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TOP > 時事:森友学園問題の問題 > title - 森友騒ぎと大衆の卑劣さ      
  

森友騒ぎと大衆の卑劣さ 

 
 まず、森友学園問題騒ぎを振り返るのに、
 
ブログ“The Midnight Seminar”様の
 
『森友学園問題を理解するための個人的なメモと、まとめ年表』
http://blog.midnightseminar.net/entry/2017/03/31/132501
 
 を紹介させていただきたいと思います。
 
 
 左右いろいろな説明が施されてきた森友学園問題ですが、あの渦中にあってこの記事がおそらく日本で最も冷静な分析をされていたと思います。
 
 ほんとうに素晴らしいまとめだと思いました。
 
 私がこのまとめを要約してしまうと主旨を損なう可能性があるので、是非直接ご覧になってください。
 
 
 
 ・
 
 
 
 ただ、ここで気をつけたいことが一つあります。
 
 たとえば、推奨したこの記事には一つコメントが付いているのですが、この無粋なコメントを見ればわかるように、ただ「そうであること」を「そう」と言っているだけの記事に対して、すぐに「在日がどう」「サヨクがどう」という話をして誤魔化す人間がいるということです。
 
 でも、この森友学園問題「騒ぎ」の本質は、「これだけショボいこと」に対してあたかも三流芸人のごとくオーバーリアクションを取りまくる「大衆」がこれほど卑劣で、醜く、浅ましく、滑稽であるということに尽きるのです。
 


 ・



 そんなふうに言うと、

「大衆はそこまで考えていない」

「実際に森友学園問題を騒いでいたのはリベラルやマスコミじゃないか」

 と、おっしゃる方もおられるかもしれません。


 しかし、そうではないのです。
 
 そりゃあ大衆の一人一人は、別にサヨクのように森友騒ぎで「ウヨク叩き」をやろうなどとは積極的に思っていないでしょう。
 
 また、(内閣支持率というのが「イコール大衆の支持率」だと前提すると)大衆は安倍内閣を大いに信任してさえいる。
 
 
 ただ、そもそも大衆が安倍内閣を信任する理由を象徴的にかいつまんで言えば、
 
「なんか戦略感を醸して屈服感をやわらげつつアメリカに屈服して、その上で自衛隊を重んじる」
 ことによって
「自衛隊以外の国民(自分)の生命と財産を守ってもらえそう」
 
 という計算が一人一人の大衆の心うちに、ほぼ無自覚的にあるからでしょ。
 
 さらに、中国やISや北朝鮮など対外的な脅威への不安が高まる中、この力学はさらに大きいものとなっているので、自然と内閣支持率も高水準を維持するわけです。
 
 
 
 ただ、その一方、大衆はこうも思っている。
 
 すなわち、国家に縛られたくない……と。
 
 
 
 つまり、大衆というのは、「国家に縛られたくない」けれど「(自分の)生命と財産は守って欲しい」わけです。
 
 だから、自分の生命と財産が守られる前提の上で、なるべく国家が個人(自分)を制限しない程度に「政府を制限」しておけたらベスト……とほぼ無自覚的に計算している。
 
 そして、こうした無自覚の計算があることは、現代では別にノンポリもホシュっぽい人もリベラルっぽい人も同じなのです。
 
 ただ、その「計算観」がノンポリとホシュっぽい人とリベラルっぽい人で違うということに過ぎないのです。
 
(※こういう計算が大人の中にあることは、私は中学生の時から知っていることでしたので、当然今の子供も知っていることでしょう。そういう意味で子供は、このような属国民としての大人を憐れみ、自分も将来属国民として生きることになるのだと絶望しながら成長してゆくのです。また、これは今の大人も子供の頃は知っていたことだったに違いないけれど、社会に出て家族を作るためには知らないフリをしていないと心が壊れてしまうであろうことは明瞭なので、みんな「無自覚に計算しておく鍛錬」を積んでから社会へ羽ばたいてゆくのであります)
 
 
 
 だから大衆は、森友学園問題の騒ぎで「政府を制限していた」のです。

 つまり、

1「国民(自分)の生命と財産を守れよ!安倍!」

 という大衆的請求はデフォルトとしてあり、その上で、

2「国民(自分)を縛るんじゃねえぞ!安倍!」

 という制限を施すために、「戦前」を「踏み絵」にするのはとても都合が良いということ。


 誤解して欲しくはないのですが、私は別に戦前を取り立てて捨象して礼賛するつもりはないし、森友学園に至ってはそもそも嫌いです。
(※あんなに非人道的にイジメられて倒産させられるほどの罪があるとは思われませんけど)

 でも、「戦前」を「踏み絵」に「政府を制限」して「国家に縛られなくて済むようにしよう」とする仕方は、現代において戦前を取り扱う場合のメジャーなやり方でしょう。

 そりゃあ、今を戦前にする必要もなければ、今は戦前にならない。

 しかし、「今を戦前にさせない」などという強調がわざわざ必要になるのはそういうことでしょう。

 森友学園のような「戦前コスプレ保守」に対する「軽蔑」も普通限度というものがあるはずで、限度を越えた軽蔑は「差別」になるのであり、そして何故そういう差別が必要になるかというかと言えば「踏み絵」にして「政府を制限」し、「国民(自分)が国家に縛られないようにしている」からなのです。



 もちろん、大衆の大多数は「今を戦前にさせない」とか言わないし、「森友学園の戦前ウヨク教育がケシカラン」などとも直接言いません。

 それを言うのはサヨクの役割ですよ。

 でも、サヨクにそういう役割があるのは、そういう大衆の需要があるからです。

 そう。大衆は卑劣にも自分では直接言わないのです。

 だって、「これみよがしなウヨク叩き」は「これみよがしなウヨクそのもの」と同等に大衆の一人一人の処世としてはよろしくないでしょ。

 だから、「これみよがしなウヨク叩き」は、リベラルが大衆の求めるところを代行するというわけ。

 しかし、これへ大衆が直接加われる筋が一つあります。

 それは汚職や疑獄事件という筋です。

 大衆的処世では、「ウヨクがケシカラン」という差別はギョッとされるものであるが、「政治家叩き」や「既得権益叩き」や「役人叩き」はどれだけピーピー言っても許されえる差別ということになっている。

 だから、疑獄事件という装丁さえあれば、大衆処世的にはこれを騒ぐ障壁が緩和されることになるのです。

 すると、
1「疑獄事件を騒いでいる」
 という体で、
2「戦前のイメージを踏み絵にして政府を制限する」
 ことによって
3「国家に国民(自分)を縛らせないようにする」
 ということが可能になるでしょう。

 これは極めて都合が良い。

 都合が良いので大量に騒ぐ。

 森友騒ぎは、そういう大衆精神構造的に見事なまで都合の良い体系を有していたので「炎上」したのです。



 もちろん、その疑獄事件としての内容そのものが、それなりの騒ぎに値する内容であれば、上で申したような「大衆の都合」と断じるのは不当かもしれません。

 しかし、“The Midnight Seminar”様の『森友学園問題を理解するための個人的なメモと、まとめ年表』 でも述べられている通り、疑獄事件としての内容そのものはあまりに「ショボい」のです。

 でも、その「ショボさ」に関わらず大量の騒ぎに発展したのは、疑獄事件以外の都合が大量の大衆に共有されたからと考える他ないのです。

 さらに言えば、大衆はそうやってピーヒャラ騒いでいる時も、別に安倍内閣を倒そうと思っているわけですらない。

 ここでの大衆の目的は、安倍首相に「なんか戦略感を醸して屈服感をやわらげつつアメリカに屈服して、その上で自衛隊を重んじる」ことによって「自衛隊以外の国民(自分)の生命と財産」を守らせつつも、「戦前の踏み絵」を首相に踏ませて「政府を制限」して、なるべく国民(自分)を国家に縛らせないようにすること……なのですから。

 そして大衆はこうした卑劣で狡猾な態度を、「ニュートラル」で「中道」で「戦略的」で「国益を重視したもの」とすら思っていたりするのです。


(了)

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