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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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大衆民主主義についての省察 

 解散総選挙が行われるという段になったので、それに関連して。

 俺はこれから衆議院選挙の開票まで、「自由民主党と総裁の安倍晋三氏を支持する」ということを、明確に表明し、あらゆるところで出来る限り声高に叫びのたまうことにした。
 その心の内訳は、「古い体制や慣例に従う姿勢を残している政党は、自民党と共産党だけであるから、政権を握るべきは自民党だけだ」という考えと、「さらに安倍晋三氏が総裁となったことはとてつもない僥倖である」という考えの二重丸構造になっている。
 これから、数回に渡って俺がそう考える根拠を具に書いていこうと思う。


 さて、今回は、現在の状況において、政府権力ではなく、大衆というぼんやりとしたものを少々批判的に見ることから始めてみたい。
 とにかく俺は、昨今の「政治家はどうしようもない」とか、「入れたい政党や候補がない」などと我が儘な餓鬼のようにのたまう一般大衆なるものの傲慢な態度が、たまらなく気に食わないのだ。
 特に現在、「国民は民主党に騙されたのだ」とかのたまう連中を見かけるが、そのような嘘と欺瞞には、吐き気すら催すグロテスクな心象が映っていると糾弾しないではいられないのである。

 三年前、悪夢の衆議院議員選挙。
 実際、あの時の民主党のマニフェストとかいう下世話な物を初めとする言動を、本当に信じて民主党に投票した人間など、ほとんど存在しなかったはずだ。あのようなメルヘンを本気で信じるのは、ほとんどサンタクロースを信じているのと同じレベルであり、よもや選挙権を保有する二十歳以上の大人が本気にするはずなどないからである。(そもそもマニフェストの内容自体が頭から爪先まで悪政だったので実現しなくて本当に良かったと思うが)
 民主党という寄せ集め政党は旧社会党系等々をも吸収していて、連合や自治労、日教組など左翼系団体の組織票を形成していた人々は彼らが所属する集団での義理もあるだろうから、ある程度の票が行くのは当たり前だとしても、その他多くの浮動票を形成していた人間が何故信じてもいないのに民主党に投票したのだろう。
 それは、
「なんだかよくわかんねえけど政府権力たる自民党を懲らしめてやりたかったから」
 ではないか。
 個々の投票者が、自民党を(というよりは既存の古い政府権力なるものを)懲らしめた気分になる為には、自民党ではない候補者と政党へ投票しなければならず、そのメソッドとして、「民主党の言うことを信じたフリ」をしていたのではないか。何故なら、あのような出鱈目でも「信じていたんだ」と言っておけば、自分自身に責任はなく、当然のように民主党が失政を施しても、「俺は騙されたんだ!騙した奴が悪いんだ」と自分をセーフティな場所へ置いておけるからだ。
 信じてもいなかった癖によく言うものである。
 多くは、ただ単に言質を取って自分だけは清廉たろうという保険をかけていたに過ぎないのに。
 この日本人共は、「自分は民主党に騙されたか弱き一般市民だ」という盛大な嘘をもって自分らで自分らを保全する一方、面白半分に自民党や官僚組織の古くから続く政治体系へお灸とやらを据えてみるという「イジメ遊び」にだけは興じて溜飲を下げて喜んでいたのだ。
 それでもまだ「自分ら国民はまともだけれど、政治家はけしからん」などと、ため息の一つでもついてみせるのである。
 あまりにもグロテスクだ。
 これに比べれば、民主党へ投票した者の中でも、左翼系の団体の団体票の方が余程可愛らしく見えるというもの。

 正直言って、現在の日本人共には、民主党がお似合いである。現在の日本の大衆にまともな政権など、豚に真珠だからだ。
 民主党という政治の素人、反権力のプロが、現在の日本国民の代表であるのは当然至極の結果だ。何故なら、『民』自体が政治をナメてルサンチマン的反権力の甘露に舌を喜ばせているのだから、その代表も政治をナメて反権力を旨とするのは、掌を指すほどに当たり前の話である。
 その証拠に、民主党の言うこと、やること、為すこと、一挙手一投足が、現在の日本人らのそれに酷似しているではないか。
 民主党はまさに、『現代日本人を映し出した鏡』に相違ないのである。

 そして大衆は、「民主党が駄目」は認めるが、「政権交代前の自民党は比較論としてそれよりは普通に国家を統治していた」ということは決して認めようとしない。安倍政権、福田政権、そして麻生政権政権に関して、事此処に至ってすら、そのある程度確立されていた行政能力を認めることをしないのである。
 それは、日本国憲法の理念をお花を摘む乙女のごとく純粋に受け止め、そのことによって醜悪な化け物たる革命市民と化してしまった日本人らが、「権力を持った者を褒める」ということにたまらなく抵抗をもつようになった、ということがまず前提にある。
 しかし現状では、その上さらに自己正当化的な要因が世に異臭を放っているのだ。
 つまり、先の衆議院議員選挙までの数年間、自分らが数の力に任せて自民党政権をけっちょんけっちょんにイジメてイジメてイジメ抜いて死人まで出した惨状を演じた上に、「民なるものは清廉潔白である」という正当性を確保し続けるためには、「政権交代前の自民党がとてつもなく悪であった」という条件がどうしても必要だからである。あれだけコケにして、大多数でリンチして、吊し上げ、せせら笑った対象には、『とてつもない悪代官』であってもらわねばならないのだ。
 反対に、政権交代前の自民党がある程度良識的な統治行為をしていたということになると、民なるものの政治的態度は、極めて穢らわしく、不道徳で、破廉恥な、排泄物に集る蠅のようなものであるということを認めなければならなくなる。
 これは、民主主義「民が主人の主義」のご時世、そのご主人様方のプライドとして出来ないのだろう。
 民、国民、人民、市民、大衆、有権者、といった種類の主権者が、実はとんでもない人でなしであるなどという現実を『民主主義』というイデオロギーの上でみとめさせるのは、「神などは存在しない」とキリスト教信者に納得させようとするのと同じほどに困難なことである。

 だが、自民党しか行政を執り仕切る政党として機能する党はなかったのだと心のどこかで気づいている者はこんなことをのたまう。
「自由民主党は、反省して変わったのか?」
 と。
 流石ご主人様である。「反省した上にどーしてもやりたいってならまあやらせてやらんでもない」という、シビレるような居丈高な態度だ。
 しかし、今大衆が自民党に『変わった』と示させることを求めるのは、「先の自民党政権が悪かった」ということを追認させ、以前自分たちがやった非道いイジメ行為に正当性を確保させつつ、有権者様の威厳を保ったままで、自民党に政治的混乱を治めてもらおうという保身の態度に過ぎない。
 俺個人の感覚から見ると、それは極めて卑怯千万に見えるわけであるが、この感覚は何かおかしいだろうか。
 本来、「反省しなければならない」のは、ご主人様たる『民』の方ではないか。
 変わったかどうかが問われているのはご主人の方ではございませんかと、諫言申し上げないわけにはいかないのである。

 まあ、こうした大衆批判をする際、必ず言っておかなければならないことに、「大衆とは、俺自身も含めての大衆である」ということがある。勿論、俺は生まれてこの方民主党などという下賤な党に只の一票たりともやった覚えはないが、大衆と多数決というものは、個人の考えや態度がどうとかなど関係のない大量の人の塊の判断である。そして、判断の過程は一緒くたの塊として下されるものであるが、結果に対しては個々人が連帯して責任を負うものである。
 であるからして、ここでの批判は、たとえ個人がどういう考えを持っていようと、日本の国籍を持った民であるならばすべからく当てはまるのだ。
 俺自身を含めて。

 そして、そのことが俺にとっては、たまらなく気持ちが悪い。
 あたかも、巨大なゲル状の塊が人々を呑み込んでいった中に、自らも吸収されて、その塊全体が醜態を晒し、愚かな自傷行為を繰り返しているといったような感覚であるからだ。
 勿論、人はすべからくゲル状の塊に吸い込まれて生きていくものであるが、その塊全体を常識に基づいて律し、振る舞いに気を揉み、吸収されたを良しと思えなければならないはずなのだが。
 その常識が狂ったのは、何が所以か。
 マスコミと言う人も多いだろうし、マスコミの罪は重いとは思うが、俺はそれにも少々の疑問がある。
 何故なら、マスコミは、大衆の大多数が、塊の大勢が、どのようなものを好むかを推測して情報を流すからだ。勿論、外国の工作員や、マスコミ人各々の思想による恣意的操作は無視できない要因ではあるが、大衆はそれらを喜んで受け止めてきたではないか。人を小馬鹿にして笑い、安全な場所から権力者に対して陰口を叩き、既得権益なるものを「ズルイ」といって騒ぎ、古くからの体制や慣習を否定し、子供が見るマンガチックな地球規模化した世界に焦がれ、人類は進歩していくという大嘘を述べ立てトリップして、日本国家をやっていくという意思などそっちのけで自慰に耽るということを少なくとも俺の物心ついた時にはやっていたし、そして今もやっているのだ。

 つまり、大衆、世論という巨大な塊は、そもそもそういった醜い物を内包した不完全なものであることを、そろそろ認める必要があるのではないかということを言いたいのである。
 換言すれば、「世論など間違っているに決まっている」という当たり前のことをそろそろ前提条件として認めるべきだということだ。


 先に、「現在の日本人共には、民主党がお似合いである」と述べたのはかなり本気で思っていて、それは、ここまでゲル状の塊が醜態を晒し、不道徳を重ね、腐った卵のような臭いを放っているのであれば、その贖罪として苦しみ、のたうち回って、きちんと滅亡するのが適当ではないかと考えたからである。
 民主党にはそれができる。彼らの三年間の実績から鑑みて、日本を滅ぼすに十年とかからぬであろう。

 とは言えど、ここで俺は思い直す。

 何故なら、日本国の歴史においてここまで異臭を放つ民は『現在の日本国民』だけなのであろう、ということに想いが至るからだ。
 日本国民とは、現在生きている民だけではなく、過去や未来の国民も全て合わせて『日本国民』なのだ。千年、二千年前から折り重なる過去の先達が相当に立派であったからこそ日本文明は繁栄したのであり、故に、その死者の意志を未来へ繋いでから死んでいく義務が、現在の日本国民にはある。日本国で統治の恩恵にあずかって生きるならば、勝手に飯食って、クソして、死んでしまって良いはずなどない。
 そこまでに考えを至らせて初めて、日本を保守する為のまともな政治体制が必要である、と辛うじて思えるというものだ。
 もし、現在の民一人一人の、単なる個々の自己実現とやらの為に政治があるのだとすれば、自民党というまともな政党が政権を担う意味はない。醜態を晒す前にさっさと滅びるべきだ。何故なら、そもそも国民として『統治の恩恵』にあずかることのできるのは、「日本をやっていく」という前提があってのことである。別に「人間が人間であるだけで尊いから」ではない。個々の人間が、個々の人間で完結する存在に、国家の統治を受ける権限は本来無いのだ。


 つまり、今俺が「自民党と安倍晋三総裁を支持する」のは、過去の先達に対する日本国民としてのせめてもの義理なのである。
 だって俺は、そもそも現在の日本人を、現在の日本人だけ切り取って見たら滅びるべきだと思っているのだから、『まともな政党』を支持しようという意思は先人たちの積み重ねの偉大さによってしか湧き上がってこないのだ。

 安倍自民党のみが、日本がこれまで積み重ねた共通の先入観、既存の権威、権力、歴史、慣習、慣例、常識という何物にも変えがたい財産を、惜しむことなく使っていこうという態度がある。オマケに言えばそれによって現在の日本国民の物質的な享受すらも今より相当マシになるだろう。
 現在の日本国民が物質的にマシになることなど、俺にとっては気に食わないことこの上なく、もっと苦しむべきかとも思うが、残念ながら今の日本人が繁栄していかなければ、過去の日本人から未来の日本人へ『日本』という共通観念を繋げられないのであるから、ある程度現在の日本人らにも統治の恩恵がいってしまうのは、まあ仕方ない事だ。

 十幾つ乱立した他の党を見まわせば、「何を新しくするか」「何を変えていくか」ということばかりで、「その『変化』がなんの為の『変化』か」ということすら意味不明ではないか。まあ、その「新しい」「変化」ということ自体にワクワクして嬉しくなっちゃう乙女チックな輩の多さには相変わらずうんざりではあるが。まあ退屈で退屈で仕方がないのであろう。
 そういう輩のせいで、(俺を含めた)現在の日本国民が被害を被るのは一向に構わないが、過去の日本人達に対して「すみません、日本を滅ぼしてしまいました」と謝らなければならなくなるのは勘弁してもらいたい。



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