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時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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加計学園問題、国家戦略特区こそ悪い 


 世の中の人たちはいろいろ信じられないことを言うけれど、

「とにかく官僚組織から権限を取り上げろ!」

 みたいなストーリーは、少なくとも私にとって中学生くらいの時から信用ならないものでした。


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 私の中学生くらいと言えば、時代は「行政改革」が流行っていた90年代後半だったでしょうか。

 確かに思い起こしてみれば、当時の大人たちは中学生がヒクぐらい、

「公務員や官僚組織へのヘイト」

 を燃やしまくっていました。

 潰れるはずのない銀行が潰れ、リストラが横行して……という時代で、

「民間が苦しんでいるのに、公務員は涼しい顔しやがって」

 みたいなこと、ばっっっっっかり言っていました。

 私はその「醜さ」を決して忘れないようにしようと思ったし、このツケはきっと自分が大人になった時に払わされるに違いないとも思ったものです。

 ただ、中学生の時は、自分が大人になってもツケを積み続ける時代が続くなどとは思ってはいなかったですけれど、それはまだガキだったから世界に楽観的だったのでしょうね。

 こうして、2000年代に入るともっと狡猾に、

「公務員は不合理である。何故なら市場原理が働かないから」

 という、さらなる市場原理至上主義のおぞましき時代へ突入していったのでした。


 ◆


 その後も、平成の処世では一貫して、

「とにかく官僚組織から権限を取り上げよう」

 という「ストーリー」が重大な「ベタ」として機能してきました。

(それは、驚くべきことに政府官僚自身もこのストーリーで官僚権限を手放してきたらしいのですけれども!)



 このベタなストーリーは、「政府規制の緩和論」が一般論として礼賛されてきた背景でもあります。

 これは極めて子供っぽい力学で、例えて言うなら、

X「仮面ライダーの暴力」
 が
Y「悪の組織」

 に対して振るわれているから、チビッ子から喝采を受けるのと同じく、

X「規制の緩和」
 が
Y「官僚や既得権益」

 の判断権限を剥奪するものだから、大人たちは溜飲を下げる……という構造があるワケ。



 こう言うと、「世の中の大人はそんな単純じゃない、バカにするない」と、おっしゃるかもわからないが、単純なものは単純なのだから仕方ありません。

 そりゃあフツーの大人だって個々人が限られた範囲内で熟考する場合にはそれなりに大人な態度も発揮しようものですが、「大衆」という大量の力学となった場合はそれくらい単純なのです。

 で、その大量の社会力学であるところの「大衆」の「ガキ理論」を専門的見地から援護するのが、

「知識人」

 というものです。

 ですから、「大衆」がいかに単細胞でガキめいているかを知るには、知識人、専門家を見れば証拠立てられる。



 たとえば、昨今は「加計学園問題」というのが流行っておりますけれど、これに対しこんなことをのたまうヤカラがある。


 すなわち、

「加計学園問題は精査すればよいが、国家戦略特区そのものは悪くない」

 ……と。


 どーゆー理屈かというと、

1 「国家戦略特区は規制緩和策である」

2 「規制緩和は官僚から判断権限を剥奪するものである」

3 「だから、国家戦略特区そのものは悪くないんである」

 と、こういうわけです。


 例えば、


・『加計学園問題の本質は何か 〜このままでは政府の勝ちで終わるだろう
既得権維持派が何を言っても…』
(髙橋 洋一)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51813

・ 『加計学園問題、国家戦略特区が悪いのではない』
(駒崎弘樹)
https://news.yahoo.co.jp/byline/komazakihiroki/20170606-00071771/


 など。


 でも、上記の三段論法が成り立つには、

「官僚組織から判断権限を剥奪すること」が「一般的に正しい」

 という前提でなければ成り立たないでしょう。

 冷静に考えればそんな前提が全体として成り立つだなんてあり得ないわけで、少なくとも「政府規制の強化すべきところ」と「政府規制を緩和すべきところ」の両方があるにきまっている。

 また、その「判断」を一体だれがするのかということも簡単な話ではないに決まっています。

 官僚の判断より、市場や専門家や民主主義が正しいなんて、誰が決めたんですか。

 専門家や民主主義(官邸)がそう言っているのだとすれば、そりゃあ「自分が正しい」と言っているに過ぎません。



 それでもその前提が通用するのは、知識人が人々の「大衆的」な精神に媚び、魅惑しうるストーリーを前提してから、論理を組み立てるからです。

 つまり、「官僚組織から判断権限を剥奪しろ!」という大衆ストーリー。



 この場合、彼ら「専門家」は、複雑で膨大な国家を、その限られているはずの個人の視野(スペクト)で裁断し、

a「官僚が不合理な規制を敷いている」
b「既得権益があるからだ」

 というストーリーを二、三仕立て、さも一般論として適用できるかのごとく

「ほら、やっぱり政府官僚による規制は緩和しなきゃならんでしょ(=官僚から判断権限を剥奪しなきゃならんでしょ)」

 と言い、

「政府官僚による規制一般」を「敵視」する古カビの生えた「平成のベタなストーリー」を反芻させた上で、その前提で、

「国家戦略特区は悪くない、何故なら規制緩和だから」

 とやるワケです。


 それで、みんな「そうだ、そうだ」とやるわけでしょ。

 これが国家を蝕む「大衆」というものです。


(了)

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