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「デフレ派世代」の反逆 


 かつて、戦争中に20代を過ごした世代は「戦中派世代」と呼ばれたそうです。

 その他、安保闘争世代とか、団塊の世代とか、団塊ジュニアとか、ロスジェネ世代とか……世代には色々と印象的なネーミングが付けられてきた。

 ならば私のような、2000年代、2010年代に20代を過ごした世代はなんと呼ぶべきでしょう?

 色々と案は思い浮かぶのですけれど、私はあえて次のように呼んでみたいと思います。

 デフレの時代に若者時代を過ごした世代という意味で、

「デフレ派世代」

 と。


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瓦




 私が20代の頃、大人はこう言ったものです。


「不況をイイワケにしてはいけない」

「今の時代は平和だし、昔はモノの食えない時代もあったのである」

「第一、不況でも技術や組織が進歩しているから、同じお金で手に入るモノ(やサービス)の質は上がっているじゃないか」

 ……ets


 私は、こういう大人のセリフを聞くたびに腹の底から猛烈な殺意と、吐き気と、目の眩むような絶望とがみるみる沸き上がって、視界が真っ赤になったり、真っ黒になったりしたものです。

 でも、十代後半から二十代にかけての私には、何故これがそんなにムカつくのか説明もできなければ、自己解釈すらできませんでした。

 大人の言うことも確かに一理はあるのだし、中学生じゃないのだからただ刃向かえば良いというわけには済まない。



 それに、これへむやみに逆らえば、

「単に自分のうだつの上がらないのを、時代のせいにしている」

 とか、

「単なる甘ったれの根性なし」

 とか、

「貧乏人のイイワケ、弱者のひがみ」

 のように断じられて終わりです。

 また、そのデフレ派世代としての怒りにも本当に「時代のせい」にしたり「甘ったれや根性なし」「イイワケ、ひがみ」の部分が存在する可能性もある。

 そこが唯一「大人理論」の一理あるところではあるのです。



 しかし私は、上記大人理論に対して

「それじゃあ国家全体が回っていかないじゃん」

 という強い確信と疑念がありました。


 つまり、「大人たちの言っていた経済観には国家をやっていくことに対して正当性がない」という強い「確信」です。

 そして、現今、国家をやっていかないのであれば、「核家族の形式」に正当性もなくなるのであり、すると子供を作ることそのものにも正当性がなくなるでしょう。

 だから、その「国家不在の経済観」で、いくら個人としてハングリーさを発揮し競争に勝っても、価値はないのです。

 また、その欺瞞に大人たち本人も薄々カン付いているのではないか……と私は察知していたものです。

 大人たちは、そのクセ何か「ちゃんとバトンを渡した」かのごとく言い張るために、気づかないフリをしてトボけているだけなのではなかったか。

 でも、これを証明するのはとても難しいことでした。



 ・



 だから私は逆に、「自分視点」で不満を述べたり、「弱者が可哀想」というので「強者を引きずり下ろそう」というリベラル的な手合いにだけは引きずられたくはなかった。

 この「若者の自分自身の不満」や「弱い人が可哀想」という筋は、ムカつきポイントとして正当性を欠いているからです。

 そして、正当性を欠いたムカつきを混入させてしまうと、「大人理論の不正当性」を糾弾する正当性も失われるでしょう。

 だから、「不満」や「可哀想」を基準とするのは、できうる限り排除しておくべきなのです。

 これは、私がリベラル、サヨクを嫌う大きな要因でもあります。

 また、少子高齢化で現役世代に負担が……みたいな筋はどーでも良い話です。

 そんな「不満」に正当性はないし、実際、少子高齢化と現役世代の減少がそこまで経済的なマイナス要因であるなどという証拠は大してないのです。

 むしろ、現役世代が減っている分、国家全体として雇用の席が確保され、まだデフレの苦しみがマシになっているところがあるかもしれないので、少子高齢化は「恩恵」の部類かもしれないでしょ。



 ・



 そうではなくて、我々デフレ派世代は「大人たちの経済観は国家をやっていくことに対して正当性がなかった」という点について反逆すべきなのです。

 それは、ひとつ具体的に言えば、すなわち大人たちのやってきた「民主主義と資本主義の徹底」が、論理的に国家持続不可能なものであると明らかにすることです。



 資本主義の徹底は、論理必然的に資産バブルを起こし、その後、デフレを引き起こします。

 そして、デフレは

1 資本主義が成り立たず、国家全体の経済が縮小してゆく

2 政府の支出拡大によってしか抜け出すことができない

 という性質を持つものです。

 しかし、その一方で、民主主義が徹底されているので、大衆民主的に政治、統治能力が制限され、支出を拡大することができない。



 つまり、資本主義と民主主義の徹底が、デフレを常態化させてしまったのが、21世紀の日本なのです。

 しかし、この21世紀のデフレ以前に若者時代をやっちまった世代は、「資本主義と民主主義の徹底の過程」において「その恩恵」をもっとも受けてきた世代だとも言えるわけ。

 それが「ズルい」などと言うつもりはありませんが、A「資本主義と民主主義の徹底の帰結としてのデフレで苦しんでいるデフレ派世代」 に対してB「資本主義と民主主義の徹底の過程の恩恵に浴してきた世代」が、「これが資本主義と民主主義の帰結だから文句言うな」的な態度で開き直っているのは、そりゃあフザケンなと思われて当然でしょう。


(了)

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