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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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戦争の反省における大衆の欺瞞 

 そう言えば、8月15日の玉音放送の日くらいに戦後70年談話を出すとか、出さないとか、そういう話がありますね。

 つまり、首相が対外的に「あの戦争はこれこれこうだったなあ」という感想文のようなものを提出するということです。それで、談話とは言いながら、誰が出しても反省文のようになってしまう。
 第一に、戦勝国筆頭のアメリカに叱られないような感想文でなければならないし、第二に、中国や韓国を刺激して、その様を見た日本のマスコミに叱られないようにしなければならないからです。

 普通に考えると、もう70年経っているのだから、少なくとも対外的には黙っていればいいものを、なぜ談話など出すのかというところがまず不思議でたまりません。

 私は学生の頃から、このような対外向けの反省を見るたび、二つのことを考えたものです。

 一つは、「戦争」や「侵略」を反省するということは、裏を返すと、「われわれ日本人はかつてよその地域へ侵攻できるほど強大な力を持っていたのだ」というアピールでもあります。戦争や侵略は悪しきことだと国際社会で言われていますが、一方で「歴史的に侵略国であった」という仄めかしは国際的に権威のようなものを備えさせる。
 あるいは、国内的にも「我々は中国や韓国に悪い事をしたのだ」というのは、裏を返せば「我々は中国や韓国に悪い事をできるくらい強かったのだ」というゲスな思いを発露するために、装丁を施して提出された偽善である可能性が非常に強いのです。

 もう一つは、やはり国内的なところで、「戦争を反省すること」によって、政府への権限を剥奪しておこうとする大衆力学があるということです。戦前……とりわけ戦中は、現在と比較すれば「統制的」な政治、経済システムでした。それで、そういう「統制的」な政治、経済システムが嫌だから、そういうシステムを採択していた戦争と戦中の政府そのものを反省するよう、現在の政府へ請求する。
 そして、そうした大衆の請求に都合がよいものとして、国際社会に対する譲歩というものがある。つまり、「国際社会」を引き合いにして、中央政府の権限を剥奪しておこうという大衆力学がそこにあるわけです。


 こういうことを言うと、「大衆はそこまで考えていない」と言われます。
 それはそうでしょう。大衆はそこまで考えていない。

 しかし、自覚的に言葉で整理して考えていないからといって、「思っていない」とは限らない。
 私は、大衆のほとんど大衆本能のような、無自覚の大衆の下賎ぶりを、見たまま描写しているだけなのです。



(了)


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Category: 歴史:近代、大東亜戦争

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 1   

コメント

なるほど。

そういう側面もあるかもしれませんね。特に後者の度合いが強そうな。

>「統制的」な政治、経済システムが嫌

これの大きな原因はGHQによる洗脳でしょうかね、やっぱり。

護憲派とか「権利ばかり主張して義務を厭う人々」(両者はほぼ重なっていそうですが)はモロにそういう傾向かもしれませんね。

kappa #NbShkeg2 | URL | 2015/07/23 17:20 [edit]

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