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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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SNSをやめよう(後編) 


 SNSは、「膨大な近代社会の中でバラバラな個々を情報ネットワーク化するサービス」という前提の時点で、その俗悪性を決定付けています。

 これはすなわち、「疎外者」として土地から浮遊した個体が「群れる」ことを前提したシステムだということ。

 土地から浮遊した疎外者であることそのものは近現代人として生まれた以上やむをえないにせよ、「土地から浮遊した『粒』の疎外者として慣れ合って群れる」のはイコール人間の死を意味します。

 それは、労働資本としての歯車に堕すということのみならず、「自分が好んでこう選ぶ」という部門においてすら歯車として選び、振る舞うという意味において死以下の地獄なのです。

 そして、そのゾンビの群れが「大量」であればあるほど社会的な価値が付与されるというわけで、そうしたもの全体の醜さはいわば魑魅魍魎の類に等しいのです。


前回:『SNSをやめよう』(前編)

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 さらにおそろしいのは、こうした「不特定の社会ネットワーク」の「形式」を、「既存の生活民」がありがたがって真似し始めるということです。

 それはあたかも、地方の人間が自分達の生活の価値に無自覚で、いたずらに東京モンのやり方を真似る……といったような力学と同様です。



 そもそも、ほんの十年ほど前まではSNSに限らずネット社会上で個人が実名を名乗ったりなどはしなかった。

 実名を名乗るのは著名な人間に限られていたし、それはメディア露出の一貫に過ぎなかった。

 しかし、昨今はそのへんの素人が実名でSNSをやるようになって久しい。

 これで「匿名性が解消されてネット上の無責任な発言が抑制できる」とするのは、ネット社会視点の近視眼というものでしょう。

 と言うのも、個々の生活視点でいけば、これは「生活上の私」の意識そのままでネット社会へ入ってゆくことに他なりません。

「生活上の私」と「ネットの私」

 の間に一線が画されていれば、まだ「生活上の私」がネット社会の論理に取り込まれる領分は少なかった。

 しかし、LINEなど生活上の繋がりの中でネットへのアクセスが求められるようになり、その生活上の繋がりの輪がネット社会の論理へ組み込まれてしまうことになる。



 たとえば、twitterやFaceBookなどで会社や学校の仲間と繋がったとしましょう。

 すると、その「生活上の繋がり一単位」は、「フォロー数」や「友達数」「リツイート」「シェア」の社会論理の中に放りこまれるわけ。

 人間「個人の価値意識」は、強く「身近な生活的繋がり」の中に埋め込まれていますけれど、その「生活的繋がり」の中の価値意識が「SNS社会の価値意識」に組み込まれる。

 ということは、ほぼ無自覚的に「個人の価値意識」も「SNS社会の価値感覚」に取り込まれてゆくということも意味しますでしょう。

 たとえば学生の仲間うちで「フォロー数1万」の知らないおじさんをありがたがったり、会社での話題がいつもSNSで数を動員したニュースをなぞっていたり……といったような。

 そして、その仲間内の価値基準が、個人の価値基準を強く前提づけるのです。

 現代人はともすれば、自分の強く取り込まれているSNSで騒がれていることが、世の中の相当部分を反映しているという錯覚さえ覚えるようであります。

 つまり、まだ生活的、共同体的なものへ組み込まれていた価値ある層の国民が、「ネット上で数を動員できるもの」の「大量」の価値感覚へ、より強く取り込まれていってしまうということです。



「それはテレビやラジオ、新聞と同じじゃないか」

 という反論も聞こえてきそうだが、テレビやラジオは一方で「国民的~」の意識を醸成するだけまだプラスの面もあったかもしれないのです。(とは言えマスメディアは低劣なものですけれど)

 が、インターネット、SNSは、ユーザーが細分化されて、ヘタに「選択性」と「多様性」が出てしまっているから、「国民的~」の意識をすら醸成しない。

 そして、「国民的~」から逃れられている分、「個人」が「グローバルな世界」で選択しているような雰囲気に包まれてしまうという力学も、紛れもなく存在すると思う。



 ・


 もちろん、昨今はSNSとてまったく使わないというわけにもいかない世の中だからある程度は仕方ないかもしれません。

 しかし、少なくともこれがそういう俗悪なサービスであるということは自覚しながら利用するなら利用すべきでしょう。

 それは、ビッグデータとか個人情報とかの社会的な問題以上に、本当に個人が個人としての思想や心を大切にするためにも必要な観点だと思うのです。


(了)

……という記事を「SNSでシェアしてください」と頼まなければならない性質上、やはりブログも不健康なんでしょうね。
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