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日本が日本であるために

主に政治、経済、時事、国家論についてなどを書きます。日本が日本である、ということを主軸に論を展開していきたいです。

 

日記(2015.7.26) 


 そういえば、某SNSで、私の居住地が「名古屋」となっていました。コメントを書き込んでくださる方に、私が名古屋市民であると誤解させてしまったようです。

 実のところ、それは以前名古屋に住まっていた時の情報で、現在は愛知県の片田舎に住んでいます。
 これを更新していないのは、住まいの細かい個人情報をネット上で知られるのが嫌だということと、「名古屋」と言っておいたほうが格好が良いだろうと思っていたからです。実際、全国的に見て、愛知県の地名で名古屋以外のものを知っている人は少ないでしょうし。

 というわけで、本当のところ現在の私は、名古屋から電車で40分ほど行った田舎の町に住んでいるのですが、昨日はこのあたりでお祭りがあったようです。
 尤も、しょせん流れ者である我が一家はお祭りなどに参加するような地域共同体的繋がりを持っていないし、私自身ももはや友達もほとんどいない。ですから、お祭りがあるらしいこと自体を昨日の駅周辺の雰囲気で悟ったわけです。また、結局、どこでどのようなお祭りがあったのかということもわからないままでした。

 でも、自然にお祭りに参加しに行くような中学生くらいの子供達は、彼ら自身が夜の田舎町を幻想的に彩っています。
 私は、彼らのような人々が、どのような世界に住んでいるのかということが気になる。

 それこそ私の子供の頃はそうした人々を羨望の眼差しで眺め、妬んだものでした。
 私は自分の生が、そうした煌びやかな世界の一部になりえない、無価値で、味気のない、失われたものであるという確信を、人生のかなり初期段階から持っていたのです。

 ですから、私は、彼らのような者たちを見ると、激しい嫉妬に駆られたものでした。
 この空白を埋めるためには、何か別の……例えばスターになるとか、金持ちになるとか、権力を持つとか、そういうことがなければならない。そういう世界から超然としたもので、「失われ分」を埋めなければ、自分は永遠に価値づけられない。そういう風に考えたものです。

 そして、こういう下賎な考えに至る人間の精神を、「大衆」というのです。
 大衆というのは、いつだって嫉妬心が大量化する現象で、私はそれの最たるものなのです。

 でも、嫉妬で大衆の一部に取り込まれてしまったら、それはそれで自分が価値付けられる可能性がなくなる。
 大衆的であることは、人間の一切の価値を殺すものだからです。

 ですから私は、自分の中に湧き起こるあらゆる嫉妬を、自分自身で笑ってみせるという手法を編み出したのでした。



(了)


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Category: 日記

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コメント

なるほど、そうだったんですね。

「お祭り」かあ・・・
私は一応、小学生ぐらいまでは「自然にお祭りに参加する子供」でした。
でも「煌びやか」だったかと言うと、そうでもなかったですね。
友達だと思っていた近所の子に仲間外れにされた記憶とか、鮮烈に残ってますよ(苦笑)

それにしても、ご自分がそういう世界の外部にいると感じられたという理由から「無価値感」にまで行ってしまうとは。
お節介なことだとは思いつつ、どういう雰囲気のご家庭で育たれたのかな?と気になったりして。
(って、不快感を覚えられたらごめんなさいね)

kappa #NbShkeg2 | URL | 2015/07/27 17:14 [edit]

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