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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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愛国心と政府 



 ここではまず、愛国心を二種類にわけてみます。



「私自身の日本的なものを大切にする」という意味での私的な愛国心


「日本にこだわるための政治的な連帯」という意味での政治的な愛国心



 その上で、愛国と呼ばれるものにも第一に、こういう立場がありえます。

 それはすなわち、「私的な愛国心」を「政治的な愛国的連帯」が踏みにじることへの反発です。

 代表的かつ赤裸々なのは、かつての226事件などでしょう。
 つまり、「国を愛するからこそ政府へ反抗する」とかそういう立場取りです。
 私とてそういう気分はわからないでもないし、226のように「暴力によって命をかける」のであれば許容しうる立場取りかとも思う。

 しかし、暴力にもよらず、単に民主主義で「私の愛国心を根拠に、政治的な愛国的連帯や政府機関へ反逆する」のは、かなり問題のある立場取りです。

 というのも、この立場取りで激しい反政府運動を行う者には、「私の愛国心は、政治的な愛国的連帯に優先されるべきである」という前提が無自覚的にも敷かれていることになるからです。
 そんな前提は、常に「私の愛国心が正当性をまとっている」という前提がなければ成り立たないのであり、つまりある種の近視眼である可能性が高いのです。
 だって、「私の愛国心」よりも「政治的な愛国的連帯」や「政府機関」の方が大義をまとっている可能性もあるのですから。
(※暴力で命と引き換えであれば、その傲慢さはある程度許されると見て然るべきですけれど)


 この事から言えるのは、「私の愛国心」を根拠に、「政府機関」を蔑ろにするのはある種の欺瞞であるということです。

 誤解しないでほしいのは、別にこれは「現安倍政権へ反抗するな」と言っているのではなく、「政府機関」や「国民の連帯」そのものを軽くみるんじゃない、ということです。
(※むしろ、「安倍首相は信じるけど、自民党や官僚は信じない」などという連中もかなり多く見られるのであり、こういう手合いは単に自民党や官僚という政府機関を嫌う都合のために安倍メシアを設定しているだけであるから、これも要するに反政府なのです)

 個人的な「私の愛国心」が大切だからといって手前が勝手に高みに立ったような気分になっているのは、単なる閉じ籠りナルシズムです。

 この「私の愛国心」を活かすためには、やはり中央政府以下1億連帯することが大事なのであり、どのように連帯し、狭くなる地球から国家を溶けて流れ出さぬよう守るか……を考えなければ意味がない。

 つまり、ナショナリズムを突き詰めると、やはり一定程度「政府機能」を重んじないわけにはいかないはずなのです。

 そして、我々は平成の時代、とりわけ「政府」を軽んじてきたのであり、それが昨今の産業社会や市民社会、そして戦争能力の凋落にも繋がっているのだということをそろそろ認めなければ、我々はもう本当に滅びるというところまできているのです。
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