です。

 つまり、日本人は、長期的に国家の体制を守るためには、「国際社会多数派筆頭」=「アメリカを中心とした国際社会のスーパーパワー」による庇護から外れる、あるいはそれを敵に回す可能性を認めなければならない……のが嫌だっただけだろう、ということ。
 なぜ嫌なのかといえば、それは職業軍人が多量に戦死するケースが誰にだって想定される可能性であり、つまりは徴兵の必要性も想定され得ることが明白になる可能性だからです。

 つまり、日本人は、短期的にその時々の一人一人が「徴兵される可能性を1%でも下げたいから」「政府に民を徴兵する権限など与えるのはムカつくから」といった理由で、「政治制度、経済的な制度」という長期的なものを少しずつ少しずつ犠牲にしてきた。また、少しずつの犠牲を積み重ねることによって時間制限付きの平和と飽食を享受してきたというわけであります。まあ時間制限付きでも、その中にある日本人の一人一人は、時間制限の間に自分の寿命や青春の期間が含まれきるのであればそれで良し、と頭の何処かで計算しているに違いないのです。

 さらに、こうしたことをまさか正直に言うわけにもいかないから、日本人というのは狡猾にも、そうした自由と民主の進歩的な「政治制度、経済的な制度」に『理』をつけてくるわけです。理さえつけば国家を犠牲にしていることにはなりませんので、先人や後継に対して罪を感じないで済みますからね。

 つまり、深く掘れば「徴兵の可能性をとにかく減らしたい」という短期的都合によって、「政治制度、経済的制度」という長期的な問題を犠牲にしながら、日本人の一人一人はまだ「良い者」でいたのです。だから、そうした長期的な犠牲分を「むしろ合理的」と見積もれるような理屈を一生懸命にさがし、構築するわけであります。

 日本人というのは元々極めて優秀な民族です。なので、この卑劣を覆い隠す理屈を、実に狡猾に構築してきました。
 歴史観、宗教観、哲学、政治哲学、社会学、雑誌、新聞、インターネット、人々の喫茶店での会話、職場での世間話……様々な分野の英知が、日本人の卑劣を「合理」と見積もる為だけに総動員されてきた。要するに、それらは民主主義の論筋を正当化するという「日本人の卑劣な都合」の支配下にあったということ。
 また、この「民主主義」「自由」「進歩」の論筋は、日本人の性質のみならず、人類普遍一般として「大衆」の性質にも迎合するものでもあった。

 そして、経済学、経済雑誌、ビジネス雑誌は、「アメリカの軍事的養護の確保による、短期的な徴兵可能性の最小化」を大前提として「経済における政府の退場」という長期的経済体制の改変を容認しつつ、まだ自分達日本人を「良い者」であると思えるように、「自由市場」「市場均衡」「経済における民主主義」という合理を強調し、強調し、強調することで、日本人の卑劣な都合に迎合し続けてきたのであります。

 もう少し柔らかい表現の方が良いですかね。ではこれではどうでしょう。

 自由市場礼賛を強調すればするほど、「アメリカに屈服している感」を少なく見積もることができる、と。

 この論理関係だけは明白でしょう?

 だから、経済学、経済評論、ビジネスマンの喫煙場での会話などなどは、基本的にここの都合に迎合するように自由市場を礼賛するというわけです。
 少なくとも、そういう大衆の都合に迎合する一つのバイアスとして。


(了)


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Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 2   

コメント

今のところ、GHQの狙いは成功しているってことですね。

「徴兵の可能性をとにかく減らしたい」

こういう考え方が日本人に浸透するようになった原因は、日本敗戦後にアメリカ(GHQ)が「いざとなったら命懸けで戦う日本人の国民性」を恐れ、何とかして封じ込めておくために様々な洗脳工作をしたからなのでしょう。
そして大半の日本人が未だに目覚めないままでいる、という。

>自由市場礼賛を強調すればするほど、「アメリカに屈服している感」を少なく見積もることができる

そこは思いつかなかったなあ。
実際には自由とは名ばかりの「グローバル企業に思いのままにされる状態」ですよねw

最近、読んだとある本の最後の方のページにエマニュエル・トッドの「自由貿易は、民主主義を滅ぼす」という本の広告がありました。いずれ読んでみたいと思っています。

kappa #NbShkeg2 | URL | 2015/06/18 23:21 [edit]

追伸

↑のコメントを書くのと前後して、こちらのブログの「永遠のゼロシリーズ」を改めて読んでみました。
どうやらあの小説には、アメリカが恐れた「いざとなったら命懸けで戦う日本人の国民性」についての視点が欠けているように思えました。
(小説自体は読んでないんですけどね~)

著者は意識的にか無意識的にか、アメリカの意図に沿う形で小説を書いてしまったのかもしれませんね。

kappa #NbShkeg2 | URL | 2015/06/19 19:38 [edit]

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