07 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 09

日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

TOP > 経済:デフレ問題 > title - ギリシャ雑感      
  

ギリシャ雑感 



 すこし前の話ですが、ギリシャがまた債務不履行の危機に陥っていたが、ユーロ側と折り合いをつけて危機を脱したという話題がありました。

 ギリシャのことが日本で話題になるのは、ギリシャを引き合いに出して、色々と日本の世事を語ろうとする志向からくるものでしょう。ギリシャ人そのものを本気で心配している日本人は、残念ながらあまりいません。

 日本人がギリシャを見るときの観点は、まず大きくわけて二つでしょう。
①ギリシャの危機が与える金融の不安定化が、日本にまで及ぶものになるかどうかを見る
②ギリシャを引き合いにして、政治的な主張をする

 ①は、とどのつまり予測ですね。ただ、今回は、それほどのショックに対する危機感があったようには思われませんでした。ギリシャとユーロ側の話合いがつきさえすれば、IMFへの返済が可能だったので、今回はユーロ側と話し合いが付くだろうと誰もが思ったでしょう。なぜなら、ギリシャ側も、ユーロ側ですら、ギリシャ支援を再開しなければ双方酷いことになることは分かっているはずだったからです。
 だから、騒がれてはいたけれど、危機感はあまりなかった。

 つまり、今回我々が気にしなければならなかったのは、おおむね②の方のみでした。
 要は、ギリシャの財政をどう見るかが、日本の財政政策をどう見るかという空気とかかわっているから関心をもたれるわけです。

 これはおおむね、ギリシャの公債を引き合いにして、日本政府の累積債務を「ケシカラン」と糾弾する口実として使われることが多かったわけです。
 でも、日本政府の国債にギリシャのような問題があると考えるのは無理がある。

日本政府の国債が、ギリシャのような債務不履行の可能性がないのは二つの理由からです。
一、 90%以上が国内で償還されている。(外国に対する負債ではない)
二、 ほぼ100%円建である。(日銀の発行できる「円」で返せばよい)

 ですから、日本の国債が債務不履行を起こすことはありえません。もちろん、日本政府が転覆すればデフォルトになるでしょうが、政府転覆以外で日本政府がデフォルトを起こすようなストーリーは論理的に考えられないのです。あるいは、「デフォルトをしよう」という強い政治力学が働けば、債務を履行しなければ確かに債務不履行にはなります。でも、債務履行が経済的に不可能になるという筋道は、ないのです。

 つまり、日本の財政破綻論は、どんなに貶さないように評したとしてもデマゴーグなのであります。



 さて、何故、公債の話題が重要になってくるかというと、それは政府の財政政策の融通の問題と絡んでくるからです。

 そして、少なくともこの十年、二十年は、「財政破綻論」を根拠に政府の国債発行と支出を制限しようとする市民ジャーナリズム的バイアスがあった。(私は、私が中学生の頃。小渕首相がこれでイジメられて、大衆にくびり殺されていたという記憶があります)
 つまり、大衆は、政府の権限を制限して満足がしたいわけです。
 そして、政府に「節約」をさせて満足がしたい。
 特に、公共事業や公務員給与を節約させることを請求したい。

 そういう醜い大衆市民ジャーナリズム的な政治力学が、薄く、広く、甘く、共有されてしまっていて、われわれは自分たちの首を絞めてきたし、これからも締め続け、苦しみ続けるのでしょう。ざまあ見やがれってなもんです。

 また、この大衆理論を下支えするために日本人は、ギリシャ人を心配するわけでもなく、ギリシャを引き合いにしてきた。



 しかし、今回、ギリシャでは「緊縮財政にNO」という国民投票を通しました。(結局これも何の意味があっての国民投票だったかわからない国民投票でしたが)
 また、これまで日本の大衆ジャーナリズムは、「民主主義」も礼賛してきた。
 すると、彼らはどうするかというと、財政のうちでも「社会保障」だけは認め、「公共土木事業」や「公務員給与」「軍事費」などなどは認めないという都合のよい立場をとるわけです。
 つまり、大衆(敵)は、どこまでも「反政府」に都合がよいようにポジションをとる。(※もちろん、社会保障も重要な支出の一部であることは大いに認めますけれどね)


 ですから、ギリシャの「反・緊縮財政」=「積極財政」の国民投票も、とりわけ良きものとして受け入れるべきものでもないと私は思う。
 私はもちろん、「緊縮財政は良くない」とは思います。今は、ギリシャでも、日本でも「積極財政」が必要なのであり、景気が流れに乗ったら、そのまま「大きな政府」を目指すべきだとも思っています。

 が、それを「民主主義」によって採択するのは駄目です。「積極財政」が「民衆の請求」でなされても、そんなもの、ろくなものになるはずはないのです。



 われわれに必要なのは、「統治者目線の積極財政」というものなのです。

「統治者目線で、民を安んずる」
 というのと、
「民として民の請求をする」
 というのでは、全然違います。

 民として民の請求をするなどということで、何か良きものが得られることはないのです。これは人類普遍の大原則なのであります。



(了)


関連記事
スポンサーサイト

Category: 経済:デフレ問題

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 0   

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://shooota.blog.fc2.com/tb.php/287-0d08797b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)