09 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 11

日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

TOP > 社会:IT、スマートフォン問題 > title - SNSをやめよう      
  

SNSをやめよう 

「タッチパネルじゃないのはグローバル市場から見ると日本市場のガラパゴス化だ!」

 ……などというグローバル企業と経済ジャーナリズムのゴリ押しキャンペーンによって、大量の大衆から「選好」(?)されていったスマートフォン。

 それと共にTwitterやFaceBook、インスタグラムなどのSNS(ソーシャルネットワークシステム)の利用も急激に増えていきました。

 しかし、昨今では「SNS疲れ」などということが言われたりもしているそうですね。

 事実、冷静な生活的個人としてこれを外から見れば、SNSに溢れるゴミ溜めのごとき通信や情報ほどおぞましいものはない……と感じる場面は多々あるでしょう。



フラミンゴ



 そもそもSNSに限らず、高度情報化は、

A「生活上の便宜で通信する私」

 というところから、

B「不特定な個人として通信する私」

 というところまでその領域を広げてしまいました。



 例えば、このブログを書く私は、みなさんからすると不特定の個人でしょう。

 また、私からしても、みなさんは本来通信の前提としてあるべき「生活的繋がり」の無い、不特定の個々であります。

 つまり、不特定の個人として、不特定の個々へ情報を提示しようと試みているのがブログというものの振るまいなのです。



 で、このような

「不特定の個として情報にアクセスし、不特定の個々と繋がりを持つ私」

 というのは、めちゃくちゃ「大衆人」の性質を保有するものなのです。



 というのもブログを書く私や、読むあなたは、今この瞬間は土地性、生活性、身体性から浮遊しているでしょう。

 このように浮遊したバラバラの自意識を「大衆人」というのであり、それが砂鉄のように大量に群れる現象を「大衆現象」と言うのであります。



 ですから、ブログというのも実はそういう邪悪さを持ったものなのです。

 だから私は去年、それなりに大事に思ってきたこのブログをもうやめてしまおうかとも思っていたのであります。

 ただ、IT社会化をどれだけ憎んでも、今日に至っては現代人としてIT社会化から逃れられないようです。

 それは、車社会から逃れられないのと同じごとく逃れられないのであり、いわば徴兵のようなものでしょう。

 そして、ブログというのはSNSに比するとまだマシだと思われるところもあったので、こうして再び書き出しているというわけです。



 ちなみに、「ブログのマシなところ」とは、いわばこれが自分の「城」であるという点です。

 ブログを書く私は、土地や生活から浮遊してはいるものの「群れる」必要はないでしょう。

 その点、まだマシである可能性を残しているんです。


 ◇◆◇◆◇


 対して、SNSは、いわば「とりわけ男女の出会いを想定しない出会い系」のようなものです。

 そもそも男女関係に関してならば、「出会い系」や「街コン」などの不特定多数の大衆市民的文脈は軽蔑されるものとして想定されるでしょう?

 当然、地元の繋がりや学校、職場といった生活上の文脈から発生した男女関係の方が正当で上等な関係に感じられるはず。

 でも一方で、みんな「社会的なネットワーク」をSNSの「出会い系的システム」で構築することの大衆市民性をおぞましく感じない様子なのは、まったく不思議なことです。



 本当にそこらへん、よくよく考えてみていただきたいのです。

 例えば、恋愛において考えれば、土地や生活や身体性の「あらかじめの前提(運命)」から延びた文脈がなければ、実のところなんらの官能性すら生じないことは明白でしょう。

 それと同様、「社会的なネットワーク」というものも、土地や生活や身体性の「あらかじめの前提(運命)」から延びた文脈がなければなんらの活力も生じないに決まっているのです。

 運命から浮遊した個々の過剰な馴れ合いは、「馴れ合いそのもの」が目的化する他なく、偽善や欺瞞、あるいは偽悪やニヒリズムに堕落してゆくのは火を見るより明らかでしょう。

 それは、出会い系や街コンで知り合ったカップルほどわざとらしく「好き」を強調しなければならなくなるのとほとんど同じことなのです。



(つづく)

関連記事
スポンサーサイト

Category: 社会:IT、スマートフォン問題

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 1   

コメント

インターネットほど大衆社会化した世界はないと、私もかねてから思っていました。
所謂「孤独な群集」というやつですね。
だからインターネットを過信するのは危ない。
それにしても不思議なもので、戦後の日本社会は「血縁」や「地縁」といった“束縛”を前近代的だと言って捨て去り、「個人」や「自由」を尊重する社会が幸福なのだと言ってきた。
そんな社会を目指しておきながら、今現在の近代人はインターネットというものに「束縛」され、誰かと繋がり、皆で群れることを求めている。
不思議な世界ですよね。

pen_nat #- | URL | 2017/05/23 23:03 [edit]

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://shooota.blog.fc2.com/tb.php/359-3c98aaea
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)