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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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原子力発電アレルギー 

原子力発電所の事故からずっと危険に思っているのだが、事故が起こったからといって原子力アレルギーを起こすのだけは行政を混乱させるのでやめるべきだ。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
という、ドイツの名宰相ビスマルクの言葉があるが、今の日本人の多くはその経験に学んでいる状態である。
この言葉は「経験に学ぶ前に歴史に学んでおけ」という意味ではなく、「経験に学ぶと、どうしても最近起こったことに意識が向かうので、歴史に学び、総合的かつ冷静な判断を施す必要がある」という意味だ。

経験に学ぶ傾向はなにも日本国民に限ったことではないが、日本の歴史を見れば、経験に学んで良いことが起こったためしがない。
「戦争に負けたから二度と戦争が起こらないように軍事力は持たない」
「バブルが怖いから、公共事業は減らすし、インフレは起こさないようにする」
「田中角栄や金丸がけしからんから、小沢や社会党に政権を取らすし、小選挙区制度を導入する」
「天下りがけしからんから公務員の給料は下げる」
全部、本末転倒甚だしい話ではないか。
「そもそも軍事力は国家の独立と秩序を保つためのもの」だし、「そもそもインフレ率は2~3%以上でなければ国内経済が正常にまわらない」し、「そもそも自民党は日本の政治家の集まりで、通常の政党に該当する単位は派閥であったからこそ、中選挙区制だった」のだし、「そもそも、公務員、特に中央の官僚の給料をさげると、国家の根幹を運営する機関に優秀な人材が行かなくなる」のである。
すべて経験によって学び、「そもそも」の部分を無視しているが故の愚行である。

原子力発電が日本において重要なのは、そもそも国家経営においてエネルギー分散に必要性があったからである。
「単価が安いから」でも「利権でおいしいから」でも「環境にいいから」でも、ましてや「安全だから」でもない。これらは、あとから役人根性で加わった追加のファクターである。
すべて分散の話だ。株式のリスクヘッジに似ているかもしれない。
何割かはウラン、何割かは石油、何割かは石炭、そして自国の環境に即刻影響を与えない程度に水力、太陽光、などが加わって分散している状態、これが最善の状態である。これならば、どれかひとつのエネルギー源が輸入できなくなってしまっても、国家の独立性を保つことができる。なお、発電量は常に余裕を持ち、供給は需要にたいして何十パーセントも余裕を残しておかねばならないのはいうまでもないことである。停電の話もあるが、戦時や災害時に停止する発電所も出てくることが予想されるので、余剰は絶対に必要なのだ。

こういうことを言うと、「これこれこういう国産エネルギーがあるのだからウランの輸入が必要な原子力は要らない」と言い出す人間がいる。いや、メタンハイドレートも藻も開発すりゃあいいと思うけど、せめて研究を進めて実用化されてから勘定にいれるべきである。
またまた、こういうことを言うと、「原子力に利権があって、その他の研究はイジワルされて予算がつかない」と言いだす人間がいるが、利権とイジワルで言うと石油のほうがよっぽどである。また、研究機関は別個の独立法人が設立されているはずだから、そちらの研究費と、原子力の研究費は本来別事案のはずだ。
それに関連することでもうひとつ。仮に、国産エネルギーが実用化にいたるまで開発されたとしても、まず無くしていかねばならないのは石油による火力発電である。石油は産出地が非常に限定されているうえ、国家間の外交カードになりやすいため、国家の独立性を弱めるファクターだ。ウランはそれに比べれば、(現在はオーストラリアから約半分を輸入しているものの)産出地も分散しているし、保存が約2年もつ分、まだマシなのである。
だから、仮に、国産エネルギーで何割かの供給がまかなえるようになったとしても、「石油を使わない」という話にはつながっても、「原子力を使わない」という話には到底ならないのである。
鳩山内閣が二酸化炭素排出量の無理な削減を掲げて通した「環境何とか法」とかいう世紀の愚法を改正して、石炭を国産でやるとしても、同じである。まず、減らしていくべきは石油の割合なのだ。
現状、日本の発電における石油の割合は高すぎる。

だから、「国産エネルギー開発に予算をつけろ」という主張には大賛成だが、それは原子力不要論に直結しないし、勘定にいれるのは実用化できてからにするべきなのである。国産エネルギーで相当余裕ができるほどの発電(真夏の需要に対して120%ほど)を実現できたら、初めて原発の役割は終わりになるのである。

太陽光発電に関しては、テレビや週刊誌の言うことを信じているような想像力の足りないお花畑思考の国民がいるとは信じたくないが、現総理大臣がそうなので本当に困る。
「太陽光で原発を脱する」という小学生でも考え付くような稚拙な説は、あらゆる面で非現実的である。
まず、(百歩譲って)仮に太陽光で現在の原発が発電している量を蓄電池も併用して(直列から並列に変換するロスも含めて)実現したとしても、まず、なくしていくべきなのは石油である。
つぎに、(千歩譲って)石油より原子力を先に、無くすのだとしても勘定にいれるのはせめて蓄電池の技術にめどがついてからにして欲しい。
また、夢のような蓄電器が開発されないかぎり、固定買取制度というのは、火力発電の増設と抱き合わせてやらなくてはならないため、政府と電力会社にたいして甚大な負担になる。つまり、晴れの日はどんなにあまっていようが、火力発電を止めて、各家庭から電力を買わねばならないが、晴れていない日は火力発電で発電しなければならない。すると、稼動を不安定にせざるを得ない火力発電にかけるコストロスは甚大のものだし、あまっているものを買う政府の負担も甚大である。それは電気料金に如実に現れるか、または電力会社は民間企業なので電力会社がデフォルトする。政府に関してはデフォルトはしなくても、消費性向の低い支出になってしまう。
最後に、太陽光というのは、そもそも土地に降り注いで然るべきエネルギーである。もし、農地や山一面に太陽光パネルを敷けば、その土地にいままでは年中降り注いでいた太陽エネルギーがなくなるわけだから、土地は痩せる。自覚は薄いだろうが、日本の土地は世界有数の「肥えた土地」である。それを代償にすることはしちゃいけない。博愛的な環境保護論からではなく、肥えた土地は国家の連続性に直結するからである。

確認してほしいが、今回の事故の被曝で死に至った国民はいまだゼロである。原子力事故による放射能もれは確かに大変なことだし、放射線は怖いだろう。
しかし、安全対策が完璧だったとは言わないが、予想を遥かに上回る津波と、首相がマニュアルをことごとく無視ししても、広範囲だが原子炉溶解による低線量の漏れで済んでいるのも事実だ。

メディアは国民の恐怖心に寄り添うように今回の事故を過大な被害として報じていないと、本当に思うか?
仮に、低線量の放射線で、数十年後の発ガン率が上がるとしても、それは電磁波や食品に含まれる発ガン物質が与える影響とどう違うというのだ。数十年後の発ガン率を上げる物質など、放射線以外にも山ほどあるだろうし、人体への影響が解明されていない物質も山ほどある。
個人の健康や、長生きがそこまで大切か?そりゃあ大切には違いないけど、国家の統治と繁栄を大きく左右する、エネルギー行政をひとつの事故で劇的に変えてしまうほど大切なのか?もし、個人の健康や長生きを至上価値としても、国家の統治と繁栄は無視してもよい項目なのか?
できることなら、俺が無人島に家を建てて、そのまん前に原子力発電所を立てってもらいたいくらいだ。

現在の日本は、議員の代表が行政府を担う政党制の民主主義である。民主党が政権を担ってから、それはさらに進行し、国民が軽い気持ちで主張したことが、政権維持のために本当にある程度実行されてしまう世の中である。
本来、民衆というものは政府にたいして、権利を主張するものであるが、この状況では、国民一人一人が統治者として、国家の連続性を考えなくては、日本は外国になってしまう。



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