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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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戦後70年談話に向けて(日記) 



 今年もまた、八月がやってきます。
 とりわけ今年は戦後70周年。

 そういうわけで、首相がまた談話を出すという。
 私はそもそも、「談話など出さなければ良いのに」と思います。

 しかし、色々な政治的な問題もあるのでしょうから、文句は言いません。
 ただ、私はこういう風に願っています。

 すなわち。
 たとえ中国、韓国に対しての謝罪やら反省やらをしたとしても、「対米開戦」だけは反省してはならない、と。

 この件にかんしては、むしろ、対米開戦さえ肯定的に見られていれば、それでいいのです。

 先の大戦における太平洋・対米戦争は、要するに、地球が狭くなり、地球規模化していく地球の中で、日本文化圏を保全するという幕末以来の一大課題に対する、一つの天才的アイディアでした。
 坂口安吾風に言えば、このアイディアは、誰か一個人が考えたものではなく、歴史の流れの中で日本人たちの頭に自然と湧きでた帰結です。あるいはこれを、運命的と評しても良い。

 つまり、文化圏を保全するために、滅びを覚悟で「国際社会の多数派」に刃向かい、猛烈な暴力精神を提示し、恒常的に文化圏の浸食を防げるような国際社会を自らの手で形成しようというアイディアです。

 このアイディアと、それを勝ち取ろうとした日本人の暴力精神だけは正しいと考えられていなければならない。
 というのも、今を生きる我々も、そして未来の子供たちも、こうした「日本ということにこだわって発揮する正しい暴力精神」を持って行かなければならないからです。
 というより、これをすべての国民が失った時点が、日本文化圏の終焉なのです。

 ですから、その最も正しい形で行われた、「対米戦争」だけは、良きものとして考えられていなければならないでしょう。



 よく遡上にあげられる、「中国や韓国への謝罪や反省」は、この問題の派生事項です。

 すなわち、「中国や韓国への謝罪や反省」をするということは、「そのような振る舞いをした日本を滅ぼしたアメリカは正しかった」という論理を下支えするものになるわけです。事実、アメリカは陰に陽に、日本へ「韓国や中国への謝罪や反省」を請求し続けている。その方がアメリカにとっても都合がよいのですから当たり前でしょう。

 ですから、「中国や韓国への謝罪や反省」がどうのというのは、いわば端論なのです。
 日本における先の大戦の中で、圧倒的な主軸として考えられるものは、誰がどう考えても「日米戦争」でしょう。

 我々は、このことだけは忘れてはならないのです。



(了)


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Category: 歴史:近代、大東亜戦争

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Janre: 政治・経済

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コメント

なるほど、「暴力精神」ですか。

私なら「武の精神」と呼ぶかなあ。

敢えて「暴力」という表現を使っておられるのかもしれませんが。

kappa #NbShkeg2 | URL | 2015/07/28 22:25 [edit]

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