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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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ヒットラーとナチズムについて(日記) 



 ドイツのヒットラーによるナチズムは、大いに悪者にされることが多いです。
 勿論、ユダヤ人への迫害意識を国家の団結の一つのツールとして使い、果てはホロコーストにまで至った部分については、確かに忌避されるべきものでしょう。

 しかし、「国家を団結し直す」という志向自体は、我々もナチの手法を見習うべきではないでしょうか。


 もちろん、ヒットラーの主導したナチズム自体は、大衆的なものであったがゆえに間違っているのですよ。
 でも、国家を団結するに際して、大衆的なるものに迎合したり、大衆を扇動したりなどという道に走らざるをえなかったのは、そもそもドイツがそういう状態に追い込まれていたからです。(そもそもユダヤ人迫害は大衆迎合の最たるものであります)

 ドイツは第一次世界大戦後、戦勝国から天文学的な賠償金支払いを命じられたのみならず、ワイマール憲法という「自由」で「民主的」な憲法を立ててしまった。もちろんこれは、第一次世界大戦中におけるドイツ自身の革命、つまり内輪モメに責任もあるわけですが、どちらにせよヒットラーを産んだのはワイマール憲法であった。

 これを、
「人の世の中には、せっかく手にいれた自由と民主という進歩を、自分から手放す馬鹿がいるものだから気をつけろ」
 と、考える仕方には、私は大反対です。

 すなわち、自由と民主……我々が「進歩」と考えているものが、「人間にとって極めて苦しいことなのではないか」と私は考えるのです。
 つまり、問題はヒットラーにあったのではなく、大衆にあり、大衆を精製したのは「自由と民主」という「進歩」だっただろうということです。
 ようするに、ナチスドイツを見るときには、「自由」「民主」「進歩」「モダン」という大問題から遡って捉えられていなければならないということ。



 そして、われわれが現今の「自由」「民主」「進歩」「モダン」を克服するためには、大衆的なるものを徹底的に排除したうえでの、「国家の団結」が目指されなければならない。
 ですから、ナチスドイツにおいても、その国家の団結のために成された、いわば「統制的な経済運営」や、「国内交通インフラ網の整備」、「ナショナリティの再考」、「軍事力の増強」といった部分については、大いに参考にするべきではないでしょうか。


 つまり私はこう考えているのです。
 我々日本は、既存の共同体に根付いた国内権力をどうにか再興させて、これを中心とした「非大衆的で封建的な国家社会主義」的な方向を目指すべきなのだ、と。



(了)



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コメント

最終段落の「非大衆的で~」

字面だけ見ると過激ですね~w

本題から外れますが、私からもちょっと過激なコメントを。

今日、ケーブルTVで映画「遠すぎた橋」を見ました。
米軍、英軍、独軍それぞれの将校達が出てきますが、一番「ピシッとしていてカッコイイな」と思ったのは独軍の将校達でした。
英軍のショーン・コネリーもなかなか渋かったですが。

kappa #NbShkeg2 | URL | 2015/07/27 22:48 [edit]

民主主義とはポピュリズムですからね。
「非大衆的で封建的な国家社会主義」に賛同します。
あと、ホロコーストはね、かなり事実を彎曲されてると考えざろう得ません。なぜかドイツではナチスに言及するだけに罪になります。言論の自由を侵してまで触れないように封印するのか。

girenzabi #VYNyCgS. | URL | 2015/07/28 22:53 [edit]

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