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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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「反自由貿易」と「政府支出拡大」の関係 

 去年のトランプ現象やブレグジットなどから、

「グローバリズム、自由貿易主義の推進が、キレー事としても通用しなくなっている」

 ということは再三申し上げてきている通りです。


 その上で、こうした「保護主義」の世界的潮流は、「財政政策」とも関連があるはずだということは強調しておくべきでしょう。

 すなわち、貿易における自由の規制としての「保護主義」は、内政的な経済政策としての「財政政策」とも思想的な関係がある。

 どういう関係かと言えば、「自由貿易推進を善」とすればするほど「政府支出を抑制する」という理論が立ち、「自由貿易を抑制しなければならない」ならば「政府支出を拡大する以外に道はない」という理論になる……という関係性です。


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 何故こうなるかと言えば、現今の世界は日本も含めて「需要不足」と「投資不足」によって、「一定期間における経済取引の総量(GDP)」が伸びていかない状態にあるからです。

 逆にいうと、各国の経済は「生産力過多」かつ「投資先の見つからない資金剰り」の状態であり、どのように「供給力」と「資金運用」を消化するか……というところに根本の問題があるということ。

 つまり、現在と将来の「需要」の見積もり観をどこにおくかというのが、現在の各「国民国家の経済」において最大の問題なのです。

 で、「需要」が萎み、「供給」と「資金」が過剰な状態では、一定期間における経済取引の総量(GDP)は、総供給量ではなく「総需要量」で決まってくる。

GDP
 =
総需要
 =
「民間の総消費」
 +
「民間の総投資」
 +
「政府の支出」
 +
「貿易黒字ー貿易赤字」

 ということになります。

 その上で、ひと度「民間の総消費と総投資が伸びてゆかない状態(デフレ)」に嵌まって黙っていると、十年でも二十年でもこれは続いてしまうものなのです。

 これが日本の二十年来の状態であり、またリーマンショック後の世界各国の状態でもある。

(また、資本主義は論理必然的にこの状態……すなわちデフレの状態に嵌まるものなのです。)

 このように「民間市場の消費と投資の行くままでは需要が萎み続けてしまう状態(デフレスパイラル)」に陥った場合、解決法は上の式を見れば明らかに二通りしかありませんでしょう。

 すなわち、

1 「貿易黒字を増やす」

 か

2 「政府支出を増やす」

 です。



 ただ、ここで「貿易黒字を増やす」方にはいろいろな問題がある。

 そのひとつに、現在、地球全体がそれこそグローバルにデフレということです。

 つまり、どちらかといえばどこも貿易黒字を増やしたいという状況にある。

 ならばその競争に勝てばよい……という単純な話ではすみません。

 だって、たとえ万一勝者となり貿易黒字を増やしたとて、その価格競争はさらなる労働価格の下落を招き、故にさらなるグローバルな需要の低下を招く。

 そうなった場合、地球の外に貿易黒字を求めることはできないでしょう?

 また、地球政府はないのだし、あるべきでもないのだから、グローバルな公共事業なんて想定し得ない。

 つまり、国境を越えたグローバルな資本主義というのは、論理的に言って存立不可能なのです。



 だから、本当は「国民国家による政府支出の拡大」しか道はないのであります。

 そして、各国が貿易に制限を施し、各国の自国産業を保護し、政府支出という「公的な需要」を増やすことで国内の経済循環を膨らませて、内需拡大の軌道に乗せる……これが今日本にも、そして世界経済にも求められている道筋なのです。

 言い換えれば、今重要なのは、各国のナショナリズム経済なのです。



 しかし、それでも「自由貿易推進による貿易黒字の拡大」が果たしうる領分を大きく見積もれば、「政府支出の拡大」を考えずに済むでしょう。

 これは、それが実際かどうかではなく、自由貿易に対する楽観の「見積もり」さえ大きくとっておけば、「政府支出の拡大」を考えずに済むという関係があるということです。


 で、一方。

 政治的には現在の日本は「大衆民主主義」に堕している。

 言い換えれば、大衆が第一権力を握っており、政府に「統治的判断の意思」が剥奪された状態。

 それでも大衆は、その普遍的性質として「国家的なもの」や「政府的なもの」を嫌いますから、「政府にたくさんの支出をさせたくない」と思うものです。

 すなわち、政府機関が大きな予算を執行するということは、政府の裁量や権力を大きくすることだから、これがまずもって大衆にとってはたまらなくムカつくことなのです。

 だって、何かにつけて大衆は「政府は俺たちの税金でムダなことをやっている!」とピーピー言って日々の個人的不満を解消したがるものだし、政府が権力を振るうことに関して異常なほどの不寛容を発揮する。

 また、そういう大衆の力学を知識階級はおおよそ無自覚ながら把握しているので、彼らの内心では「なるべく政府支出は拡大せずに済む理屈を言っていたほうが無難だ」という計算が、ほぼ無自覚的に働いているはずなのです。

(たぶん我々も一歩外で集団的に交際するとなれば、似たような反政府的な処世で振る舞っているのではないでしょうか?)

 だから、この力学も「自由貿易推進」に対する楽観がばっこする理由になっているに違いないわけです。

 これは、「金融を緩和さえやっていればインフレになり投資が起こる」というリフレ派の理屈と同じです。

 というか、リフレ派(金融緩和至上主義者)はその理論の根拠の多くを、輸出拡大においていたものです。



 逆に言えば、「政府支出の拡大」に対して真剣にならないのは、「民間自由貿易に対する楽観」がはびこってきたからとも言えます。



 そういう思想的関係が、「自由貿易、保護主義」と「政府支出」にはあるのです。



(了)
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