07 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 09

日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

TOP > 政治 > title - 衆議院総選挙における政治、経済、外交の争点②      
  

衆議院総選挙における政治、経済、外交の争点② 

 まず、俺は「自由民主党を支持しており、その総裁に安倍晋三氏が再任したことによって、さらに支持を強めた」という者であることをまず明言して記事を書き始める。



 前回申し上げた通り、選挙の投票を政治素人である一般国民が具体的な政策の考えを表明する形で行うことは下の下の下策であるが、大量の大衆による世論という禍々しい化け物が世を跋扈する今、その化け物をなだめるための苦肉の策として、少しでもマシな『議論』が必要であると考える。
 マシな議論というものには、「選挙民が政治について何か論じるという禁忌の領域へ足を踏み入れるにはそれなりの慎重さが必要である」という態度の下行われなくてはならない。
 そのような態度で衆議院議院の『争点』を考えれば、部分的な個別具体的法案によって、流されるように支持を決めるなどしてはならないわけだ。つまり、いきなり具体的な政策のある一部分だけを取り出してその是非を問うなどというのは最低の態度であり、たとえ政治の素人でも、全体を大別して、一応一通り見通すということが不可欠なのである。
 ただ、しつこいようだけれど、「自分が属する何らかの集団の既得権益を代表する人がいる」という恵まれた人は、素直にその人に投票すれば良い。無理して政治についての全体を見ようなどと思わなくて良いのだ。
 しかし、個人の思考をもって素人ながら投票を行わねばならぬ孤独な現代の浮動票を形成する人々は、全体の総合的な見解によって投票せねばならない。
 軍事だけ、とか、社会保障だけ、とか、教育だけ、とか、経済だけとか、そういう部分的な視点で見てはならないのだ。何故なら、軍事は外交に絡み、外交は経済に絡み、経済は社会保障に絡み、社会保障は国家の公正に絡み、国家の公正は教育に絡むといったものが政治だからである。
 ただ、もし、その視点の絞られ方が、集団の既得権益に基づいているのであれば、『部分の代表』という議会の役割において健全と言える。部分の代表とは、立法府たる国会の一義席としての権限であり、民主主義という最悪な政治体制の中で唯一まともなところであるから。
 だが、個人が個人の思考の上で一点に絞っていった視点は、どうしても『大衆世論』に寄り添った視点になるが故に、ほとんど間違った絞られ方となるに決まっているのだ。さらに恐るべき事に、世論という権力を背景にしたその間違った見解は、議会を支配した後に、内閣の方針への干渉、つまり行政権へをも浸食してくる。

 だが、『全体の総合的な見解』なんてどう持てば良いのか。
 そのために、少なくとも道筋としてまずやらねばならぬ事の一歩目が、国政の目的は、「国家という最大の社会的枠組みを過去から未来へ繋げること」つまり『国家の独立の維持と繁栄』である、という大前提をしっかり認識する事だ。
 ここでは国家の政府を形成する政治家の話をしているのだから当然の話なのだけれども、この大前提が、しばしば忘れられがちなのは大変問題なことである。まあ、そもそも、既得権の代表を選ぶことのできる生活民は、その代表に任せてそんなことを考える必要はなかったし、それで良かったのだけど、個人の思考によって投票しなければならない浮動層の生活民は、この大前提を改めて認識していなければ投票の基準に芯の無いことになってしまう。
 昨今、政府というものを捉える際に、「天から降ってきた人間の権利のようなものを保障するためにある」というような大変な誤解をしている人がかなり多くて吃驚するが、人権保護団体や宗教団体について話しているのではないのだから、真面目に考えてもらいたいものだ。
 そもそも、地球上にあらかじめ人間に与えられた権利のようなものが存在するはずなどないし、故に、政府は「ある一定の範囲に存在する人間一般」のために存在するものではない。
 政府は国家のために存在しているのであって、国家を存続させることと、国の民を存続させることがイコールであるから、『国民』が大切なのである。
 また、『政府』も天から降ってくるものではないので、国家に内在された根拠によってでしか形成されず、それは「歴史的、慣習的根拠」「ペーパーテストで計る能力的根拠(官僚)」「多数決的根拠(政治家)」の三つ以外にはない。しかし、「誰にペーパーテストを受けさせるか」「誰による多数決にするか」――つまり、「国民とは何であるか」は絶対にペーパーテストや多数決で決めることはできないので歴史的、慣習的根拠によってでしか規定されない。
 すると、結局の所、『政府』を構成するものはすべからく国家の「歴史、慣習」によって形成されていると言える。
 国家の歴史や慣習なるものが、どうやって積み重なって来たかと言えば、それは当然、国家集団が存続し、繁栄していくように形成されてきたはずであるから、それを依拠とする中央政府も国家の存続と繁栄を第一目標としなければならないのは掌を指すほど当然のことである。

 その大前提の上で、政府というものの司令塔となる『政党』をどう見ていけばいいかを考えると、理念的争点を以下のように大別することができる。
一、『国家観』
二、『政体観』
三、『軍事観』
四、『経済観』
五、『外交観』

 これらが、「国家の独立の維持と繁栄」という大目標に通じているか、という観点から次第と具体化していくのが政権選択の基準として適切であると、考える。
 多少順序立てて掘り下げると以下のごとくだ。

 まず、一、『国家観』は最も重要な根幹の根幹である。何故なら、目的の主体だからだ。「日本という歴史的存在は、どのような世界観を共有した、どのような国民によって構成された、どのような大儀と道徳を継承した国家であるのか」ということがあって始めて、それを維持したり繁栄させたりするしないの論が始まるのである。
 二、『政体観』は、国家観を反映した政治体制についての見識である。政治家と官僚の関係、中央と地方の関係、といったものがその例にあたる。
 三、『軍事観』は、国家体系や政治体系を転覆させ得る要因を、どう物理的に排除するかの見識である。
 四、『経済観』は、国家体系、政治体系、に基づいたルールによって、国民経済をいかに秩序立って活発にさせるかの見識である。
 五、『外交観』は、自国があれば地球上には他国も沢山あるのでその関係を如何様にして国益を獲得するかの見識である。

 まだまだ当たり前のそもそも論の段階であるが、確実に言えることは、少なくともこの五つについて何らかの見解を示していて、できれば経験もある政党が政権を執るのが望ましいということだ。
 人の意見が様々であるということはもっともであるが、今、五つ全てにおいて党内をある程度まとめ、公約を謳っているのは、安倍自民党だけである。

 たとえば、軍事的にタカ派であれば良いというのであれば幸福実現党でも良いのであるし、嫌原発であれば良いのなら共産党や社民党で良いではないか。

 統治に重要な点において党の意思を決定しようという態度があるだけでも、(それが常に良い意思だったか悪い意思だったかは別として)自由民主党はだいぶマシな政党なのである。

 さらに、現自民党総裁の安倍晋三氏は、それら基本的な点のおおよそ全てにおいて極めてまっとうで常識的な事を掲げていると考える。
 時代に超然的に見ても、ほとんど奇跡的なほどだと思う。

 というわけで、次回に。



関連記事
スポンサーサイト

Category: 政治

Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

tb 0 : cm 0   

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://shooota.blog.fc2.com/tb.php/36-29814e68
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)